第22話 1547年(天文十六年)2月 若山城(現山口県周南市)

 陶隆房すえたかふさ弘中隆包ひろなかたかかねから急ぎの書状を受け取った。安芸守護代として槌山城つちやまじょう(現東広島市八本松町)に務める隆包からなんの報せであろう。神辺城かんなべじょう攻略において何か不都合でも起きたか…訝しがりながら書状を開いた隆房は暫し黙考する。思考の埒外から飛んできた知らせを前に即座に判断を下せずにいた。

「鰐淵寺が強訴とな…」

 月山富田城の敗戦から大内は立ち直りつつある。大森銀山は失ったが尼子の石見への進行はことごとく打ち砕いている。いずれ銀山は取り戻せるであろう。

 安芸国は弘中と毛利で着実に攻略が進んでいる。山名理興やまなただおきが籠もる備後神辺城(現福山市神辺町)も少々手こずっておるが、尼子からの援軍が望めない今の状況では落城も時間の問題だ。備後を平定し備中に進行する日も遠くない。

 問題は…御屋形様か。神辺城攻略を臣下に任せっきりでご自身が出陣される様子がまったくない。大内は西国一の武家、当主自らそのことを天下万民にあらしめねばならぬというのに武を軽んじておられるのか。上様の上洛要請にもなかなか答えられん。武家の棟梁を支えなくてどうするのだ。それどころか公卿衆を山口に下向させるなど何を考えているのか。御幸か遷都でも行うのか…

 隆房は思考の方向が逸れたと思いなおし書状の内容に今一度集中する。

(尼子の領内がごたつくのは毎度のことか。しかしこれは大森を取り返す好機になるやもしれん。兄上にお伝えせねばならんな。弘中の申すとおり、宍道隆慶しんじたかよしを出雲に送り込んでやるか。うまく行けばよし、いかなくとも問題はない)

 隆房は右筆を呼び文を二通作らせる。一つ目は主君大内義隆に。尼子を離反し大内につき、御屋形様の偏諱を受けた宍道隆慶を出雲に送り込むよう嘆願する文を。二つ目は兄である石見守護代、問田隆盛といだたかもりに鰐淵寺強訴の気配あり、大森銀山奪取の好機到来と。兄は我の強い石見の国衆共を従えるのに苦労しておられるだろう。特に吉見、あやつは許せん。これを機に問田の威を示せば少しはおとなしくなるだろう。

 この書状に対する対策はこれでいいだろう。

 隆房は書状によって中断した仕事を再開することにした。若山城の改築絵図を開く。城の機能を高めるのだ。何のために。その思いはまだ隆房の表には出ていない。胸中で渦巻いているだけであった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 大内義隆は陶隆房からの早馬を未の刻(午後1時過ぎ)に受け取った。若山城から大内館までは九里と少し、早馬で二刻ほどの距離だ。書状を読み終えてすぐに宍道隆慶を呼んだ。

「隆慶よ、出雲が揺れておるぞ。お主が出番が来たということじゃ。安芸の弘中隆包の元へ向かい出雲に討ち入る支度をせよ。その際鰐淵寺の和田坊と連絡を密にせよ。尼子の肝を冷やしてまいれ。期待しておるぞ」

「御屋形様。某を迎えてくださった御屋形様の御恩に、この宍道隆慶必ずや報いてみせましょう。これほど早く尼子に一泡吹かせることができるとは思ってもいませんでした。吉報をお待ちくだされ」

 意気揚々と宍道隆慶は出立の準備に取り掛かった。

 大内義隆は去りゆく宍道隆慶が己の視界から消えたと同時にその者に対する関心を失った。尼子領内での強訴騒ぎなどどうでもいい。そんなことより元関白、二条尹房にじょうただふさ様との会合が気になってしょうがない。

「御屋形様、安芸の三河守へのお下知はいかにいたしましょうか」

 長門守護代、内藤興盛ないとうおきもりが主君の指示を仰ぐ。

「興盛、お主に一任する。好きにせい」

「御意」

 その一言を発して義興は去っていった。

 内藤興盛は去りゆく主君の後姿を見送った後、表情ひとつ変えず職務に戻っていった。

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