第4話

 ■■■


「お世話になりました」


 お大事に、と微笑む看護師に頭を下げつつ、病院のエントランスホールに向かうとこちらを窺っていた少女がひょこひょこと頭を揺らしていた。


「あ、おねーちゃーん!」


 ぶんぶんと手を振る少女に大勢の怪訝けげんな視線が集まる。


 その視線に気付いたのか少女は気まずそうに手を下ろし首をすくめた。


 まったく、見ているこっちが恥ずかしい。


「茉央」


「お姉ちゃん。へへ、おかえりっ」


「……ただいま。迎えありがとね」


「いいってことよ!」


 茉央の屈託くったくのない笑顔を見て全身に入りっぱなしだった力が抜けていくのが分かる。


「あなた、今日学校は?」


「ん?んー、へへ。ブッチした」


「あなたねぇ」


「だってお姉ちゃんの一大事だったんだよ?昨日だって全然帰ってこないなぁってずっと待ってたんだから。何度メッセージ送っても既読付かないしさぁ。なんかあったんじゃないかって思ってたら警察の人から電話来るじゃん。もー気が気じゃなかったんだから」


 そこまで言われたら何も言えないじゃないか。


「……そう、だよね」


 不満げに頬を膨らませた茉央に頭を下げる。


「心配掛けてごめん」


「分かればよろしい!ま、お姉ちゃんが無事だっただけで万々歳だから、別にいーんだけどね!でも」


 うむ、と頷いた茉央は、にへへ、と笑って覗き込むように私を見つめた。


「昨日無駄になっちゃった私の料理分くらいは弁償してもらおっかなー、なんて」


 ■■■


 久し振りに足を運んだ日中の市街地は平日とはいえ、陰鬱いんうつとした気分を払拭するには十分な活気で溢れていた。


「ほらほら!どうよこれ!可愛くない?最高じゃない!?」


 満面の笑みで自分の体に服を当てて見せる茉央に頷く。


「いいんじゃない?」


「だよね!さっきのも可愛かったけどやっぱこっちにしようかなー」


 この調子だと昨夜の夕飯を無駄にした代償は高く付きそうだ、と服を吟味する茉央を眺める。


 うまく丸め込まれただけな気もするがもう後の祭りだ。心配を掛けたのは事実だし。


 たった二人の家族なのだ、このくらいの甘やかしは許容範囲だろう。


「お姉ちゃん、これにする!」


「はいはい」


 ありがとう、と顔を綻ばせる茉央の足下に視線を落とす。


 両足のくるぶしの辺りから不自然に突き出た二対の小さな翼が視界に入る。


 折りたたまれたままの翼は正真正銘茉央の足から生えた、本物の翼だ。


 昨日聞かされた、にわかには信じがたい話が脳裏に蘇る。


「お姉ちゃん?」


「ん?」


「疲れちゃった?大丈夫?」


「そうね、ちょっと。どこかで休憩しようか」


「うん。じゃああそこのカフェにしよ」


 茉央が指さしたのは、どこにでもあるチェーン店のカフェだった。


「あそこでいいの?」


「うん?どゆこと?お姉ちゃん、コーヒー好きでしょ?」


「うん。まぁ、好きだけど。お洒落なカフェでも行きたいとか言い出すと思ってたから」


「あ-、映える店ね。メニューに興味あったら行くけど、今行きたいお店はないかなぁ」


「あ、そう」


 茉央くらいの年頃の子はみんな、ネットなんかで話題のお洒落なカフェに行きたがるものだと思っていたが、どうやら違ったらしい。


「お姉ちゃん行きたいお店あるの?付き合うよー」


「ううん、そこのお店で十分」


「じゃ、行こー」


 足を弾ませてカフェに入っていく茉央に続いて店内に入る。


「お姉ちゃん席取っといてー。あたし買ってくる。お姉ちゃんコーヒーでいい?」


「うん。ありがとう」


 窓際のカウンター席に座って、ふぅ、と息をつく。


 別に大したことはしていないはずなのにどっと疲れてしまった。


 いや、していなくても大したことはあったのか。


 買い物の途中寄った本屋で買った雑誌を取り出してページをめくる。


「はーいお待たせ。何読んでるの?」


「さっき買った雑誌だよ」


「ふぅん。はい、コーヒー。ホットね。あとクラブサンド」


「え?」


 目の前に置かれるコーヒーカップとクラブサンドが載った皿に視線を移す。


「私頼んでないけど」


「いーのいーの!お姉ちゃん病院出てから何も食べてないでしょ。あたしの奢り!」


 確かに病院を出てからどころか、昨日の夜からろくに食べていない。


 食欲が無いのだ。原因は分かりきっている。


