第55話 1551年(天文二十年)8月27日 安芸、そして備後、備中

 八月二十七日、安芸国、高屋保たかやほにある頭崎城かしらざきじょうに向かう毛利元就に備中国、三村家親から急ぎの知らせが入った。

「新見庄が尼子に占領されただと」

 元就とともに出陣中の毛利家当主、毛利隆元が驚きの声を上げる。

 元就は知らせを聞いたあと目をつぶり思考を巡らせていた。

(二月ほど前、長海ちょうかいからの知らせに新見のことは記されてなかった。極く秘密裏に事が運ばれたのか、長海が露見したのか…)

「攻め手は誰じゃ」

「分かりませぬ。尼子の兵は黒一色の鎧に金の筋が入った甲冑を着ているとのこと。種子島も多数持っております」

「金の筋…」

「尼子は焙烙玉を大量に城に投げ込みその隙に城門を突破し、城を落としました。焙烙玉の数が尋常ではありませぬ」

「軍勢の数はいかほどか」

「…二千は下らぬかと」

「確かな数はわかっておらぬのか」

「申し訳ございませぬ。突然の事ゆえはっきりとした数が掴めておりませぬ」

 隆元はこれ以上のことは聞いても分からないだろうと伝令を下がらせた。

「父上、いかがされます」

 元就は目を開いた。

「今安芸より備中に軍を送ることはできん。三村家親と庄為資で新見を奪還させよ。備後の三吉、山内、久代宮に新見庄に出陣し圧力をかけよと伝えるのだ。頭崎城の攻略は予定通り行う」

 むう、この時期に見計らったように新見に出張るか…まだ時がいるのう。尼子は待ってくれるかのう。

 井上一族を粛清し吉川興経を討取り、家中を盤石にした。陶の申し出を受け入れ謀反に加担し、安芸国を完全に掌握するのも目前だ。しかしまだだ。まだ大内の国衆の域を脱してはいない。安芸、備後、備中を従えるだけでは足らんのだ。

 元就は少し息を吐いた。まだ時は残っている。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 新見国経は千五百の兵を引き連れ新見庄に入った。天文十六年十月、新見を去ってからほぼ四年ぶりだ。この間出雲、伯耆で尼子の治世を学んできた。三郎様は必ず新見を取り戻す故、それまでしっかりと学べと言われた。そしてついにこの日を迎えた。万感の思いが心に満ちる。今日から再び新見庄の代官として政に励むことができるのだ。

 領民たちに沙汰を出す。

「今年の年貢はとらん。来年、再来年はは五公五民、その次から四公六民とする。庄内の座はすべて廃止する。代わりに楽市を設ける。検地を行い田を整理し正条植えを行う。戸籍を作り領民の登録を行う」

 今まで習ってきたことをそのままこの地で行うのだ。儂は尼子の代官、もう幕府の代官ではない。連れてきた軍勢の引き継ぎは終わった。熊谷新右衛門殿が軍を引き連れ東城に進軍する。

 さて、これからが忙しいぞ。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 小笠原長雄は軍勢千五百を引き連れ三次に向かって進軍していた。長雄は温泉津の整備を担当し必死に働いてきた。今までの人生の中で一番働いたと言っていい。なんとか上手く町を造ることができ、今や山陰道で一二を争う宿場町、花町になっている。やれやれ、やっと一息つける、自分が造った温泉に入ってゆっくりしようと思っていたが、そうは問屋が卸さない。総大将として三次に出陣せよとの命が下った。今回なんと九郎四郎様(三郎様の弟君)の初陣も兼ねるという。長年横田の副代官を勤めておられた森脇市正久仍もりわきいちのかみひさより殿が九郎様の近習に就かれた。九郎様は八雲から五百の輜重隊を率いて儂の軍に合流なされた。

「弾正少弼、よろしく頼む」

 齢六歳の九郎様が訪ねて来られ着陣の挨拶をされた。多いに慌てた。

「ははっ、小笠原長雄、九郎様の初陣を必ずや勝ち戦に致しまする」

 うむ、と頷いた九郎様の腹の虫が鳴った。すまぬ、と仰っしゃいながら輜重隊に戻って行かれた。よく食べると聞いたが真のようである。

 此度の出陣は三吉が新見に出陣しないように足止めすること、陶の謀反による備後の動揺を増幅するの二つじゃ。出てくるようなら討ってもよいが、こちらからは手は出すなと御屋形さまから指図を受けている。今後このように兵を度々動かすとも言われておる。三郎様は【演習】と言われておったな。大きな戦が近いのかもしれんのう。

