第54話 1551年(天文二十年)8月28日 山口

 三条公頼さんじょうきんよりは何が起こっているのか全くわからなかった。昨日の夜、大内義隆とともに築山の館で能の興行を鑑賞し、さて帰ろうかとしたところ、陶隆房が謀反との知らせが入り築山の館は蜂の巣をつついた大騒ぎになった。義隆は屋形は平地であるので防戦に不利とみなし法泉寺に引くという。これは…どういうことじゃ。このままでは帝の行幸など出来はせぬ。もしや行幸をさせまいと動いた者がおるのか。どいつじゃ。考えてみたが今はそれどころでは無い。このままでは隆房の兵が押し入ってくる。どうすればいいのじゃ。

 とりあえず義隆に付き従い寺まできたものの陶の軍勢は一万にも及ぶというのに寺におる兵どもは集まったそばからどこかに逃げていきよる。このままでは兵がいなくなるぞよ。胃の腑がキリキリ痛み口が乾く。大内の館やその周りでは陶に従う足軽共や野盗どもが跋扈し略奪、陵辱を行っているという。夜になったが食い物も出てこない。頭がふらふらする。逃げる兵たちは更に増えた。ここも持ちそうにない。義隆は夜明け前に山口を去るという。どこに行くのじゃ!?アテがあるのか。動けず立ち尽くした儂に声が聞こえた。

「太政大臣様、お声がけをお許しください。このような有様なのでまずは私の申すことをお聞き願います」

「だ、誰じゃお前は」

「太政大臣様、ここはもう持ちません。私に着いてきてくださいませ。必ずお助け申し上げます。東儀兼康とうぎかねやす出納弘明すいとうひろあき櫛田宗次くしだむねつぐも私共のもとにおります。ささっ、早く」

 儂が都より呼んだ三名の官吏の名前をこの者は口にした。偶然か?いや違う。知っている。この者は、儂が何をしていたか知っている。

 得体のしれぬ男だが今は生きるか死ぬかの瀬戸際じゃ。かけてみるか。

 その男に従い儂は法泉寺を後にした。


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 こんなことが…大内様のお力で守られていた工房が略奪されつくし、火をかけられ燃えていく。京の都で起こった乱のせいで日ノ本各地に散らばった我らは、山口の地で大内様の庇護のもと大陸の技を取得し、新たな織物を作り出した。祖となる大陸のものに勝るとも劣らぬこの織物、これから日の本に拡げていこうと思っておったのに…

 このままでは儂らの命すら危うい。逃げねばならぬが逃げるあてがない。女、子供もいるというのに!

 気ばかり焦りなんともならぬ我らに、声を掛けてくれる御仁がいた。

「ここにおるのは織物の職人さんたちかのう。悪いことは言わん、儂に付いてきんさい」

 そう言ってその御仁は懐から木札を取り出した。

「儂は出雲国、杵築大社の御師じゃ。大国主命さまが居らせられる出雲にきんさい。なーんも心配せんでええけ、だまってついてきんさい」

 杵築大社の御師は、最近よく見るようになった。杵築詣でにいく人もちょくちょく見かける。なんでも杵築の南にエライ大きな城を建てとると山口でも噂が流れていた。

「儂らが行っても暮らすとこはあるんか?」

「あるとも、尼子様は塩冶と今市と大津をまとめてそれは大きな町を造られた。山口みたいに立派な町にしたいちゅうとるけん、あんたらみたいな職人さんはきっと喜ばれる。直ぐに暮らすとこも仕事も見つかるけん」

 どうせ行くあてなどない。ならばこの御師にかけるか。

「あんたらだけじゃのうて漆職人さんたちも、出雲に向かうと言っとったけ。知り合いがおりゃ気も楽じゃろう」

 そうなのか、ならば決めた。

「みんな、気張って出雲まで行こう。できることなら出雲でもういっぺんやり直そう」

 儂たちは御師に先導され出雲に向かった。


 萩は陶隆房と対立する吉見正頼よしみまさよりが治めている。よってここに来れば山口のような火付け、乱取りは行われないであろうと思った民百姓が逃げてきていた。その中に尼子の忍び横田衆も混じっている。棟梁の横田左近よこたさこんも山口から機織り職人たちを連れて萩まで来た。今から湊に向かい朱印船に乗る。主がなぜ船の名前を朱印船と名付けたのか分かる由もないが、大国主命の生まれ変わりである主のこと、きっと深い意味があるのだと思っている。

