第3話
通路はコンクリートの壁で四方八方囲まれている。天井の蛍光灯が白く光り、不気味に壁を照らしつくす。まるで閉鎖寸前の廃病院のように。
僕はそそくさと、慎重に通路の奥まで行く。曲がり角に石の階段が備え付けられていた。そこを足音立てずにそっと降りていく。
折り返し階段で、踏面は十段。それが三回続いた。どうやらあまり深くはないらしい。そう思いながら階段を駆け下りる。
最下層に着いた。左へ通路が続いている。コンクリートで塗り固められた壁面が、蛍光灯の光に照らされ、不気味に映る。僕は階段を下りて、壁面が途切れる寸前、そこから見渡した。
幅二メートルある通路が奥へ続いている。その時、左側の通路から足音が聞こえる。僕は階段の影に隠れる。歩いてくる奴に聞くしかない。左手にある皮手袋を脱ぎながら、覚悟を決める。心臓の鼓動が響きわたる。この音でばれるんじゃないかと言う位に。
足音が大きくなっていく。そして過去一番音が大きくなったその時、僕は通路に飛び出す。歩いていたのは男だっだ。鼻は低く、黒色の短髪だった。男はハッとする。しかし僕はそんな暇は与えんとばかりに、彼の胸ぐらを掴む。そのまま階段の方へ連れ去った。
「ここの主の部屋を教えてもらおうか?」僕は昨日と同じように、彼の首元に二の腕を当てる。「それは…、教えられねぇ。部外者には。」男は頑なに話さない。フォドの連中は口が堅いようだ。
「ならば少し苦しい思いをさせるぞ。」僕は前歯を上手く使い、皮手袋を取る。そして吐き捨て、鋼鉄の左手を見せる。そして指先を男の横腹に当てた。そしてその瞬間、軽い電気ショックを彼の体に流した。「うぅ!」男は苦しむ。「言わなければ更に上げるぞ。」僕は指を男の腹へさらに押し付ける。
「左通路の奥を右側に曲がり、更にその先にある別れた通路を左側に曲がる。その奥だ!」男は根をあげた。フォドの連中は脅されれば直に話す。
僕は左手と二の腕を彼から離す。男荒い吐息を上げる。「お前、その腕。隊長と同じ…。もしかしてお前があの裏切り者…。」
「そうだ。僕はこの組織を裏切った。それでありがとう。教えてくれて。だがすまないが眠っていてくれ。」僕はそう言い残した後、男の後頭部を右拳で軽く殴る。男は束もなく気絶した。それを確認すると、左通路を進んで行く。
隊員の言う通り、通路は右へ折れていた。曲がる。すると男性隊員が一人、口笛を吹き、ぶっきらぼうに歩いていた。顔と体に脂肪が付いている。ぼくはすぐさま駆け寄り、彼を左手で後頭部を軽く殴った。
その隊員は現実を見ていないようだった。そしてまた走る。天井から放つ、ギラギラとした光が濃くなり、またある時には薄くなる。それはタイミング良く。
と、また奥から二人、紺の制服が現れ出た。一人は三十代、すらっとした体系の男性。また一人は二十代で、短髪で薄茶色の毛が目立つ女性だった。僕は彼等を目視すると、数分前と同じ行動を取った。
しかし今回は切れがいいのか、男性の隊員が気付いた。そして棍棒を取り出そうと腰辺りに手を入れる。しかし僕はその前に、勢いよく飛び蹴りを腹の内へ入れた。体操選手も驚く位に。男性は特有の醜い唸り声を上げ、一メートル先へ飛ばされる。
女性はその様子を見て、小さな口が膨らむように大きくなった。だが僕は悲鳴のトーンが上がるその時に、電気ショックを彼女の横腹へ流した。女性は綺麗な蒼目を閉じ、まるで溶けていくように足から倒れた。
彼女が気絶したことを確認すると、今度は飛ばされた男へ近づく。男は立ち上がろうとした。しかしその前に電気ショックを軽く流した。男は再度、寝ころんだ。今回は目を閉じて。
僕は彼等の寝顔を拝見した後、また走り出した。それ以降、隊員の姿は見当たらなかった。それは見回りに行っているのだろうか。人員が回されていないのだろか。僕の憶測は頭を回る。しかしそれ以上の判断は出来なかった。
