第87話 1555年(天文二十四年)7月 北白川、朽木、小浜

 東山慈照禅寺(銀閣寺)の境内で幕府と三好の戦の和議が行われている。仲介は管領代六角義賢。

 順に事柄が決まっていく。足利義輝は晴れて京に戻ることになった。居城などはこれから決めるが戻ることは決定事項だ。足利義輝は満面の笑みを浮かべ続けている。

 三好長慶は幕府の相伴衆に任じられ、副管領の地位に就き修理大夫への任官を推挙された。尼子義久も父、晴久と同じく相伴衆になり副管領になる。管領代一人、副管領二人と将軍の下に三家が控え将軍を支える形ができあがった。義輝の思惑どおり三竦みである。

 すんなり決まった事柄があれば揉めた事柄もある。京における軍勢配置と将軍山城、如意ヶ嶽城についてだ。

 尼子は将軍山城と如意ヶ嶽城を占有し京に常駐する軍勢を置くと主張した。三好は芥川山城があり六角は京の隣に観音寺城がある。しかし尼子は京に城がない。よってそのように主張したのだが三好が反撥した。いたずらに京に軍を置くのはよろしくないと。どういう意味だ?擦った揉んだの挙げ句、将軍山城に尼子軍が常駐する、如意ヶ嶽城は破却はしないが空城とすることで決着した。京の都に尼子の拠点ができる。

 義輝は【天下兵革】を理由に朝廷に対して改元を申し込むとし、三家が合同で改元費用を賄うことも議論された。(この年の十月に年号が弘治に変わることになる)


 細川晴元は三好との和議に異を唱え丹波の波多野元秀の元に落ちて行った。


 尼子と三好は将軍から上位の栄典を授与され社会的な地位が大きく上がった。地方の大名とは格の違う抜きん出た存在になったのだ。六角も二つの強力な大名の仲介をし和議を結ばせたとして権威が上がった。『管領代』の役職が実際に意味を持つことを示したのだ。

 この権威を使い三好は自分たちに反抗的な、もしくは紛争を抱えた勢力に介入し己の勢力に取り込んでいく戦略を取り始める。

 もちろん将軍の臣下として振舞うことを求められ内外に目に見える形で表すことになった。

 尼子も同じく今や旧主君である京極氏を大きく超えて、幕府直臣として堂々と京の都に城を持つに至っている。勿論、臣下としての勤めは果たす。主にそれを担うのは修理大夫、尼子晴久だ。将軍山城を更に増改築し、住居できる郭を設置し京での活動を本格化されるつもりだ。

 尼子が三好、六角と決定的に違うのは、南蛮船をもち日の本の外と直接交易を行い多くの物資を京に持ち込めることだ。いの一番に下京に店を出した。

 山城屋五兵衛やましろやごへえ。尼子のお抱え商人になってから地元の山城国で商いを行い此度ついに店を構えることになった。義久の指示を受け下京の民を相手に商いをする。安く物を売り京の民を尼子に引き寄せる。もちろん公卿、公家にも良き品を売る。

 八雲には大内の職人をはじめとする腕のいい職人がたくさんいるのだ。雲州八雲ブランドが京を席巻することになる。これが義久の狙いだ。天下の懐を握る、経済的に京の都を支配する。敵は…堺だ。

 この経済戦争を仕掛けるにおいて幕府の権威がとても有効に作用する。三好長慶はそれなりに考えもあり堺を己が影響下に置いたがそれでは甘い。堺は独立勢力。宣教師が東洋のベニスと称えた自由都市だ。その気になれば三好相手にも荷止めを行うだろう。だからこそ同じ商いで正面から争う。そして武力も当然行使する。尼子はすぐに動き出している。



 三沢為清は朽木谷にいた。朽木家と話し合うことがあり、義久の名代としてやってきている。当主の竹若丸は数え七つ。よって後見の朽木稙綱(竹若丸の祖父)が側に座っている。