 ま、本音をいえばさっさと退陣して温泉につかりたいんじゃが。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 三村家親みむらいえちか庄為資しょうためすけは八月三十日、尼子軍に占領された石蟹山城と鯉滝城を取り返すべく出陣した。三村家親はともかく、庄為資は何故三村の城を取り返すため出陣せねばならんのかと多いに不満であったが、主家毛利隆元の指示ならば従うしかなく渋々兵を出した。

 三村が千人、庄が二千人。兵数も三村より多い。三村は新見から兵を集めることができず甲籠城、塩城山城との連絡も寸断されていた。尼子は新見庄以外の領地には侵入していないので甲籠城、塩城山城はまだ三村側の城であるが飛び地となり実質、統治不可能である。

 三村家親はどうすれば城を取り戻すことが可能か考え続けていた。連弩、鉄砲、焙烙玉。尼子の戦は、数の暴力だ。軍略も謀もあったものではない。己が行ってきた戦を踏みにじられるような感覚を受けながら出した結論は奇襲。確かにそれしかないだろう。石蟹山城の西には細い道が通っている。遠回りになるし大軍を動かしづらいが、山が兵を隠してくれる。まともに当たっては城に取り付く暇など無い。家親は庄為資に策を提示した。

「我が軍勢が石蟹山城の西から攻めかかる。夜のうちに進軍し夜明け前に攻撃を開始する。備中守も東から小阪部川伝いに進み、夜明け前に攻めかかっていただきたい」

 庄為資は不満げな顔をしたが家親の策を受け入れた。適度に攻めて尼子の注意を引けば良い、勝っても城を手に入れることはできないであろう。ならば兵を無駄死にさせるわけにはいかない。攻め込む日は九月一日の早朝と決まった。

 三村、庄連合軍は新見往来を北上し井倉で二手に分かれた。庄軍は東に、三村軍は反対の西に向かう。四里と四分一(17km)ほど進むと石蟹山城の西に着く。そこから城に続く道はなく林を駆け上がらなければならない。


 庄為資が小阪部川に沿った道を石蟹山城に向かって進んでいると高梁川との合流部の向こうに櫓が見えた。高梁川に沿って3台ある。その下には長い屋根?がこれまた川に沿って築かれている。たった数日のうちにこれだけの建物が造られているのを見て為資は驚いた。しかしここまでわざわざ来たのだ。何もせず帰るわけには行かない。三村の手前臆したと思われるのも癪だ。

「者共、かかれーっ」

 為資の号令の下、足軽たちは駆け足で向かっていく。


 バーン!


 大きな音が一度響いた。先頭を走っていた侍大将が突っ伏した。


 バーン!!


 また一度だけ大音が響いた。今度は先頭ではなく少し後ろにいた侍大将が倒れ込む。

 足軽たちの足が止まった。櫓から煙が漂う。川向うの櫓までは一町以上ある。

 川に架かった橋を尼子兵が駆け足で渡ってくる。渡ってしばしこちらに向かってきて立ち止まり鉄砲を構える。そして撃つ。


 パン、パンパパン、パパンパンパン


 櫓からも引き続き煙は上がる。どんどん音が大きくなりそれと共に倒れる足軽が増えていく。弩をもった兵もいる。鉄砲に混じって矢も飛んできた。足軽たちはジリジリと後退しだした。尼子兵は増えていき鉄砲足軽が横一列に並び始めた。膝をつきしゃがむ。そして、太鼓の合図で一斉に鉄砲が火を吹いた。庄為資の軍はもはや耐えきれず、足軽たちは我先にと逃げ出した。

(何だ今のは。あの距離で玉が当たるのか一町以上離れていたはず…聞いてないぞ)

 庄為資は元から士気が低いのでもう松山城に帰るつもりだ。後ろを見ると尼子軍が追ってくる。なに、追ってくるだと。なぜだ、我らを殲滅するつもりか!

「者共、早う引けー!!」


 隊列を組み尼子軍は庄氏の軍勢をしばらく追いかけた。

「全体、反転」

 声がかかり隊列は百八十度進行方向を変えた。

「一旦砦に戻り装備確認。半刻後出陣する」

 尼子軍は次の作戦へと移った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る