第50話 1548年(天文十七年)3月 月山富田城

 出雲と伯耆、石見の検地が終わり石高が確定した。


 出雲 十七万二千石

 伯耆  八万四千石

 石見東部  四万石


 いやー百万石ってどれだけ凄いんだ、と思った。全然少ないな。濃尾平野はホントに広い。関東平野もメッチャ広い。山陰地方は山ばかりだな。思い知らされた。とにかくこれから開発しがいがあるということだ。頑張るぞ。その代わりといっちゃなんだが、尼子には大森銀山がある。これは凄いぞ!報告によれば五十万石に相当するらしい。これに美作が加われば(隠岐も)総合百万石も夢じゃない!!!そして交易だ。伸び代があるのは交易部門だろう。

 経済の潜在力は高い。後はいかに開発するかだな。


 佐渡惣右衛門、神西元通、三刀屋久扶と一緒に新たな城を建てる場所と城下町の町割りについて話し合っている。

 俺は戦のための城というよりは統治のための城、威勢を示すための城にしたい、沢山の領民が過ごすことのできる町を造りたいと方針を伝え話を進めていく。

 城の位置を山陰道の北にして西流している斐伊川から水を引き込み堀を造ってはどうかと思ったがこのあたりは田んぼや畑が作られていっているので、ちょっと面白くないと佐渡が言う。

 今市は商人たちが集まって市が出来てきているので潰すのはだめだな。大津は斐伊川近くだし少し狭い。ならば塩冶か。このあたりも水田や畑が多い。個人的に塩谷はゲンが悪いと思いあまり乗る気ではなかった。

「三郎様、塩谷は武家が出雲に根を張った始まりの地にございます。確かに今まで尼子と塩冶の間には良きことばかりがあったわけではございません。だからこそ、三郎様のお力で真に一つとなった出雲を知らしめるためにも、塩谷に城を築くのがよろしいかと某は思いまする」

 神西元通は熱く語った。

「それならば神戸川を天然の堀とし、また水運の理も取り入れた工夫を凝らしましょう。半部城はんぶじょうを守りの砦とし西一帯の平地に主郭を作りましょう」

 そう言って佐渡は絵図を描きだした。

 北東が塩冶神社。そこから真っ直ぐ西に向かう。距離にして十四町半(1.6km)。同じように南に向かう。距離9町(約1km)。南は神戸川に沿っている。ここが城郭だ。

 北に武家屋敷が広がる。山陰道まで北から南に走る三本の大通りを作る。今市付近を町人町、大津を職人町にする。城の北に赤名に向かう出雲街道を通す。これで行くか。ちょっと必要性が変わったが高瀬川も俺が知っているように作ろう。防火対策にもなるしな。

「城の名前は塩冶城か?」

 俺は三人に問うた。個人的には今市城にしたかったがこれでは無理だ。

「三郎様。杵築大社御本殿きずきのおおやしろごほんでんには『天井絵八雲之図』があり七つの雲が描かれているとか。大国主大神の生まれ変わりである三郎さまの居城なれば八雲城がよろしいかと。雲州八雲城にございます」

 三刀屋久扶が提案し、となりで神西元通もうんうんと頷いている。

『雲州八雲城』

 よし、ストンと胸に落ちた。これでいくぞ!!!

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