第53話 1551年(天文二十年)8月 備中国 鶴首城

 鶴首城かくしゅじょう城主、三村家親は城下の居館に毛利隆元の使者を迎えていた。使者は九月末から十月はじめに出雲の城にて連歌界の第一人者、宗養そうようを招いての連歌会が行われれこれを期に尼子が新しく築城された城を領民にお披露目するとの話を伝えてきた。よってこれに乗じて出雲の新しき城を探るため草を多めに出雲に向かわせろとの指示が下った。

 三村家親はその指示を聞きすぐに草の選抜を指示した。

(連歌会…なんとも風流じゃがちと浮かれすぎじゃろう)

 家親は少し侮蔑を込めた目をして使者との謁見場から退出した。

 天文十八年九月四日、備後神辺城が落城した後、尼子は他国への侵攻を行わず領内開発に注力している。大森銀山から産出される銀を元手に南蛮貿易に励み富を増やしている。そして出雲の塩冶に大きな城を建てだした。城下に町を作り山口に負けぬと人を呼び込んでいる。まさに大内に張り合うように銭を使っている。家親からすれば何と馬鹿げたことを行っているのだ、の一言だ。

 三年前、新見の庄で尼子と戦い結果退却したが、家親は負けたとは微塵も思っていない。確かにあの百姓共は想定外だったがあんなことは何時も起こるわけではない。鉄砲を少し持っているようだが、所詮欠陥品だ。運用するにも銭がかかりすぎる。あの戦で尼子の戦下手が証明された。

 戦が終わった直後は意気消沈していた家親だが月日が立つに連れ気を取り直し今では尼子なんぞ恐れるものぞ、次こそは息の根を止めてくれると立ち直っていた。

 実際新見氏の楪城ゆずりはじょう、伊達氏の甲籠城こうごめじょう、多治部氏の塩城山城しおきやまじょうなど備中北部の主な国衆の城は全て家親が落とし今や備中は三村家と庄家の二家で統治されている。その二家は毛利の傘下だ。

 家親はこのままで終わるつもりはない。庄氏とは争えないが備前の浦上なら遠慮はいらない。隙さえあれば美作にも進出するつもりで準備をしている。尼子が励むように自分も励んでいるのだ。銭儲けではなく戦の準備をしているのだ。驕れるものは足元を掬われるのが世の常だ。せいぜいこの世の春を楽しむが良い。さて兵糧の準備はどうなっているか、確認するべく家親は城に向かっていった。



 八月二十六日寅の上刻(午前3時)。楪城城主、三村親成みむらちかしげ(三村家親の弟)の寝所に近習が走り込んできた。

「殿、敵襲にございます」

「なんだと!誰じゃ」

「わかりませぬ。三の丸に焙烙玉が投げ込まれ火がついております。火を消そうにも玉の数が多く消したそばからまた火がついております」

 焙烙玉じゃと。村上…ばかな水軍衆が来るわけがない。

「敵の数はいかほどじゃ」

「わかりませぬ。搦手口には敵がいないのでそれほどの数ではないはず」

「二の丸から見えぬのか」

「まだ日の出まで時があるのでよう見えませぬ」

 昨日の夜に軍勢が動いているという知らせはなかった。どこから軍がやってきたのだ。親成は甲冑を身に着けながら考える。

「尼子か…城の普請で忙しいはず。じゃが」

 親成の思考は入ってきた足軽の知らせで途切れた。

「三の丸落ちました。敵勢二の丸に向かっております」

「簡単には二の丸は落ちん。くい止めろ。富谷大炊助殿に使いを出せ」

 楪城の南十二町(1.3km)の距離に朝倉城がある。楪城の出丸と言っていい城だ。富谷大炊助は朝倉城城主だ。

 もう三の丸が落ちただと。早すぎる。だが二の丸と三の丸の間には大堀切がある。簡単には登れん。甲冑を着込み槍を携えた親成は本丸を出て二の丸に続く帯曲輪に向かった。二の丸に近づいたとき中の足軽たちが倒れていくのを見た。倒れ方を見て気づく。矢が飛んできている。しかも大量に。二の丸の上から矢襖が落ちてきている。そして焙烙玉も飛んできた。二の丸の中で爆発音が鳴り響く。足軽たちは曲輪のはしに近寄ることができず帯曲輪近くに退いている。

 雨のように降っていた矢が止まり。焙烙玉も鳴りを潜めた。奇妙な静寂が二の丸を支配する。

 親成の目に赤い灯火が映る。一つではない。数多く。そして


『パパーン!!』


 乾いた鉄砲の音が響き足軽たちが倒れていく。目の前の赤い灯火は増えていく。そのたびに音が響き、成す術もなく倒れていく足軽たち。

「親成様、危のうございます。本丸へお戻りください」


 本丸まで退いた親成は南の方から上る赤い炎に気づいた。

「あれは、朝倉城か」

 炎の位置は先程伝令を走らせた朝倉城に間違いはない。

 本丸の下には追い詰められ逃げてきた足軽たちに遠慮なく焙烙玉が投げ込まれだした。鉄砲の音も止まることはない。

「ばかな、こんなに早く城が落ちるのか」

 親成が起きてまだ半刻も経っていない。

「親成様、もう持ちませぬ。急ぎ搦手から引きましょう」

「っく。者共、鶴首城かくしゅじょうまで引くぞ」

 三村親成は城を脱出し兄の元へ落ちのびていった。



 八月二十六日卯の上刻(午前5時)を過ぎた。日の出が近い。

 尼子三郎四郎は燃える楪城を見ながら大きく声を出した。

「新見庄よ、私は帰ってきた!!!」

 そばで近習が帳面にサラサラと三郎が発した言葉を書く。帳面の表紙には

『大黒語語録』

 と書いてある。今出雲で売れまくっている書物だ。

「よし、次にいくぞ」

「御意、全軍塩城山城に向かう!」

 横道の下知で足軽たちが動き出す。

「熊谷、後はよろしく」

「はっ」

 熊谷新右衛門くまたにしんえもんは楪城に残り新見庄代官、新見国経にいみくにつねの到着を待つ。


 天文二十年(1551年)八月二十六日、尼子三郎四郎率いる尼子直轄軍三千名は、三村家親が治める新見庄に侵攻した。

 従う将兵は、三沢為清みざわためきよ横道兵庫介よこみちひょうごのすけ熊谷新右衛門くまたにしんえもん真木上野介朝新まきこうずけのすけともちか熊野兵庫介久忠くまのひょうごのすけひさただ岸左馬之進きしさまのしん

 尼子軍はわずか一日で、楪城ゆずりはじょう朝倉城あさくらじょう塩城山城しおきやまじょう甲龍城こうごめじょう石蟹山城いしがやまじょう鯉滝城こいたきじょうを落とし新見庄を制圧した。

 

 八月二十日、毛利元就は大内の安芸支配の要である佐東銀山城を占拠し周防と安芸の国境を閉鎖した。

 西国、いや日の本の行く末を大きく変えた大寧寺の変は目前に迫っていた。


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