第10話 1546年(天文十五年) 6月 月山富田城
城内は戦仕度で慌ただしい。伯耆の国に
「ちっ、備中も伯耆も落ち着かん!」
富田で大内を打ち破ったのに尼子の回りは戦が絶えない。
「殿、よろしいでしょうか」
晴久に伺いをたてたのは
「飛騨守、どうした戦仕度はすすんでおるのか」
「はっ、紀伊守様がいつものごとく進めておられます。今日、明日には出陣できるかと。戦仕度とは別に殿にお話ししたき儀がございます」
「ん、ここでは話せんことか」
「はい、今晩亥の刻(午後10時)頃、会っていただきたい者がおりまする」
「うむ、わかった。良き話しか」
「とても良き話でございます」
「ほう、楽しみだ。待っておるぞ」
「はっ、ありがとうございます」
この夜、
(ほう、この部屋に…誰がおるのか楽しみだな)
よい気分で部屋に入った晴久は座して待つ者を見てなんとも言えない気分になってしまった。
「三郎…宇山これは?」
部屋のなかに座っていたのは己の息子。どういうことだ。
「殿、ささ、お座りくだされ」
宇山に促され怪訝な顔をしながら晴久は上座に座る。
「三郎、面をあげよ」
「はっ」
息子は顔をあげる。三郎は真っ直ぐに父の目を見ている。迷いはない。
「お前とここで会うとはな。いったい何の話がしたいのだ」
三郎が声をあげる。
「殿、本日は殿にお目通りさせたき者を連れてまいりました。この者との出会いは尼子の行く末を大きく変えることになること間違いございません」
三郎よ…そこまで言うか。麒麟児ともてはやされとるお前が、またその才を示そうと言うのか。しかもその口上、父ではなく儂に仕える臣下として振る舞うとは…まったく童の皮を被った物の怪か、おのれは。
「…連れて参れ」
宇山が晴久に一礼し立ち上がる。ここにはさらに奥に一室がある。そこから一人の人物をつれてきた。
その者を見た晴久はあまりの驚きにしばし呼吸を忘れた。
「かはっ…北島…国造。なっ?お主がなぜ…」
目の前に座ったのは杵築の国造。今まで晴久、いや尼子があの手、この手をつくしなんとしても味方に、影響下におこうと腐心した出雲の権勢であり伝統ある力である。その棟梁とも言うべき国造の内一人がわざわざ月山富田城に出向いているのである。国造は顔を下に向けたまま晴久に話しかける。
「
「…わ、わかった。面をあげよ」
国造はゆっくりと顔をあげた。
「まずこちらをお受け取りください」
懐から取り出した書状を宇山が受けとり晴久に渡す。書状を開いた晴久が目を向く。
「何とこれは…杵築は尼子に従うというのか!」
書状には今後杵築大社は如何なる時も尼子宗家に合力するとの内容が記されている。北島、千家両国造の印も押されていた。
「さすがに国造両名が社を不在にすることはできませんので私めが代表として参りました。北島、千家両家はその誓詞の通り尼子宗家に合力致しまする。その手始めとして出雲鉄の産出量を大きく増やしている三郎さまの元に鍛冶職人を多数お送り致します。三郎さまが仰る新たな鉄の道具を作り、今以上に鉄の価値を高め尼子を支える太い柱としようと思いまする。三郎様の権勢が強まり尼子宗家の力も強くなっていきましょう。たたらで功を上げさらに次、次と策をすすめ尼子の力を高めていく所存にございます」
滔々と言葉を述べた国造を晴久は見ていた。顔に貼り付いた驚きは未だ消えてはいない。国造が口を閉ざした後も、晴久は思考が動いていなかった。暫くして口を開く。
「国造よ、なにを考えておる。何が望みだ」
守護どころか幕府の命すら気に入らなければ従わぬ者。古来より出雲に根付く力――杵築。晴久は未だに国造の言葉が信じられなかった。もちろん誓詞も。
「杵築が願うは出雲の民の安寧、ひいては日の本の全ての民が安らかに暮らすことにございます。大国主命様が国をゆずられたのも民を思えばこそ。我らは大国主命様の教えをこの世に広め形あるものにすることのみが望みにございます。しかしこの乱世、我らだけでは大国主命様の教えを広げることは難しゅうございます。尼子様の力。これにより出雲が良く治められ他の国にもその威が拡がれば杵築も胸を張って教えを広めることができまする。三郎様は諸国に人をつかわせ大国主命様の教えを広め多くの民が杵築に詣でるようにしようと仰りました。なんと喜ばしいお話でしょうか。新たな港も作っていただけるとのこと。よって我らは尼子様に従うことを決めた所存にございます」
(杵築詣で?多くの民を杵築に…もしそうなれば杵築はよりいっそう栄える…港まで新たに作るとは。尼子の力を借りたいと、いや利用か…)
「国造、この誓詞はしかと貰った。今日から杵築は尼子に合力せよ。今後のことは宇山に相談するがよい」
「わかりました。では、これにて失礼させていただきます」
国造は席を立ち出て行った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
国造が出ていった後、俺と晴久はそのまま向き合っていた。
