第86話 1555年(天文二十四年)7月 北白川
七月九日の夜。朝と同じ報告を受けることになった松永久秀は直ちに動いた。
「摂津守(安宅冬康)殿に伝えよ。直ぐに蹴上に向かい兵糧の確保と賊の討伐をお願いするのだ。急げ!」
長慶の元に向かいながら久秀は考える。
(将軍山は落ちる…今日落ちなければどうなる?落とすのが長引くと何が起きるのだ)
すると浮かんでくる思考。
(幕府が威光を取り戻し従う大名が増える。特に地方の者共が上様の権威を欲しがるだろう。己の支配を正当化するために)
この状況はよろしくない。やはり是が非でも城は二つとも落とさねばならない。ここまで考えが至って、松永は長慶の前に膝まづいた。
「申し訳ございません。またも荷駄が襲われました。今摂津守殿に伝令を送り兵糧回収と賊の討伐をお願い致しました」
長慶は近習に城攻めの進捗を聞く。
「はっ、未だどの郭も落ちていません」
「皆に伝えよ。必ず明日までに城を落とせと」
近習が出たあと、長慶は久秀に言った。
「何度も同じ手は通じん。次こそ荷駄を連れてくるのだ。冬康を使い荷駄を守れ」
「はっ。その様に致しまする」
続けて安宅冬康に伝令が飛び、蹴上での作戦とは別に荷駄防衛部隊を編成し、大山崎に向かわせることになった。安宅冬康はすぐに千の足軽を大山崎に送った。蹴上で賊刈りを行っている兵士も五百ほどいる。だが賊は見つかっていない。民百姓を蹴散らして荷駄を確保したが、殆ど米はなかった。一体何が起こったのか、逃げてきた人足たちは鬼が出たと言って震えている。追加で五百ほど蹴上に送りだした。時刻は戌の半刻(午後9時)だ。
「上様、尼子の素っ波が知らせを持ってまいりました」
「ほう、言うてみよ」
「はっ、今日の朝、三好の荷駄を遅い兵糧をすべて奪ったとのこと。そして先程も蹴上にて荷駄を襲ったとのことであります」
細川藤孝の報告に一同おおっと喜びの声を上げた。
「上様、申し上げたき儀がございます。某に三好の様子探らせていただきとうございます」
「ほう、探ってどうするのじゃ」
「討ち入る隙があるならば今宵、夜襲をかけまする。食い物がない大軍は士気も低くいでしょう。ここで更に追い打ちをかけるが得策かと」
「うぬ、与一郎。やってみよ」
細川藤孝は出ていきながら考えを巡らす。
(尼子も横やりが欲しいと見える。確かに好機だ。今後の為にもここらで尼子に恩を売っておくべきだな)
藤孝は如意ヶ嶽の麓に布陣する三好の様子を計るべく物見を放った。戻ってきた物見は陣から兵が多く出払っていることを告げる。
「上様、是非夜襲をお仕掛けくださいませ。今三好の足軽が賊退治に駆り出されております。陣は手薄、好機にございます」
「よし、下野守(三好政勝)、与四郎(香西元成)、与一郎(細川藤孝)。軍を率いて夜襲をかけよ!」
「はっ」
亥の刻(午後10時)、幕府軍は如意ヶ嶽城を出て三好の陣に夜襲をかけた。賊の対策に二千の兵を取られ慌ただしく事が運ばれていくなか受けた夜襲は、効果てきめんの奇襲となった。安宅冬康配下の三好軍は大いに混乱した。布陣後戦闘も無く、緩んでいたのかもしれない。
兵たちは北に向かって敗走した。三好長慶の本陣の方に逃げて行ったのである。何たることか、長慶率いる軍は将軍山城攻略に全力を注いでいたので本陣が手薄になっていた。三好政勝たちはこの隙を感じ取った。
「進め!敵は寡兵ぞ。押し込め!」
「本陣まで突き進め!」
長慶の本陣も慌てた。このままでは長慶が危ない。
本陣を急遽北に移動させ城攻めを行っている兵を呼び戻す。
結果的に将軍山城を攻めていた全ての兵が北白川に戻ってしまった。三好政勝、香西元成は包囲される前に軍を纏め城に戻った。如意ヶ嶽城は戦勝に大騒ぎである。
「者共、今日は飲め!」
足利義輝は酒を兵達に振舞った。
七月十日の朝になっても荷駄は届かなかった。人足不足で荷駄を運ぶ事が出来なかったのだ。
将軍塚が鳴動し、蹴上に鬼が出て三好の荷駄を襲ったという話はあっという間に拡がり、人足が集まらない。昼頃に運べるだけの荷駄を運んだが、二万をゆうに超える兵達の胃袋はとても満たせなかった。
そして乱取りが始まった。
必ず今日中に城を落とせと命が下りしゃにむに城を攻めていたら、本陣に尼子兵が殺到してるという。直ぐに本陣を守れと新たに命を受け城から離れ向かったものの、混乱した味方の兵が溢れ、敵がどこにいるか分からない。落ち着いたら尼子兵は如意ヶ嶽に戻った後だった。