 こう言うのもなんだが、刑事なんて仕事をしている自分が事件現場に遭遇したからと言って精神的にやられるとは思っていなかった。


「……じゃあお言葉に甘えて」


 いただきます、と手を合わせてクラブサンドを掴む。


 気分はどうあれ、体が飢えているのは事実だ。食べられるときに食べておくのは刑事の鉄則。


 自分に言い聞かせてクラブサンドにかぶりつく。


 なんということもなく、咀嚼そしゃくしたクラブサンドは最高に美味しかった。


 ■■■


「随分真剣に読んでるね」


「うん。ちょっとね」


 店内を飛び交う賑やかな会話を聞き流しながら、雑誌を読み進めていると横から覗き込んだ茉央が、あー、と納得したように声を上げた。


「スタンパーの記事かぁ」


 スタンパー。


 どうやら踏み潰しの犯人は、世間ではそう呼ばれているらしい。


 安直だが分かりやすいネーミングだ。


「何が楽しくてこんなことするんだろうね」


 表情を暗くした茉央がぽつりと呟く。


「……分からないわ」


 自分の食事を確保するために人を踏み潰して殺す。そんな人間の気持ちなんて理解できるわけがない。


「うわ、結構ヤバめの写真載ってんだね。モザイク意味ないじゃん。え、これ体どうなっ」


 パタンと雑誌を閉じて茉央を睨むと気まずそうに目を伏せて体を引く。


「ごめん……」


「これはフィクションじゃない。現実に起きていることなの。もし、ここに載っているのが私だったらあなたは同じように言ったの?」


「……それは」


「私は昨日この人が殺された時、この場所にいたの」


「え?」


 ほんの少し。


 ほんの少しの違いで自分自身が殺され、こうして大衆の目に晒されていた可能性があるのだ。


「だから間違っても面白がっちゃ駄目なのよ。人が一人死んでるんだから」


「うん」


 しっかりと頷いた茉央に息をついて窓の外に視線を移す。


 ひっきりなしに行き交う雑踏は平和なものだ。この中にあの凶行に及んだ犯人がいるかもしれない。


 そう考えられる人間は果たしてどれほどいるのか。


「お姉ちゃんが巻き込まれたのってスタンパーの事件だったんだ。……お姉ちゃんが無事で良かった」


「そうね」


 私だって思うことは同じだ。


 あの場で死んでいたら、茉央を一人きりにしてしまうところだった。


 独りは誰だって嫌だ。


「あ、あのね!」


 重苦しくなった空気を吹き飛ばすように茉央が明るい声を上げて自分の足を指さした。


「見て見て」


 指さした先でくるぶしの翼がぱたぱたと小さく羽ばたく。


「動かせるようになったんだよ。すごくない?」


「へぇ。どうやってるの?これ」


「んーとね、ふくらはぎに力を入れる感じにすると動くの。足首を上下に動かす時と一緒」


「ふぅん」


「翼生やして三年だけどさ、まさかこんな一発芸が出来るようになるとは思わなかったや」


「本当に」


 ぱたぱたと器用に動く翼に手を伸ばす。


 グレーがかった白い羽に覆われた翼の根元はしっかりと茉央の足に繋がっている。


「くすぐったいよー」


 感覚も、体温もある。


 この翼はもう正真正銘茉央の体の一部なのだ。


 さわさわと翼を撫でていると、茉央がビッと翼を広げた。


「あ、ごめん痛かった?」


 顔を上げると茉央は窓の外を凝視して、ううん、と首を振った。


「どうしたの?なんかあった?」


「あの人」


 茉央が見つめる方向に視線を巡らせる。


「すごい、綺麗な目。でも」


 雑踏に紛れるように一人、異様な風体の人物が歩いていた。


 薄汚れた格好のその人物は一見浮浪者のようだが、年齢は随分と若く少年と言ってもいいくらいだろう。


 この中央圏においてホームレスなんて存在はそう見かけるものではない。ストリートチルドレンなんてもってのほかだ。


 少年は周囲の無遠慮な視線を気にした風もなくどこへ向かうのか大通りを歩いて行く。


 と。


 少年がぴたりと足を止めた。


「すごく、怖い、目」


 聞こえるはずもないこちらの声をまるで聞き取ったかのように少年がこちらを振り向く。


 その視線に全身の毛が逆立った。


 再び歩き出して雑踏の中に消えていく少年の背中を睨みつける。


 昨日の今日だ、見間違えるはずがない。


 私はあの少年を知っている。


 金色に輝くあの瞳を。

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