だが油断はできない。そう思いながら、通路を駆け抜ける。右へ折れている。僕は体を右側へ向ける。そして着いた。ドアは数歩先、壁に埋まる形で佇んていた。自動開閉式で、ドアノブは取り付けられていない。
一歩前へ出る。扉がすぐさま開いた。まるで主を選ばないと言う風に。僕は開いた瞬間、ワインの甘く、つんとした匂いが広がった。僕はその匂いに魅了される。
部屋には左右の壁面に置かれたガラス張りの棚。そして奥にあるステンレス製のグレーの机。そしてさらに奥にはモニターが一つ、壁掛けテレビのように設置されていた。しかしそれ以外、ほとんどない。
申し訳程度に赤いウールの絨毯が簡素な部屋を豪華にする。だが僕にとっては拍子抜けだった。
本当にここが室長室なのか、甚だ疑問に思う。すると奥の机。黒の肘付きオフィスチェアに誰か一人座っていた。恐らくあれがマイク。僕は息を呑み、足音を立てず、慎重に歩む。
左右のガラス張りの棚に飾られた、高級ワインがオブジェのように置かれている。それはかなしそうに、嬉しそうに。赤黒い物もあれば、白い物もある。ラベルが張られているが、名称は分からなかった。しかし置物としての宿命。飲み物としての使命は放棄していた。
もうすぐ机の前へと躍り出る。机の上にはワインボトル。その前に招待状。資料が右脇に、まるで紙紐で結ばれた雑誌の束の如く置かれていた。
奥のモニターから、ブルーライトが両目を焼き付ける勢いで、画面から飛び出している。映る映像は本屋の店内。冷たい通路。要所要所、映像ごとに区切られている。
僕は右手を日よけのように使う。すると椅子から左腕が、まるで木の根が生えるかの如く現れた。手にワイングラスを持っている。中には赤黒いワインが半分入ってあった。
机に置く。ワインボトルの隣に。それと同時に声が聞こえる。腑抜けて、人を小馬鹿にするような。「どうだい?君も来たまえ。バーに行きたいんじゃなかったのか?」
「ワイン好きの男でも今ではフォドの部隊長か。しかし、いくら簡素なものが好きでも、警備はしっかりしていたほうがいい。何なら今から警察でも雇おうか?いえば協力してくれるだろう。」
「やはりカズヤ、君だったね。ありがとう、欠点を指摘してくれて。だがわざわざこんな基地に入ってくる輩は早々にない。だが、警察官に来てもらうのは良いかもしれないな。」マイクは皮肉口調で話す。そして椅子をゆっくりと回転させ、その姿を現した。
紺のスーツが不気味に目立つ。かなり細身の身体。黒い瞳が嘲笑うように見つめている。鼻が少し高く、細い唇から白い歯が姿を見せていた。両手には傷一つない黒色の皮手袋をはめていた。光の反射で光沢感が出ている。
「相変わらず皮肉な口調は変わらないようだ。両腕を機械へ取り換えたとしても。」僕は鼻息を漏らし、右足を一定のリズムで揺らした。
「普通は変わらない。君だってそうだろう、カズヤ。その異端な義務感で、君は崇高な父を裏切り、更に破滅させようとするのだからな。」マイクは饒舌に話す。
すると両手にはめた手袋をさっと取った。鋼鉄の黒き手が現れた。僕と同じだ。しかしあちらの方が目新しい。新品のつやがある靴のように。手袋がワイングラスの奥に置かれる。
「綺麗な腕だ。さすがエルクラウド製。百カラットのダイアモンドの価値くらいはある。」僕はもう身を隠す心配がなくなり、堂々と一歩、前へ踏み出す。その時、素早く、その招待状を手に取る。
「何かの招待状か?」「あぁ、フォドの晩餐会の招待状。場所はハイドの館。ミハイル達も集まるぞ。行きたいか?」「考えておこう。」「しかし行きたそうな目をしている。…。条件を提示しよう。」マイクは何処かその光景が気に入ったのか、鼻でクスっと笑った。