「三郎、国造は信用できるのか」
「殿、利をもって杵築を取り込むこと必ずできます。銭の力がこれからの世の中を動かす元となります。尼子は鉄を持ち、銀山も手にいれました。銭の力を十分ふるえます。ただ、この力を理解できない者は家中にも領内にもたくさんおります。この者共をいかにするか、正念場でございます」
(家中とな。国造より家中を気にするとは。国造には暫し時を与えてみるか。思惑も見えてこようぞ)
「前も言っておったが三沢を家臣にすると言う話、どのようになっておる」
「はっ。新しきたたらのやり方、米の作り方これらを目の当たりにして三沢の家中に動揺が広がっております。次はこのやり方を三沢に伝授しようと思っております。伝授といっても領民たちを直接指導するのは、私の手の者です。そして作られた物から税をとることで対価をもらいます。三沢は今以上の裕福な暮らしを送れることになります。一度贅を味わった人はもう元には戻れません」
「うむ、骨抜きにするのか」
「大まかにはそのように動いております」
「うむ。それと…先程お前は気になる言葉を発していたな。家中に難ありと。ハッキリもうしてみよ」
「まずは新宮党でございます。船頭は二人も要りません。大叔父上を放置すれば尼子の政事が混乱します。次に
「亀井もか…してどの様な形を描いておるのだ」
「亀井には尼子の交易を任せます。戦、謀からは遠ざけます。交易も尼子の太い柱になりますし必ずいたします。このようにはかれば亀井の面目を潰すことなく上手く収まりましょう。そして富田衆を基にした家臣の再編成、これには直臣化を含みます。外様も積極的に直臣に取り込むべきかと。政は殿が進めておられる奉行職を中心にしたものに早めに移行していく必要があります。そのためにも直轄領を増すこと、すべての領内において検地を徹底的に行うことが必要です。もちろん家臣たちの領地も例外ではありません」
「検地、家臣の領地もか」
「はい、簡単ではありませんが成さねばなりません。検地は国をおさめるために避けては通れません。坂東の北条はすでに行っております。我らもできるはずです。大内のように強く、富める仕組みを作るが肝要かと思います」
「むう。確かに大内は強い。だが儂らはその大内に勝ったではないか」
「あれが勝ちですか。滅びなかっただけではないのですか」
「な…三郎、お前!」
「殿、次はありません。今こそ尼子は変わるべきです」
俺はハッキリと言った。俺は滅亡するのはごめんだ。確かにどうなるかは解らない。だが少なくとも俺は未来を知っているんだ。それに…二度目の人生、やりきると決めた。
「もしかして、お告げがあったのか」
「ありました。尼子が滅ぶ夢を見ました」
俺の一言に晴久は固まった。
「…分かった。そちの言うこと忘れぬようにしよう。」
「殿、殿にお渡ししたい物があります」
「なんだ」
俺は宇山を促した。宇山は退出し風呂敷を持ってきた。結びをほどくと中から出てきたものは
「殿、高麗人参でございます。これから折を見て持って参ります。必ずお食べください。後酒精も控えめにお願いします。難しいと思いますが塩っ気もできるだけさけてください。体をご自愛ください。高麗人参は大根島にて栽培するつもりでございます。雲州人参として出雲の特産にするつもりです」
「三郎…儂は死ぬのか」
「今から気を付ければまだ間に合います。殿には長く生きてもらわねば困ります。本当に困ります。尼子を背負っていらっしゃるのは殿です。殿が倒れれば全てが終わります」
俺は頭を下げた。俺の知る世界では晴久は改革半ばで突然死する。毛利の侵攻に対して義久はなんら有効策を打ち出せず晴久の死後4年後に尼子は滅亡する。晴久を長生きさせることは尼子滅亡を回避する重要な鍵だ。
誰も言葉を発しない。無言の間が続く。俺は耐えきれなくなって顔をあげた。晴久は目を瞑りなにかを考えている。眉間によった皺が苦悩の深さを表しているようだ。
やっと晴久の目があいた。
「三郎、横田をお前の領地とする。家臣達が納得する成果をあげよ。まずはそこからだ」
「わかりました。殿、期待に添えるよう励みます」
少ないながら領地持ちになった。できることが増える!
「高麗人参は必ず食べる。酒もほどほどにするとしよう。年端もいかぬ息子に心配されるようではいかんな。三郎、礼を言うぞ」
「ありがとうございます」
やったぞ。これで晴久の寿命が伸びれば万々歳だ。
「うむ、それと明日お菊と顔合わせをする。やっとお前が帰ってきたのでな」
「え、お菊とは誰のことでしょうか」
「お前の室だ。近江京極高延殿の娘だ。もう富田におる」
「し、室…妻ですか。某まだ元服もしていませんが」
「婚儀はまだ先だ。色々事情があって菊は富田に引き取ったのだ。これからたまには会ってやれ」
「は、はあ…」
なんか最後にとんでもない爆弾を落とされた気がした。
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