第23話 1547年(天文十六年)2月 鰐淵寺
常に120名程の寺僧がいる鰐淵寺だが今はそれの倍は人がいる。増えたのは主に修験者だ。
去年の10月、国造との決別以降、栄芸は一つずつ策を進めていた。まず、比叡山延暦寺に杵築大社が神仏習合を否定し、仏法を落としめんとしていることを報告した。次に多治比殿(毛利元就)に状況を説明する文を書き助力を求めた。そして修験者を寺に多く集め僧兵として訓練を始めた。尼子に恨みを持つ者たちと密かに連絡も取っている。鷺浦の民を手懐けて湊を使えるよう手筈も整えた。
二月になって嬉しい書状が届いた。大内家臣安芸守護代、
「宍道殿が!なんと喜ばしいことか」
今後、宍道隆慶は石見守護代、
やはり我は正しき道を歩んでいる、仏の道を離れるなど許されるわけがないのだ。杵築は過ちを犯した報いを受けねばならぬ。尼子も同じく同罪である。そのためにもしかと準備をしておかねば…
栄芸は坊に向かい歩き始めた。歩きながら食料を余分に調達しなければならぬと考えを巡らせていた。
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同時に水軍を束ねる
問田隆盛は軍の編成を考えた。(隆盛自身は山口にいて政務を行っている)面倒な吉見、益田ではなく福屋を動員することにする。こいつも小笠原がからむと所領絡みで少々面倒だがまだマシだ。問田自身も出陣するつもりでいる。子細が決まれば鰐淵寺にも書状を送らねばと段取りを考え始めていた。
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二月の終わりに問田隆盛の使者が小笠原氏の居城、
「長雄よ、尼子がまた揺れる。この機に大森銀山を取り返すのだ。その後は大内を頼みとせよ」
「わかりました、父上。していつ銀山に攻め込めばいいのでしょうか」
「追って沙汰がある。それまで尼子に気取られるでないぞ」
「わかりました。では早速内応する者を城に入れまする」
いつもの如く大内と尼子を天秤にかけ、どちらにも深入りせずその都度強き者に従う。そして隙を縫って所領を拡げる。今回もそのように上手く立ち回ろうと長雄は考えた。父の病も芳しくない。自分が当主の座に座るのもそう遠くはないだろう。銀山を手にし当主としての力を家臣たちに示すのに絶好の機会が訪れたと、長雄はほくそ笑んでいた。
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