第85話 1555年(天文二十四年)7月 将軍山城 其の三

 七月九日の朝、届くはずの荷駄が届かず物見を出した松永久秀は戻ってきた物見の報告に一瞬声を詰まらせた。

「荷駄が襲われ米を全て失っただと!」

 物見が見たものは野晒しになっている足軽の死体だけだった。

「誰が米を奪っていったのじゃ。あの量の米が全て無くなったのか」

「周りの者に聞いたところ、多くの乞食や女、子供共が荷駄に群がっていたとのことでございます」

「兵を見たものはおらんのか」

「はっ。兵らしき者を見た者はおりませぬ」

 松永久秀は考える。兵がおらんなどあり得ぬこと、乞食に扮した手練れが中心となって荷駄を襲ったのだ。乞食、河原者…そうか鉢屋か!

 そして嫌な考えが鎌首をもたげる。一体どれだけの鉢屋衆が京にいるのかと。下京など下賤な者共の巣窟ではないか。上京にもそれなりにいるというのに。

 これでは尼子は何時でも下京から不意打ちを行う事が出来る。下京を封鎖でもしない限り不意打ちを防ぐことはできぬ。


 銀兵衛は出雲、伯耆、石見だけでなく安芸、備後、備中、美作、長門、周防の鉢屋衆に声をかけていた。京で面白い事が起こる。一緒に来ないかと。

 尼子と毛利が盟約を結び陶晴賢は滅んだ。山陰、山陽は戦がほぼ起きない場所になりつつある。民百姓は大喜びだ。だが泰平の世で生きづらい者もいるのだ。鉢屋のように。それなりに沢山の鉢屋が京に上った。三百人はいる。これらはまんま尼子のゲリラ部隊と化す。


 極めて深刻な事態に直面し松永久秀は直ぐに三好長慶に報告した。

「弾正よ、兵糧はいつまで持つのだ」

 長慶の問に答える久秀。

「普通に食べれば今日の夕餉まで。倹約すれば明日までは持ちまする」

「それだけか、ならばなんとしても兵糧を手に入れねばならん」

 北白川での軍事作戦ということで三好は兵糧を多く持参していなかった。随時運び込める状態にあるので気にもしていなかったのだ。

 荷駄の道を変更する。大山崎から淀を通り宇治川沿いに六地蔵まで向かう。そこから山科盆地を北に向け蹴上を通って北白川に至る。結構な大回りだ。

 糧食が尽きるかもしれないという噂が三好軍の間に広まり始めた。届くはずの荷駄が襲われ兵糧が届いてないことが兵に知れ渡っている。軽い不安が兵達の心に湧く。朝餉の量が減らされた。夜通し戦い暫しの休息に入ったのだが少ない飯に気勢が削がれる。この戦は自分たちが押しているはず、あと少しで将軍山は落ちるはず。武将達は兵を奮い立たせ、七月十日の戦が始まる。


 昨日と同じ三方向に加え、夜襲をかけた東の郭にも攻め込んできた。まさに力攻め。最も激戦が繰り広げられたのは虎口だ。三好の長竹束がさらに伸び、鉄砲隊が出張ってきて虎口に鉄砲を撃ち込んできた。尼子も鉄砲を集中し応戦する。硝煙の匂いが立ち込めむせるほど。虎口の門はボロボロになっていく。

 じわりじわり三好の竹束が近づいてくる。そして飛んできた、火矢が。これはまずい。三好は将軍山城を無くすつもりだ。まだ数は少ないがこれから増えるであろう。消火作業が加わると攻め手が減る。案の定、火消しに追われ尼子の攻撃が鈍る。

 先頭の竹束が虎口まで五段(約55m)ほどに迫った。あと少しだ。尼子も間断なく鉄砲を撃つ。焙烙玉を使いたいが城も焼けるので投げることはできない。弩も放っている。しかし三好の執念が勝ったか。更に竹束は近づく。

 虎口から五人の鉄砲足軽が出てきて素早く鉄砲を構え火蓋を切る。五つの竹束が倒れていく。すぐに後ろから十名ほどの足軽が出てきて鉄砲を放った。弩を持った兵が出てきて両横に広がり矢を放つ。三好兵の前進が止まる。

 十名ほどの鉄砲足軽は新たな十名と入れ替わる。三好兵が近づいてきたので竹束で鉄砲玉を防ぎきれない状況が生まれていた。特に五名の足軽が持つ鉄砲は確実に竹束を貫く。撃たれた三好兵は倒れる。竹束で防げないという認識が兵たちに拡がり足がすくむ。