「みなよう頑張った。もうすぐじゃけ。今から船に乗るけんのう」

 ずいぶん出雲弁も上手くなった左近が百人近い職人とその家族を連れて湊に向かう。

 湊には三艘も立派な船が泊まっており杵築の御師がそれぞれ連れてきた人々を船に乗せていた。

 横田衆は大寧寺の変が起こる一年ほど前から周防、長門に対する諜報活動を活発に行い始めた。目的は陶隆房の動向と主に山口に住んでいる大内が庇護する職人たちの把握だ。半年前から出雲に迎える職人たちの選抜と逃走経路の設定を行い、その予定通りに職人移送計画を実行中だ。来月には雲州八雲城の落成式とそれを記念した連歌会、領民に対しての城のお披露目と祭りが控えている。この催しについても杵築大社の御師が一年前から諸国に拡めている。全ては主の導きによるもの。左近は心の底から尼子三郎四郎様に仕えて良かったと思う。自分たちの仕事に正当な評価をしてくださり家中での地位も高い。今回も大内の職人を出雲に連れてくるという大役をまかされた。儂らが連れてきた職人たちがこれからの出雲で活躍するのだ。なんと喜ばしいことか。

 予定通り船は出発した。向かう先は沖泊おきどまり。まずは温泉津で休み、心と身体を落ち着けて出雲に入ってもらう。主のなんと慈悲深きこと、まさに白兎をやさしく介抱した大国主命じゃ。左近は職人共の呆ける顔を思い浮かべ思わずニヤケ笑いを浮かべていた。


 立派な船に乗せられて着いた先は温泉津だった。織物職人、川田佐平かわださへいとその一行は取り敢えずここで船を降りて、しばらく疲れを癒やせといわれた。

「いや、そう言われても儂らは着の身着のまま逃げてきた身じゃ。銭など一銭も持っておらんぞ」

 杵築の御師はそんな儂らに向かって信じられん言葉を告げた。

「なんも心配せんでええ。杵築大社と尼子様があんたら職人さんの面倒を見ると言ってくださった。銭はいらん。今から宿に行って美味しいもん食べて、風呂に入って二三日、養生しんさい。それから八雲にむかうけん」

 そう言って宿まで案内された。温泉津にはもちろん始めて来たが立ち並ぶ飯屋、宿屋、女郎屋に度肝を抜かれた。四町ほどの間にどれだけの店があるんじゃ。人もたくさん歩いている。ふらふら酔って歩いている男衆も結構おる。こんな盛場は山口にもなかったぞ。

 儂らは人混みを抜けて少し高い所にある静かな宿屋に案内された。なんでもまだ出来たばかりだそうで、部屋の中は新築の匂いがした。風呂も蒸し風呂ではなく温泉を運んできているとのこと。湯船につかるなんてなんと贅沢な!いったい宿代がいくらになるのか考えると恐ろしくなった。しかし傍から子供たちがはしゃいでおる。お腹が空いた、お風呂に入りたい、おやつが食べたい、ここなに??といって走り出す童もいる。こら!静かにせんか!

「おー童は元気じゃのう。冷たい瓜でも食べんさい」

「わーい」

 仲居さんが持ってきた瓜に群がる子らを見て心が和んだ。


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 職人たちが来る前に静かに萩の湊をでた船は杵築の湊についた。船着き場には立派な牛車が四台待っている。そのうちの一台は特に立派だ。

 三条公頼は京を遠く離れ、山口でもないこのような田舎に都で乗っても遜色ない牛車が4台もあるのに驚きを禁じえなかった。

 牛車の前に二人の男が立っていた。これは神官か。一人の男が挨拶を述べる。

「太政大臣様。よくぞご無事で。私は出雲国造、北島雅孝きたじままさたかでございます」

「同じく国造の千家高勝せんげたかかつでございます。これからはこの出雲の地にて太政大臣様をお護りする所存。いずれ出雲守護、尼子晴久もご挨拶に参ります。まずは杵築で旅の疲れを癒やしてくださいませ」

 四人はそれぞれ牛車に乗り宿舎へと案内されていった。

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