「条件とは?」僕は首を傾げる。「もう一度、戻らないか?」「仲間に入れと?」「そうだ。所詮、下っ端など殴り倒しても、フォドの首領の養子ならば許してもらえる。ミハイルだって嬉しがる。」
久々に聞く名前だ。ある意味初めて認め合った友。戻ってこれば嬉しがるだろう。しかし僕は袂を分かった。それにマイクの言い回しに、いささか懐疑に思えた。マイクの話は終わらない。
「それに今、我々フォドは治安維持。そして行政と協力して、救済施設を活気空かせようと模索中だ。君ならやってくれるだろう?」「…。すまないが遠慮しておく。治安維持だろうか、救済施設だろうか、そんな警察ごっこは飽き飽きだ。」僕ははっきりと断った。
マイクは返事を聞き、深いため息を吐く。「はぁ、昔の君だったらどれだけ嬉しそうにやっていたか…。それでは仕方が無い。もう君は敵だ。」マイクは重ねていた両手を解き、両指をミミズのように動かした。新鮮な機械音を立てて。
僕はその招待状を、元の位置に戻し、右側にはめた手袋を取る。それもまた胸ポケットに入れた。だらんとした右手が姿を現す。「左手は生き生きとし、右手は古傷を負い死に体。そんなことで私に勝てるとでも?」「さぁ?やってみなきゃ分からない。」僕は彼の挑発に対し、冷静に返す。
「そうか。そうか。それじゃ。」ハイドはミミズのように動かしていた指をぴんと伸ばす。その後、左腕を上げながら、手を拳銃の形に変形させる。それを僕に向けた。その瞬間、銃声が唸りを上げる。
弾丸が僕の右肩の上を通る。さっき店主が放った弾丸より一回り大きかった。当たれば多々じゃすまない。それはその数秒後、コンクリートの壁を貫通する音が聞こえた。僕はじっと立ったまま、その音を聞く。
「今のは威嚇射撃と準備運動だ。貴様と久しぶりにやり合うんだ。確か…。最後は訓練の時だったか。あの時は本気で勝負はできなかったが、今度は本気で勝負、いや殺し合いができる。」余裕の表情を見せる。マイクは、口を三日月のように曲げ、銃口を僕の顔へ向けた。
「確かにそうだな。お前と本気でやり合える時が来るとはな。だが、そんな悠長なことをやっていたら、いずれ命取りになる。」僕は両手を強く握りしめ、前面に出す。
マイクはニヤリと笑い、銃口を向け続ける。するとその時だった。突然、彼の表情が真顔に変わった。曲がった唇はまっすぐ引き締められ、悠長な趣の眉間に、皴が寄り集まった。銃声がまた鳴り響いた。銃弾が僕の顔へ向かう。
だがそれに反応するかの如く、僕は右腕で顔を覆う。銃弾がはじかれた。凄まじき音を立てながら。古本屋の時と同じだ。しかし威力は桁違いだった。反動で一瞬体制が崩れかけた。だがすぐに戻す。
僕は当たった箇所を見た。まるでクレーターの如く、凹んでいた。これは何発もおいそれと喰らえない。それに激痛も尋常じゃない位、鋼鉄の中を駆け抜ける。
「やっぱりさっきのとは断然違うな。しかし臆してはいられない。」僕は左手を彼と同じように拳銃の形へと変貌させる。そして一歩下がり、人差し指から弾丸を一発発射した。
停滞していた室内の空気が動き出す。弾丸はマイクの心臓へ飛び込んだ。しかし彼の腕はそれを許さない。まるで生きた盾の如く、弾丸の息の根を止めた。だがマイクの動きが一瞬止まった。
その時を狙い、僕は近くにあるガラスを割った。パリンと、砕け散る音が無惨に鳴る。そこから一本のワインボトルを取る。そしてそれをマイク目掛け投げた。まるで野球ボールを投げるかのように。
マイクはその光景を見て、まるで麻痺したかのように、身体が固まった。ワインボトルは例え主でも容赦なく向かってくる。だがマイクも覚悟を決めたのか、それを振り払おうと、右手を動かした。
しかし迷う時間が長かった。彼の顔にワインボトルが激突した。その様相は、まるで犬が飼い主に飛びつく動作によく似ていた。