「尼子殿に置かれましては、此度の戦での上様に対する忠義、見事でございました」

 七つながらハキハキと竹若丸は言葉を発した。

「ありがとうございます。ご当主殿のお言葉、必ず主に伝えまする。此度は朽木殿におりいってお話したき事柄があり、罷り越しました」

「うむ、稙綱と話は進めるが良い」

「分かりました。早速ですが稙綱殿、朽木を通る若狭街道を整備し、多くの荷駄が通れるようにしたいということが、尼子の望みにございます」

 若狭領内の街道整備は既に終えている。鯖街道の本筋に当たる若狭街道を京まで整備し輸送力を高めることが尼子の目的だ。淡海の海(琵琶湖)は堅田衆を筆頭に湖族と呼ばれる者たちが水運を握っている。船を持ち込めない尼子はその勢力に対抗する術を持たない。湖族に対するにも、従えるためにも陸路の強化が必要だ。比叡山延暦寺もある。尼子はこれらを攻略対象、敵対勢力とみなしている。

「そのような、朽木を我が物にしようと思っておられるのか!」

 朽木稙綱は語気を荒めた。確かにこの提案は独立勢力である朽木に対して恫喝と取られてもおかしくない内容だ。しかし為清は顔色ひとつ変えず話を続ける。

「尼子は朽木を抑えようなどとは思っておりませぬ。盟約を結び街道を使わせていただきたいと申しているだけ。勿論街道の使用料は納得の行く額を収めますし、いろんな物資についても値引いて提供するつもりでございます」

「しかし、朽木は地の利があり攻めにくい地勢。なのに街道を整備するなど敵に攻めてこいと言っているのと同じこと。そのようなことは出来ませぬ!」

 尼子は勝ち戦続きで傲慢になったか。驕れる者久しからず、今に痛い目をみるぞ。朽木稙綱は一歩も引かない。

「稙綱殿。朽木が攻められれば尼子は必ず兵を出し朽木を守ります。また尼子の戦に朽木を駆り出すことは絶対にありませぬ。六角、浅井に挟まれ結果的に六角に付き従っている今の状態をいかにお考えなのですか。尼子は六角のように朽木を己の都合のいいようには扱いません。先程も申したとおり盟約を結びたいと思っております。対等な条件で」

「坂本にお山(延暦寺)はどうするのだ。朽木の先も街道は続いておる。場合によっては堅田も何がしらの圧力を掛けてくるやもしれん」

「坂本、延暦寺は黙らせます。今や尼子は上様の直臣、天下の副管領であります。幕府に楯突く有象無象の者共は叩き潰すまで」

「…まことか?」

「はい、尼子は南蛮船を持ち商いを自ら行う武家であります。坂本の商人など問題ではありません。それに我らは大国主命の加護を受けております。仏の慈悲は必要ありません。あのように堕落した坊主しかおらぬ叡山こそ、仏罰が落ちるのではありませんか」

 平然と叡山をこき下ろし敵対することも辞さないという為清を、信じられんという表情で朽木稙綱は眺めていた。これが尼子か。

「そこまでして京に何を運ぶのじゃ」

 その答えに稙綱は愕然とする。

「関所を通らず税が乗っていない安い物を、京に届けることができます。食うに困っている民百姓に安く食べ物を分け与えることができます。民百姓を食えるようにする。これが尼子が一番にしたいことであります」

 そのような事、考えたこともなかった。考えているのは常にお家の存続。自分の思考の埒外から飛んできた答えに、稙綱は器の違いを感じた。

「竹若丸様、朽木は尼子と盟約を結ぶべきでございます。この盟約必ず朽木に利をもたらしましょうぞ」

「うむ、わかった。尼子殿、よろしく頼む」

「はっ。こちらこそよろしくお頼み致します」

 尼子と朽木は盟約を結んだ。神西元通が現れ、若狭街道の整備が直ちに行われる。

 手際の良さに朽木勢は驚いていた。



 小浜のある武家屋敷に一人の男と数名の部下がやってきた。その男の名は加藤政貞。尼子の裏仕事を取り仕切る者。長らく山陰道を仕事場としてきたが、主の命を受け若狭にやって来た。

 これから仕事場は畿内になる。顔の表情が殆ど変わらない。屋敷の掃除をもくもくと行っている。だが心の中は新たな任地での仕事を控え少し昂っていた。

 ついに尼子が、御屋形様が京に昇られた。天下を尼子が掴もうとしている。嬉しさが込み上げる。これからも人知れず、尼子のために、御屋形様に楯突く罰当たりな輩に天罰を下していくのだ。失敗は許されない。今まで以上に慎重に事を運ばねばならぬと、加藤は自分に言い聞かせた。





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