第44話 1547年(天文十六年)10月 新見の戦い 其の一

 十月八日早朝に横田を出た三郎と為清麾下六百の軍勢は、多里たりを抜け稲穂山の南を通る山越えの道を使って新見に進んでいた。距離としては十二里半(約50km)だが標高差がきついので厳しい行軍になる。本来ならば東城往来、新見往還を通るのだが東城はいま敵方なので通るのはよろしくない。

 亀井が東城に向かうと進言してきたとき、自分も一緒に東城に行こうかと思った。だが新見庄を何もせず抑えられたままというのも面白くない。新見から毛利が進み東城で晴久の軍が挟撃を受ける可能性も十分ある。三吉も出ばってきているかもしれない。そう考え三郎は予定通り新見に向かうことにした。

 晴久が引けば自分も引く。毛利と三村が新見にいるなら足止めをする。いないなら東城に向かって進む。そう決めて十月九日、日が暮れて新見庄の北西に到着した。



 物見を放つ。新見国綱の居城、楪城ゆずりはじょうは落ちていた。城には少しの兵が入っている。殆どの兵は新見庄代官詰所の付近にいる。

 今日は静かにここで夜を過ごし明日、日の出と共に開けた場所に陣を敷く。

 晴久はどうなったのだろう。最悪の状況は神辺城までは行けずもっと手前で合戦に突入後、退却して東城辺りで北からの挟撃を喰らうことだ。そうならないよう亀井、小笠原を送った。間に合っただろうか。

 夜遅くに富田から伝令が来て晴久は八日に九鬼城から富田に向けて撤退を開始したと報せを受けた。ならばもう東城には着いている。どうなったのであろう、戦になったのだろうか。新見の三村と毛利は動いてないので少し安心した。うん、明日に備えて寝るとしよう。


 十月十日の日が昇る。尼子軍は高梁川の西、千屋ちやに続く街道の方に陣を敷いた(転生前の世界で横見堰の南西)この街道は後醍醐天皇が隠岐に流される際に通った道だ。

 川沿いに横田の軍、山沿いに塩冶の軍を置き毛利、三村の動きを注視する。毛利、三村の軍勢はゆっくりと尼子軍に向かってきた。東城には行かない。行く必要がないのだろうか。様子を伺いながら毛利・三村連合軍も陣を敷いた。兵は報告通り二千はいる。尼子軍の三倍強。しかし尼子軍は鉄砲を装備し、毎日鍛錬をおこなう常備軍だ。塩冶の兵も鍛錬を始めて日が浅いが士気は十分高い。

 三郎は十分戦えると考えている。まずはこの地点で敵を迎え撃つ事に専念する。晴久の軍の動向が最も必要な情報だ。物見は既に放っている。それに応じて動きを決める。今回、新見庄の奪還は考えていない。


 三村家親は尼子軍の南に陣を敷いた。距離は三町(約330m)。その後ろに吉川元春率いる毛利軍が控えている。此度の神辺城攻めに元春が参陣したことで毛利元就、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の4人が初めて戦場に揃った。毛利の体制が整いつつある。

 三村家親は備中制覇のため毛利の援軍を受け入れた。元々そのような考えを持っていたが毛利方から話があり、渡りに船とばかりに承諾した。毛利は三村を取り込み備中制覇の先兵に仕立て上げるつもりだ。その始まりとして両者は新見庄の制圧を選んだ。これは同時に尼子軍の退路を断つ目的を兼ねていた。

 たかが六百程の軍勢、直ぐにでも蹴散らし新見を確実に治めることを目論む三村家親は、小手調べとばかりに尼子軍に戦を仕掛けた。まず弓を射掛ける。尼子軍はじっと動かない。小ぶりの盾で身を守るだけだ。そのまま三村軍は前進した。二町の距離まで近づいたがまだ動かない。尼子軍は矢を持っていないのか、何を考えている?三村家親は訝しんだが動かぬ敵にさらに近づく。彼我の距離が七段(約77m)程になったとき、突然轟音が轟き、先頭の兵たちがバタバタと倒れた。三村軍にも鉄砲の洗礼が浴びせられた。(これが種子島か!)足軽たちの足が止まる。それこそいい的だ。

「引け、ひけい!」

 三村家親は兵を引かせる。態勢を立て直して再び尼子軍に挑む。

「弓を絶やすな、さらに横に広がれ」

 曲射で弓を放ち幅いっぱいに兵を拡がせた家親は突撃の合図を出した。

「者共突っ込め!」

 一町ほどの距離から再び突撃を開始した三村軍を鉄砲と連弩が迎え撃つ。上から落ちてくる弓を受ける尼子兵もいる。だが尼子軍が優勢だ。鉄砲の洗礼を受けた三村兵は腰が浮いている。そこに連弩が加わり、さらに突撃の足を鈍らせていた。結局尼子軍まで辿り着けない。

(このままでは兵を失うだけじゃ)

 苦々しく前方を見る家親に伝令が来る。

「殿、吉川様、高梁川を渡られるとのこと」

「おお、わかった。吉川殿に我らはこのまま前進を試みると伝えよ」

 家親はもう少し我慢が必要だと思った。


 三村軍の後ろで戦況を眺めていた吉川元春は尼子が撃った鉄砲を興味深く見ていた。

(あれが種子島か。我らもすぐに取り入れねばならんな。兄者に金の無心をせねば…)

