第45話 1547年(天文十六年)10月 新見の戦い 其の二

 三村家親は林から現れた毛利軍を見たとき、この戦勝ったと確信した。種子島を雨によって封じられ、後方からの奇襲が成功したことによって、尼子軍が数の劣勢を挽回する方策は尽きたのだ。あとはじっくり押しつぶせばいい。当たってみて確かに侮れんとは思ったが、もう勝勢は覆らない。

 確実に尼子軍を削っていた時、後方から何かがやってきた。何だあれは、女?何故こんなところに女がいるのだ。その女どもは叫びながら毛利兵に竹槍を突き刺し、しゃにむに突っ込んできた。そしてその女どもに続いて次から次へと百姓が手にいろんな物を持ち突っ込んでくる。すわ一揆か!しかし百姓共が口々に叫んでいる声を聞いたとき、三村家親は耳を疑った。この百姓共は三郎様と叫んでいる。もしかして出雲からここまで三郎のためにやってきたのか…信じられん、しかしそうだとしたら。

 目の前で毛利兵が百姓の群れに飲み込まれていく。群れは止まらない。尼子軍を包み込みそして大きくなっていく。何人たりとも三郎を害することは許さない。その群れの目が三村の兵たちを睨んだ。

「おおおおー!三郎様を守るんじゃー」

 鬨の声を上げ百姓共が走ってくる。

「いかん、引け、直ちに引くのじゃ!」

 アレは死兵と同じだ。戦ってはならぬ。三村家親の頭の中に警鐘が鳴り響く。三村兵は飲み込まれまいと必死に逃げ出した。


 北からやってきた女、百姓たちは奇襲に成功した我が軍勢を溶かすように屠り、息の根が止まりかかった尼子軍を癒やすように包んだ。そして今、こちらを睨みつけ進んできた。元春は心が押しつぶされるような強い圧を感じた。引かねばならぬ、しかし下手に引けばどれだけ兵を失うかわからない。

 元春は心をしかと奮い立たせ兵たちに命ずる。

「川を渡った者は川の瀬まで下がれ。我らはここで百姓を迎え撃つ。女、年寄りの群れなど恐れるな!吉川の力、しかと示せ!!」

 強将の下に弱卒無し。吉川元春はやはり稀代の猛将であった。戦場の息吹を捉える類まれなる素質を持つ。毛利軍は速やかに落ち着きを取り戻し、しっかりと固まって尼子の百姓たちの進撃を受け止めた。動きを止められると流石に戦い慣れた毛利兵たちが有利。百姓共を討ち取っていく。

「皆のものー!下がれ!三郎様の周りに集まるんじゃ。無理に追わんでええー」

 宇山久信が叫ぶ。その叫びを側にいる者が繰り返す。声が声を呼び百姓たちは敵を睨みながら引いていく。目は爛々と輝き毛利軍を威圧している。

 川を背に必死に戦っていた兵たちも落ち着きを取り戻していく。百姓が引いていくのを見定めて川を渡って退却しだした。

 毛利軍と尼子の百姓たちは睨み合いを続けている。生き残った三村軍は毛利軍の後ろまでなんとか逃げていた。

 ここに来て膠着するかに見えた戦局が動く。尼子晴久率いる尼子軍とそれを追尾する毛利元就率いる毛利軍が新見に到着したのだ。

 次なる戦が始まろうとしている。



 晴久に合流した三郎の物見の報告を受け、尼子軍は行軍速度を上げ東城往来を突き進む。三郎が窮地に陥ってるかもしれぬと知った諸将は臨戦状態にはいった。すると後方の毛利軍も近づいてきた。ヤル気だ。槍を構え走って来る。

「佐世、殿を努めよ。鉢屋、亀井は儂の近くにおれ」

 ついに毛利軍が攻めかかってきた。暫くしてやっと新見庄の開けた場所にでた。左手に軍勢が見える。あれは見たことのない旗印、三村か。奥に吉川の旗印が見える。三郎と三沢はどこに?目を凝らすと千屋に向かう街道の奥に人が、うん?百姓?

「御屋形様、あの百姓共の中に横田と塩冶の兵がおりまする」

「うむ、多胡は三村と毛利に突撃せよ、三刀屋は佐世を援護せよ。、平野、松田は南に拡がれ。毛利軍の逃げ道を狭めよ。ただし完全に塞ぐでないぞ。皆の者、速やかに動くのだ」

 晴久は下知をだし諸将は兵を率いていく。


 毛利元就は世鬼の報告をうけ新見の戦の状況を把握した。このままでは元春が危ない。三村もだ。

「隆景、打って出よ尼子をこちらに引きつけるのだ。隆元、出番じゃ。騎兵を率いて尼子軍を撹乱するのだ。よいか、吉川、三村両軍を助けることが肝要ぞ」

 小早川隆景は槍を構えた足軽に駆け足を命じた。雨が降ってきた。種子島は撃てない。ちょっと残念だが戦としては嬉しい状況だ。尼子軍も進軍速度を上げている。だが足はこちらが早い。追いついた足軽たちが尼子の尻に喰い付いた。そのまま押し込んでゆく。