マイクは奥のモニターに、背中からぶつかり倒れる。ワインボトルも左へ跳ね返った後、赤い絨毯へ落下した。幸い床がウールだったのか、命は救われた。
僕はその瞬間を狙い、すぐさまマイクの所へ向かう。まるでマラソン選手のように。そして僕は机を飛び越え、彼が倒れる真上へまで迫った。
そのまま彼の上へ、馬乗りになった。そして電気ショックを流そうと、左手を体へ当てようとした。しかしマイクはそうはさせんと、真っ先に動く左手を刃先へとさせた。僅か数秒だった。
と、同時にそれが僕の首元へと迫る。僕は右腕を使い、刃先が迫るの防いだ。カンと、情けない音が響く。鋼鉄だから血は出ない。しかし痛みまでは消せない。
このままでは気絶させれない。僕も左腕を刃先へと変える。そしてマイクの腕の関節部へ切り込もうと、刃を下ろした。
だがそんな小細工は通用せんとばかりに、マイクは器用に右手を使い、電気ショックを横腹へと流した。電気が腹を伝い、血液のように電気が流れる。動けない。マイクは今だと、右足を僕の腹に当て、力を込めて蹴り上げた。
体が宙へ浮く。光が眩い。背中から落ちる。硬い何かに当り、ドンと鳴る。冷たい感覚が背中の中央から広がっていく。マイクの嘲笑う声が聞こえる。「その意気だ。その意気だ。」
机の上に両足を乗せる音が聞こえる。その次の瞬間、胸ぐらを掴まれ、引きずられるように持ち上げられた。マイクの顔が目の前に映る。「最悪だ。ワインを投げた時は勝利を確信したが…。」と、僕は話す。
「余りに早すぎる目論見。しかしそれよりもあの時、貴様が刃先を変化させた時、何故殺さなかった?まさか殺すことをためらったか?」マイクはまた口を三日月の形へと変形させる。
僕は深呼吸をした。そして意識的に目線を逸らす。マイクは気に食わないのか、右目に皴を寄せる。そして変形させた刃先を僕の首元へ下から振り上げた。
だがそれは失敗に終わった。突如として現れ出る銃弾のせいで。それは入り口から勢いよく、ジェットコースターのように。
マイクは何だと、口を歪める。三日月が突如として崩れ去った。僕は油断した今だと、半円を描くようにして、左足を蹴り上げた。股間辺りに激突する。マイクは発作的な痛みに耐えきれないのか手が胸ぐらから離れ落ちた。
僕は解放された。それと同じくして左腕を元の形に戻し、人差し指を伸ばす。机の縦幅が少し小さく、右足の踵が机から落ちそうになる。それでも体勢を維持し、狙いを定めた。
目標はミハイルの右腕の関節部。二発目の弾丸が、僕の意思を受け継ぐかの如く、目標の位置へと飛んでいった。
マイクは防げなかった。弾丸が食いつくように着弾し、機械特有の電熱線が引きちぎれる音が聞こえる。彼の怒涛なる叫び声もまた聞こえた。
僕は机の上から、もがく彼の姿を見下ろす。ただ無感情に。しかし余り見たくない光景。一度目を逸らし、招待状を手に取った。それを胸ポケットに入れる。するとその時、マイクは口をもごもごもと動かしながら、こう呟いた。
「大人しく心臓を狙えばいい物を…。全く馬鹿馬鹿しい。そんなに人の痛む姿を見たいのかね…。」僕は口をきゅっと、紐で結ぶように噤んだ。心臓に興奮と言う活性剤を入れられ、身体の震えが止まらなかった。
「なるほど。これ以上は言えないか…。ならば施設でゆっくりと聞こうか…。」「仲間でも来るのか?」「あぁ、君が侵入をした時。その様子を見物しながら連絡したさ。」「フォドの基地と言うチーズに釣られてしまった鼠と言う事か。」
マイクは皮肉が贅沢に込めた笑顔を僕に見せる。すると話が終わった時、ウールの絨毯を軽く踏みつける音が聞こえてきた。それは一つ。動揺した。
しかし来るのであれば、一つでは足りないと、疑問に思った。それはマイクも同様に。僕は答え合わせのために、後ろを振り向いた。
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