 などと考えながら兵五百を分け高梁川を渡れと下知を出す。続々と毛利兵が川を渡る。そして北に向かい尼子軍の東に陣取りだした。

(さて、天は我に味方するか。どうする。尼子三郎)

 空を覆っていた雲が濃さを増していく。もうじき雨がふる。元春は雨ともう一つの動きを待っている。


 三村軍の後方より川を渡りだした毛利軍が三郎の左手に集まってきた。そして雨が暫くすると降ってくることがわかる。このままだと毛利軍の横槍を受けてこちらが敗勢に落ちる可能性がある。

「為清に伝えよ。俺の後ろに移動し川向うの毛利を牽制しつつ引く準備をしろと。おれは全面の三村を抑える」

 為清の軍が少しずつ移動を始める。三割ほどの兵が移動したとき、ポツポツと雨が降りだし、確実に雨脚が強くなっていく。もう鉄砲は撃てない。

 鉄砲を肩に掛けろと下知が飛び全兵が連弩を持つ。尼子軍の右手より三村軍が迫ってきた。為清軍が移動しているのでそれに付け入り前進してきた。

「ここが踏ん張りどころだ。気を抜くな!」

 横道兵庫介が叫ぶ。連弩が三村と毛利に放たれる。熊谷新右衛門は毛利軍の渡河を監視している。

「おおー!!」

 突然三郎の後ろ、林の方から大きな声がした。林の中から毛利軍が跳び出し為清の軍勢に襲い掛かってきた。元春は兵三百を迂回させ尼子軍の西の林から強襲する策を立てた。

「なに、敵!者共迎え撃て」

 為清が命を出す。しかし完全に不意を突かれた。どんどん出てくる毛利軍に押されていく。そして川向うの毛利軍が渡河を始めた。

 三村軍は為清の方に集中し始める。そして三村軍の横に吉川元春率いる兵が進み出て三郎の軍に当たりだした。

 尼子軍は三方向からの包囲をうけ引くことができなくなっていく。

「三郎様、後ろの軍勢は少数、そこを叩き引きましょう」

 横道が進言してきた。しかし元春の軍勢が押し込んでくる。川を渡りきった兵たちも出てきた。熊谷も白兵戦に移行しつつある。

「ここで防ぐのじゃ!三郎様に近づけるな!」

 熊谷は三尺八寸の太刀を振りかざし毛利の足軽を切り倒している。

 じりじりと時間が流れ確実に尼子軍は追い詰められていく。三郎と為清が率いる直轄軍は確かにこの時代において並の軍ではないが限界はある。狭い場所に陣取り相対する敵の数を制限しても、結局は数で押されて勝ち目が減っていく。

 すぐそこの為清から伝令。

「三郎様、我ら全軍をもって林の敵に向かいます。その隙にお下がりください。では、御免」

「ま、待て!早まるな」

 伝令は直ぐに戻っていく。

「三郎様、為清殿の言うとおりに。熊谷!そっちは任せた!儂はこっちを抑える」

 横道が告げる。

「承知之助!」

 熊谷が答える。

「だから待て、お前ら」

「三郎様、御免」

 三郎は米原綱寛に担がれた。

「若を守れ!下がるぞ」

 周りを足軽が囲み一斉に走り出す。既に形勢は決した。後は如何に引けるか。

「待てーーーーヤメロ!待て!待て!ウオーー」

 三郎は叫ぶことしか出来ない。クソ、俺がっ、もっと!将として優れていれば奇襲など喰らうはずがなかったのに!だがそれは全く無意味な後悔だ。意味がある後悔をしたければ生きて富田に戻らねばならない。今皆が三郎を無事に戦場から逃すことだけを考えていた。

 米原が兵を掻き分け下がっている時、遠くから叫び語が聞こえてきた。

「む、新手か!」

 米原は下がろうとする方向、北を見た。街道を人が走ってくる。つぶさに目を凝らすと百姓、しかも若い女性にょしょうが走ってくる。手に竹槍を持って集団でやってくる。後ろの方にも人がいる。

「さ…さまー。三郎、三郎様ーー!!」

 はっきり聞こえた。三郎を呼んでいる。

「三郎様ー!お助けいたしますーー!!」

 高く悲鳴にも似た声で叫んでいる若い女性たちは走ってきた勢いそのまま毛利の兵どもに竹槍を突き刺していく。その後ろから雲州鍬や棒やスコップを持った百姓が、これまた止まりもせず突っ込んでくる。どんどん百姓が増えていく。なんの躊躇も遠慮もなく口々に叫びながら突入してくる。三郎様と叫びながら増え続ける人の塊が毛利軍を押しつぶし三郎の周りを壁のように囲んでいった。

 百姓が叫んだ。

「三郎様は儂らが守るんじゃー!」

「守るんじゃー!守るんじゃー!」

 三郎は驚き、そして時間と共に涙がとめどもなく頬を流れ落ちていった。







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