第5話

 ■■■


 澄み渡る青空に秋風が吹き抜けていく。


 雲ひとつない空の下、柚須カナタその人は、軽快に踵を鳴らして閑静な住宅街を歩いていた。


『監察官、定時連絡です』


 耳元で聞こえた声に応答ボタンを押す。


「ああ、異常なしだ。これより定時連絡を取り止める。ここはもう奴のテリトリーだ。通話は維持。有事即応体制を取れ」


『了解』


 インカムを外して胸ポケットに入れ、速度を落とすことなく朽ちたアスファルトの隙間から生える雑草を踏みしめる。


 時折建ち並ぶ住宅に視線を巡らせれば、手入れのされていない庭木が枝を長く伸ばし、蔦のはびこる外壁が目立つ。


 ゴーストタウンと呼ぶに相応しい様相の住宅街は、一昔前まで四番街と呼ばれ多くの人間が平穏に暮らしていた。


 一夜にして全ての住民が消えるまでは。


 忽然こつぜんと姿を消した彼らについて現在までに判明していることはニつ。


 ひとつは集団失踪に平和維持局が関与しているということ。


 そしてもうひとつは、彼らが戻ってくることはない、ということだ。


 ただ、柚須はこの集団失踪が平和維持局の仕業だと断ずることができずにいた。


 確証がひとつもないのだ。


 集団失踪の数日後、平和維持局は声明を出した。


 平和維持に必要な措置だったというその声明を、肯定する材料も否定する材料もない。


 もぬけの殻になったこの街区だけが平和維持局の脅威を現実のものとして街全体に知らしめている。


 行政も大々的に宣言されてしまった手前、何事もなかったかのように扱うこともできず、四番街を立ち入り禁止区域に指定した。


 しかしいくら周囲をフェンスや壁で囲って常識に訴えようとしたところで、そんな常識を持ち合わせていない者には関係のない話である。


 今や四番街は世間から爪弾つまはじきにされた人間の楽園と化している。


「ふん。第一村人発見、だな」


 柚須が進む先に、律儀にも歩道を歩く人影が映った。


 どこかで顔でも洗ってきたのか垢で薄汚れた服を着込み日に焼けた肌の男は首にフェイスタオルを提げてのんびりと歩いている。


 四番街は街の形を保ってはいるものの、インフラは既に遮断されて久しい。水を手に入れるには外に出るしかないのだ。


 柚須に気付いた男が、一瞬立ち止まって皮脂でこごった長髪の合間から覗く小さな目を細める。


 余所者を見る目に動じるような柚須ではない。元よりここの住人に接触するためにわざわざ四番街に入ったのだ。


 柚須が男に向かった歩いて行くと、男は何事もなかったかのように再び歩き出し路地を曲がっていく。


 誘われているのか、逃げているのか。


 柚須は楽しげに口の端を歪める。


「さぁ、どこへ連れて行ってくれる?」


 男とつかず離れずの距離を保ったまま後をついて行った柚須が辿り着いたのは、小高い丘に建てられた廃病院だった。


 成程、ここなら寝る場所に困ることはない。


 四番街中央病院と書かれた看板を尻目に柚須が病院の敷地に足を踏み入れると、既に男から話を聞いていたのだろう数人のホームレスが焚き火を囲んでこちらをじっと見ていた。


「こんにちは」


 柚須の声に反応する者はいない。


「人を探しているんだが」


 焚き火の熱を感じるほどに近くまで寄った柚須は、言いながら彼らの周りに意識を巡らせる。


 広い駐車場の端に集まり焚き火を囲んでいる彼らの周りにはゴミが山積みになり、この時間が止まっている四番街においてこの空間だけが生活感に満ちている。


「あんた、何様だ。こんなところまでズカズカ入ってきて」


 男の一人が我慢ならないと言わんばかりに柚須に食ってかかる。


「何様でもないさ。こんなところまでズカズカ入っているのはお互い様だろう?」


「……出て行け」


「納得出来る答えが手に入ったらな」


「なんだと?」


 男がもう一歩近付いたのとほぼ同時、柚須は懐(ふところ)から抜き出した拳銃を男の額に突きつけた。


「なっ」


「ひっ」


 ホームレスの一人が、足をもつれさせながら病院の中に駆けていく。


「て、てめぇ……。役所の人間じゃないのか」


「なんだ。役所の人間だと思ったのか。違うよ。……人を探している。金目の少年を」


「知らねぇなぁ」


「ふん」


 ちらりとゴミの山に視線を投げた柚須が顎を上げる。


「お前らここを根城にしているくせに随分いい生活をしてるようだな」


 ゴミの山は大半が食料品のものだ。潰れたビールの缶、ピザの箱、総菜パックのごみ、ファストフード店の紙袋。


 当然四番街にいて手に入るものではない。


「日持ちするワケでもない、安くもない、こんな豪勢ごうせいな生活を支えているのは誰だ?」


「……」


「どうした。答えられないなら私が当ててやろうか?」


 目を伏せた男が小さく唸る。


「俺は、何も知らねえ」


「そうか。じゃあお前に用はない。逃げた奴を追うだけだ」


「まっ、待───」


 バン。


 病院内に向かって歩き出した柚須を引き留めようとした男に向け、柚須が一発撃つ。


 弾は男の横を通り過ぎ虚空こくうに消えていったものの、脅しとしては十二分の威力を発揮した威嚇に、男が閉口する。


「そこを動くなよ。次は当てるぞ。そこのお前もだ」


 ずっと事の成り行きを見守っていた一人に睨みを利かせると何度か小さく頷く。


「あのぉ」


 張り詰めた空気を意に介さないような間延びした声が院内から聞こえ、柚須が振り向くと先ほど逃げたホームレスがもう一人似たような身なりの男を連れて病院から出てきた。


「あら随分物騒なお嬢さんだ」


 柚須が手に持った拳銃を見てそう言った初老の男は、怯えた表情の男に奥に行ってるよう手で指示して無精ひげを撫でた。


「……タカさん」


 閉口していた男が呟く。


「その辺にしてもらえませんかね。落ちぶれちゃいるが別に私らまだ死にたいわけじゃないんだ」


「返答によるな」


「なんの返答でしょうかね」


「人を探している。金目の少年だ。知っているな」


「ああ。知ってますとも」


 タカと呼ばれた男は悩む素振りも見せずに頷いた。


「確かにここにいますよ。それで、どうです?その物騒なモノ下ろしちゃくれませんか」


「いいだろう」


「タカさん……!なんで」


 不満げに声を漏らしたホームレスにタカは首を振った。


「潮時ってのはなんにでもあるもんなんだよ。彼にも、私らにも」

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