 祐清遭難の地と伝えられる所に尼子軍の殿しんがりが陣を敷いた。

「いけい!このまま押し込め」

 ついに両軍がまともに槍を突き交わした。九鬼城、東城を経て新見の地で戦は始まった。

 隆景は尼子の兵を観察する。思った通りだ。動きが鈍い。ジリジリと毛利軍が押していき尼子軍は後ずさる。

「隆景様、隆元様の騎馬がやってきます」

「よし、分かった。左を開けろ。右前に矢を集める。兄上に合わせろ」

 隆元が駆る三百騎の騎馬が尼子の殿に突撃し、大きく曲射した矢の塊が奥の兵に落ちる。騎馬の横には槍衾が出来上がり、騎馬と呼吸を合わせて突入する。

 崩れた。騎馬は尼子軍を押し潰し抜けていく。


 抜けた先で隆元は広く前方を見渡した。左手北の方角に尼子軍が拡がっている。

「あそこだ、行くぞ!」

 尼子軍の後ろから毛利の騎馬隊が接近してくる。気づいた尼子兵が部将を守ろうとしている。その動きを見た隆元は刀を前に突き出した。

「我に続け!敵将がおるぞ」

 周りの尼子兵は急ぎ部将の周りを囲む。少し遅いか。切羽詰まった叫びが響く。

「御屋形様をお守りしろ!」

 騎馬隊の突撃地点から波が拡がる様に尼子軍の動きが止まる。

「尼子晴久か!」

 隆元ら騎馬数騎が敵将に迫った。どうやら総大将、尼子晴久に間違いない。寸での所で晴久は兵たちに囲まれ後ろに下がった。尼子兵が全体的に南に下がっていく。隆元たち騎馬隊は尼子軍を蹴散らし駆け抜けていく。一旦北に抜け再突入をしようとした。

 隊列を整えるため騎馬を走らせていた隆元は固まって動かない百姓の群れを見つけた。

(あれか、世鬼が言っていた百姓の群れは)

 もう少し見てみようと近づいていくと、百姓共が一斉に叫び声をあげた。そしてこちらへ向かって走ってくる。馬が怯えて竿立ちになる。騎兵は馬を落ち着かせようと必死だ。

「百姓は捨て置け、馬の頭を南に向けろ。もう一度突入するぞー!」

 なんという迫力だ。気圧されてしまった。相手にするのはやめておこう。触らぬ神に祟りなしだ。

 百姓たちに追いつかれそうになったが、なんとか接触を免れた騎馬隊は再び尼子軍に突撃する。尼子軍は攻撃対象を騎馬隊に変更していた。連弩が飛んでくる。しかし彼我の距離が短いので矢衾ができるほど多くの矢は飛んでこない。またもや騎馬隊は尼子軍を蹴散らした。


 毛利の騎馬隊の突撃により攻撃対象を変更せざるをえなかった尼子軍の脇を吉川元春と三村家親はスルスルとすり抜けた。危なかった。あのままだと逃げれたとしても、多くの兵を失っていただろう。もう戦う余力はない。

「三村殿、代官詰所まで引きましょう」

 元春の呼びかけに頷く家親。二人共顔は崩さぬが心は安堵していた。しかしあの百姓ども…尼子の底力を身を持って味わった元春と家親、次なる戦は遠くは無いと感じていた。


 二度も騎馬隊に突き破られ吉川、三村の軍勢を取り逃がした晴久は腸が煮えくり返っていた。佐世と三刀屋の殿軍も旗色は悪い。このまま負けていられるか!頭に血が登った晴久に亀井が声をかける。

「御屋形様、三郎様、三沢殿ご無事にございます」

「そ、そうか、無事か」

 頭の熱がスーッと下がっていく。晴久は落ち着きを取り戻す。今必要なのは華々しい戦果ではない、鮮やかな撤退だ。

「騎馬を囲む様に動け、矢を騎馬に集めよ。前に出て殿軍を引き入れるのだ」

 隆元の騎馬隊は、先程とは打って変わって組織的な攻撃を受け、早々に引き上げた。尼子の殿軍に近づけば矢は飛んでこない。しかも殿軍は真ん中を開け騎馬隊を素通りさせながら両脇から尼子本隊に向けて逃げて行った。お互いキレイな逃げっぷりである。


 雨が殆ど降り止んだ。雲も薄い。三町隔てて両軍は対峙した。

 尼子軍から一人の武将が進み出た。尼子家当主、尼子晴久。

 答えるように毛利軍から一人の武将が進み出る。毛利家前当主、毛利元就。

 元就が声を上げる。

「ご嫡子殿によろしゅうお伝え下され」

 晴久が答える。

「御当主殿にお伝え下され。次はありませんと」

 お互い軽く笑みを浮かべたあと、それぞれの軍のもとに戻っていく。

 尼子軍は北に向かって進み始めた。毛利軍は動かない。尼子の隊列の最後尾が山の影に隠れると毛利軍も動き出した。尼子は月山富田城に、毛利は神辺城に戻っていった。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 天文十六年十月、尼子の神辺城救援は失敗に終わった。

 その要因は毛利元就の深謀であった。謀は見事にハマり退路を絶たれる可能性が高くなった尼子軍は神辺城に到達する前に撤退を余儀なくされた。新見庄でついに激突した両軍はそれぞれ被害を出しながらも決着をつけることはなく、富田と神辺に帰っていった。

 ほぼ一年後の天文十八年九月四日、神辺城は落城し山名理興は出雲に落ちていく。

 結果、備後の尼子勢力は一掃された。大内、毛利は備後を領国とし、備中にも支配の手を伸ばしていくことになる。


 毛利元就の胸中には二つの景色が残っている。安田で見た静かなる尼子軍と新見で見た百姓たち。

 元就は尼子が、以前の己が知る尼子とは完全に別物になったと判断した。

 次なる策は…まだ思いつかない。焦るなと自身に言い聞かせる元就であった。

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