「突撃!おおおおー!!」

 槍を持った尼子兵が出てきて三好兵に突撃した。左右に拡がっていた弩を持つ兵たちも槍に持ち替えて突っ込んでくる。尼子は白兵戦を選択した。打って出る、勇気ある選択だ。一歩間違えば侵入される。しかし横道兵庫介は躊躇わない。今まで戦ってきた戦場が教えてくれる。戦の綾を。勝負の機微を。間違えたら間違えたでその時だ。迷いこそが禁物。

 尼子の果敢な攻めに三好兵は不意を突かれたか、来た道を下がっていく。尼子兵は攻めると同時に目障りな長竹束を倒していく。

 

 三好兵を指揮している岩成友通も必死だ。自分たちが修築していた城を横取りされた岩成の面目は丸つぶれだ。処罰を受けてはないもののこれ以上失態を繰り返すと流石にまずい。それに岩成自身も雪辱に燃えている。必ず将軍山城を取り戻す一念で兵たちに激を飛ばす。

「引くなー。代わりは充分おるのだ。引かずに立ち向かえ。代わりながら尼子に当たれ!引くでなーい」

 大きな声を上げ兵を鼓舞し戦線を維持しようとする。よって見つかった。

 ダーン!

 一発の鉄砲玉が岩成を貫いた。

主税助ちからのすけさま。こちらへ!」

 兵に支えられ岩成友通は後ろに下がる。尼子兵はすかさず大声を出す。

「敵将が逃げたぞー!!」

「逃げたぞー!!逃げたぞー!」

 繰り返される兵士たちの咆哮に、先程まで自分たちを盛り立てていた自軍の将が居ないことに気付く三好兵。士気が…下がり始めた。

「下がるな!戦え」

 共に戦っていた松山重治、伊勢貞孝が声を出すがもう士気を持ち直せない。

(岩成はどうした。なにがあったのじゃ)

 兵士がやって来て松山に告げる

「主税助様、鉄砲玉を受けお下がりになりました」

「なんと、生きておるのか」

「まだお命は保っておられます」

(鉄砲玉を受けただと?まさか狙いをつけて撃てる者が尼子におるのか?!)

 だんだんと押されていく三好兵を見ながら松山重治は決断した。

「一旦引けー!」

「引けー、引けー!」

 三好兵たちは狸山谷に下がっていった。


 虎口からは追い返されたものの、三好の攻めは執拗に続いている。なんとしても今日中に城を落とさんとする気迫が見える。

(これで荷駄が着けば士気は上がり、休息も取らすことができる。乗り切れるか?うむ、いけるな!)

 三好長慶は視線を如意ヶ嶽に移した。

(上様。こうなったからには身の振り方を考えていただかねばなりませんな。良くて蟄居、妥当な線は放逐ですかな)

 この戦が終わったあと如何に後処理をするか、長慶は考えを深めていった。



 酉の下刻(午後7時)頃。三好の荷駄隊は蹴上に差し掛かった。左に華頂山を見ながら荷駄は坂を登る。ここ迄くればもうひと踏ん張り、坂を下れば北白川はすぐだ。

 日はもう沈む。華頂山の東を進むので三条通は既に暗い。夜の帳が降りてきて時、不気味な低い音が聞こえてきた。太鼓が鳴る音のよう、華頂山から聞こえてくる。誰かが怯えた声を上げる。

「しょ、将軍塚が鳴っているーーーー!」

 将軍塚。華頂山の頂上古墳。平安の頃より将軍塚と呼ばれるようになり天変地異や争乱が起こる前に地鳴り、山鳴りがするという。足軽、人足問わず荷駄隊の面々は恐れおののき、足が止まる。坂の頂上に何かが現れた。一つ、二つ…何かは増える。ゆらゆら揺れている。そして。

「オオオオ…」

 次々と低い声を上げた。ガサガサと林から音がする。違う何かが来る?!思っていたら本当に何かが飛び出してきた。もう限界だ。足軽、人足関係なく荷駄を放置して逃げ出した。

「鬼じゃー!鬼が出たー!!」

「喰われる、喰われるぞーーーー!」

 坂を転げ落ちながら逃げていく。

「こらー逃げるなー!荷駄を運べー!離れ」

 声を上げていた足軽頭の頭がストンと落ち血柱が立った。

「ヒッ、ひいいいいいいーー首がもげたー」

「嫌じゃー死にとうない!!!!」

 荷駄の先頭から後ろにかけて錯乱状態が伝播していく。首を飛ばされる足軽が増えていく。首が飛ぶごとに混乱は加速する。

 荷駄を残し足軽と人足は南に向かって逃げていく。すると坂の上から腹を空かした民百姓が降りてくる。

「本当じゃ、米じゃ、米があるぞーーー!」

 誰かが叫んだ。坂を民百姓が降りてくる。転げ落ちてくる。増えていく、増えていく。

 今度は民百姓が興奮状態だ。



 またしても三好の米は北白川に届かなかった。








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