今更城攻めを再開できるでもなく、ウロウロしていたら日が昇った。だが米がない。こんなに疲労困憊なのに食うものはないのか。昼頃になってやっと荷駄が着いた。これで飯にありつける…たったこれだけ?一口で終わってしまう。それすら貰えなかった者もいる。
誰かが叫んだ。
「村にいくべ。田んぼと畑もあるしそこで食べればええ!」
「そうするだ!取って食えばええ!」
兵達は北白川の村々に移動していく。
「まて!勝手なことをするでない!」
足軽の長が制止しようとするがもう止まらなかった。
三好長慶を始めとする武将たちは、我先にと乱取りに励む兵達を苦虫を噛み潰したよう顔をして睨んでいた。
三好が将軍を追放して二年、なんとか京の政を行ってきた。朝廷も寺社も商人、民百姓も次第に三好を為政者として受け入れつつある。このまま幕府の影響力を削ぎ、足利の代わりに三好がなることも考え出した矢先に今回の事態が起きた。
京は三好の支配が及ぶ場所だ。そこで乱取りが起こるとは、まして攻め込んてきた他国の軍勢が乱取りを行っているのではない。三好の足軽が行っているのだ。京雀はさえずりだすだろう。
「三好はんも結局同じですな。儂らから搾り取る事しか考えておらへん」
この乱取りは思った以上に高くつくかもしれない。
七月十一日の朝が来た。
「申し上げます。東山の北東、高野川沿いに尼子兵二千、陣を敷いております」
「なんだと!!」
「いつのまに城を降りたのだ」
「それが、どうも新手の様です。真新しい馬印が掲げられております」
「後詰めがやって来ただと」
長慶が眉間に皺を寄せる。籠城方が勝つには後詰めがとても重要な役割を持つ。来るだけで城兵の士気は上がる。今の戦況で幕府が新手、将軍山城、如意ヶ嶽城の三方向から仕掛けてきたら厳しい戦いになる。尼子の新手に攻めかかり退かせるのが最上の策か。兵達の腹は膨れたか?尼子を押し返すほど士気は戻ったか?
「弾正、兵どもの様子はどうじゃ」
「はっ、腹はボチボチ膨れましたでしょう。休みも取れましたし、戦は可能でございます」
松永久秀は戦いは可能と見て長慶に答えた。
「では皆を呼べ。軍議じゃ」
新手の尼子兵に全軍をもって当たる。城から兵が出てくるので後ろを守りながら戦う。進んで挟み撃ちになるような戦い方だが野戦であり敵を囲みやすい。ここで松山重治が意見を出した。
「讃岐守(十河一存)様が率いる軍勢が東山に潜み、寄せてきた幕府軍のうち上様の軍を後ろから叩くというのはどうでしょうか。上様を引かせば敵軍は混乱するかもしれません」
軍議を始めて少し経った頃、急ぎ駆けてくる伝令が場に入ってきた。
「申し上げます。三好豊前守(実休)様率いる軍勢、若狭にて尼子軍に惜敗。三好山城守(康長)様鉄砲を受け負傷。尼子軍は鯖街道を南下、京に迫っております。その数七千」
「具体的に申せ、何があった」
松永久秀は声を荒げた。
「我が軍勢、後瀬山城の近くまで進みましたが尼子軍が陣を敷いており、要らぬ戦を避け京に向かっているところ南川と久田川の合流地点にて伏兵による攻撃を受け、敗色濃厚となりました」
「陣を敷いて待ち構えていただと?!」
「はっ」
「端からこちらの動きを知られておる」
居並ぶ面々はそれぞれいろんな反応をする。赤い顔、青い顔になる者。手を握り締める者。身体を揺すり始める者。一点を見据える者。
「なぁ、謀られてるんじゃねーか」
これが鬼だ。戦に関して勘が鋭い。そしてその勘は的中する。
「申し上げます。尼子軍、丹波の八木城に現れました。城を素通りしたので松永蓬雲軒宗勝様、城から討って出て戦っております。旗色が悪いとのことであります。数は四千」
軍議の場が静まり返った…
重苦しい沈黙を三好長慶がやぶる。
「上様という美味い餌に誘われた儂らは大きな網に取り込まれてしまった。もうやるしか」
「申し上げます、管領代殿の使者と申す者が、殿にお目通りを願っております」
一同、一斉に伝令を見る。ここで動くか六角義賢。この使者は天の助けか、冥土への案内人か。
長慶の目が大きく見開かれ口が動いた。低い声が響く。
「直ぐにお通ししろ」
後に『北白川の戦い』、『将軍山城の戦い』と呼ばれる戦が、終わろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます