朝起きたら首だけになっていた話

平賀学

朝起きたら首だけになっていた話

 朝起きたら体が動かない。それどころか感覚がない。しばらくうんうんうなってやっぱりまったく動かないからこれはえらい異常だと僕はわんわん泣いた。隣で寝ていたみーこが目を覚まして、僕を見て、悲鳴を上げた。

「みーこ大変だよ、体が動かないんだよ、救急車呼んでくれよ」

「りっくん違うよ、体がないんだよ」

 体がない? みーこが僕に腕を伸ばしてひょいと持ち上げた。そのまま姿見の前まで連れていかれた。鏡の中にはみーこに抱かれた僕の生首があって、信じられないという顔で僕を見返していた。ひどい悪夢だ。


「どうしよう病院に行ったら治るかな」

「きっとお医者さんたちに実験台にされちゃうよ」

 看護科のみーこがそう言うから僕は信じた。でも病院に行けないならどうしたらいいんだろう。頭がなくても生きたにわとりの話は聞いたことあるけど、逆は聞いたことがない。心細くて僕はまた泣いた。

「大丈夫だよりっくん、私がめんどうみるから、泣かないで」

 うわんうわん泣く僕をみーこは優しく抱きしめた。やわらかくて大きな胸にほおがうずまった。もうこれに自分からふれることもできないのだ。


 それから僕はみーこにかくまわれて、一から十までみーこに世話をされることになった。朝はていねいに顔を洗ってもらって、ひげをそって、一緒にテーブルで目玉焼きののったトーストを食べた。喉からぼとぼと咀嚼したトーストがこぼれてテーブルを汚すので僕は恥ずかしくなったけど、みーこは笑って拭いてくれた。昼はひとりでテレビを見て過ごして、夜になったらみーこと一緒の布団で抱かれて眠った。僕はみーこと付き合っていてよかったと思った。


 しばらくそうして平和に過ごして、だんだん僕は友だちが恋しくなってきた。

 誰かに警察に通報されたらモルモットになるからだめだよとみーこには止められていたけど、もう一か月みんなと会っていないし連絡もとっていなかった。スマホはとっくに充電が切れてすんともいわない。

 僕が泣いて訴えるので、最初は渋っていたみーこも、じゃあ少しだけならと言った。みーこは押しに弱いのだ。

 みーこに代わりにメッセージを打ってもらって、アキラとやりとりをした。僕は不真面目な学生なので、ちょっと学校にこないくらいみんな気にしないのだが、既読もつかないのでさすがに心配していたらしい。アキラの優しさに涙がにじんだ。

 この一か月は風邪を七回転半くらいこじらせて寝込んでいたことにした。久しぶりにみーこ以外の人間と会話ができるのが嬉しくて、話が弾んで、みーこの家で会うことになった。みーこは心配していたけど、うまくごまかすから大丈夫大丈夫と言いくるめた。


 アキラはベッドで横になっている僕を見てびっくりしたみたいだった。枕に頭を横たえて僕はやあ久しぶりと言った。

「お前大丈夫なの、起き上がれないの?」

「うん、ちょっとね。でもだいぶ良くなったよ」

 布団の中にはクッションを入れてふくらませて、ぱっと見深く布団をかぶって寝ているように見える。全部みーこに用意してもらった。

 それから他愛ない話をして笑っていたけど、アキラは気もそぞろでちらちらとみーこを見ていた。みーこが席を立ったときに小声で言った。

「あのさ、お前気にならないの」

「いやあ、ここ、彼女の家だし、彼女に面倒見てもらってるし」

「でもさあ……」

 そうなのだ、前から家中とんでもない臭いがして、ときどきコバエが飛んでいた。でもみーこに全部世話してもらっている僕としては、なかなか言い出しづらかった。僕だって弁えるところは弁えているのだ。

 僕はもうだいぶ鼻が慣れてしまっていたけれど、アキラはそうではない。僕は気の毒に思った。

 アキラは長居しちゃ悪いから、と早々に出て行った。僕は寂しかったので、また来てほしいと言った。


 夜、いつものようにみーこに抱かれて眠った。

「りっくん、心配しないでね。これからもりっくんの面倒ずっと見るから」

 みーこの胸は甘い匂いがする。きっと毎日ていねいに洗っているんだろう。僕もシャワーを浴びたいんだけど、なぜかお風呂にはどうしても入れてもらえない。まあ体がないならそんなにこだわらなくてもいい。

「ありがとうみーこ。愛してる」

 僕らは口づけをした。

「首だけにしてよかった」

 みーこは笑った。

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