第2話

 ■■■


「────っ」


 切迫感に駆り立てられて飛び起きると、目の前に白い天井が飛び込んできた。


 肺腑はいふに滑り込んでくる消毒された空気の匂いに体を起こす。


 まとわりつくシーツがやけに居心地が悪い。


「お目覚めか」


 一瞬、自分がどこにいるのか理解できずに呆けていると遠くから声が聞こえた。


 視線を向けた先には凜とした雰囲気の女性が立っていた。少々目つきが悪いせいかスーツ姿と相まって近寄りがたい雰囲気を漂わせている。


「……えっと」


「ああ、私は柚須という。あなたと概ね同業だよ。それよりも自分の状況は分かっているか。体の方は倒れた時の打撲と擦過傷くらいらしいが」


 状況?


 体?


 そこで思考が追いつき、自分が見たものを鮮明に思い出す。


 そうだ。


 私は殺人現場を目撃したのだ。


 この街を不安に陥れている、連続殺人事件の現場を。


「思い出したようだな。気分が悪いようなら看護師を呼ぶが?」


「……大丈夫です」


「そうか。こういう時同業者は助かる。錯乱するでも嘔吐するでもないからな。話も聞きやすい」


「あの、今何時ですか」


「今か?丁度日付を跨いだところだ。あなたが帰路についてから三時間ってところだな」


 三時間。


「家に電話してもいいですか。妹が心配してると思うので」


「妹?……そうか。連絡はこちらからしよう。連絡先を教えてくれ」


「あ、はい」


 茉央の連絡先を簡単にメモした彼女は病室のドアに振り向いた。


「おい」


 スライドドアからガタイのいい男性が顔を覗かせメモを受け取る。


「妹さんの連絡先だそうだ。彼女の安否と状況説明を」


「分かりました」


「────さて」


 男の人が引っ込むのを見届けてからパイプ椅子をベッド脇に置いて腰掛けた彼女は口の端を歪めた。


「まずは、生還おめでとう。あなたは本件で初めての目撃者になった」


「……じゃあ、あれはやっぱり」


「ああ、巷で噂の踏み潰し魔だよ。その被害者の近くであなたは倒れていた」


 ということはあの時聞いた吐瀉物を撒き散らすような音は、まさに被害者が命を奪われる瞬間の音だったということだ。


 もう少し早く、私があの場所を通っていたら。


「被害者を助けられたかもしれない、なんて思考は無意味だ。相手は人外だぞ。あなたがもう少し早くあの場所を通りでもしていたら一緒に踏み潰されていただけだ」


 その言い方に思わず眉間に皺が寄るのを感じる。


「人外って……そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」


 さっき彼女は同業者だと言った。


「あなたも警察官なら、誤解を招くような言い方はやめた方がいいですよ。人を助けるためにこの仕事に就いたのでしょう?」


「概ね、と言ったんだ。成程、大した正義感だな。捜査本部に組み込まれるのも分かる気がする。さぞ使い勝手がいいだろうな、あなたは」


 なんだ。


 なんなんだこの人。


「まぁ、私の話はこのくらいでいい。聞きたいのは奴のことだ」


「あなたに話すことなんてありません」


「それならそれで構わない。時間は掛かるだろうがこちらで探すだけだ。その間に何人被害者が増えるかは知らんがね」


「……あなた、性格悪いですね」


「よく言われるよ。こちらとしてもようやく手に入れた手掛かりだ、どのみちあなたを逃すつもりはない」


 彼女は射抜くような視線を細める。


「洗いざらい吐いてもらうぞ。こいつは私の獲物だ」


 まるで飢えた肉食獣のように目を輝かせる彼女に気圧されないように奥歯を噛んで睨み返す。


「なら、あなたのことを教えて下さい。犯人の情報はあなたの素性が割れてから話します」


 得体の知れない人間に重要な情報を垂れ流すわけにはいかない。


「ふん。賢いな。いいだろう」


 彼女は席を立つと、少し待て、と言って病室を出ていった。


 緊迫した空気から解放されどっと脱力する。


 最初こそ、捜査一課の人間が事情聴取に来たものだと思っていたが、冗談じゃない。


 あんな人が仲間だなんて思いたくない。


 まるで人のことをなんとも思っていないような口ぶりだった。


 確かにがさつな人間が多い職場だが、あそこまでの人は会ったことがない。


 あの人は、本当に同業者なんだろうか。


 そんな不穏な思考に陥っていると、スライドドアが静かに開いた。


 思わず体に力がこもる。


「───え」


「待たせたな」


 入ってきた彼女の後ろにもう一人、見知った顔がいた。


「……班長」


「おう。大した怪我がなくて良かったよ」


「私は一度ける。お前から話をしておけ」


「……分かったよ。それと一応部下の前だ、お前はやめてくれ」


「そう言われればそうだな。じゃ頼んだぞ、班長殿」


 ポンポン、と班長の肩を叩いて彼女は宣言通り部屋を出ていった。


「はぁ」


 盛大に溜息をついた班長が気まずそうに頭を掻く。


「班長、あの人知り合いなんですか」


「まぁ、そんなとこだ。お前、あいつのこと疑ったって?」


「信じろって方が無理ですよ。あんな無茶苦茶な人」


 口走ってから目をそらす。


「すみません。班長の知り合いなのに」


「いい。あの人に関しては慣れてる。……大槻」


「はい」


「本件の管轄が移った。捜査本部は解体だ」


「え?」


 班長が諦めたような表情でパイプ椅子にどっかりと腰を下ろした。


「だから、今日限りで捜査本部は解体だ」


「どうしてですか!どうしてそんな急に」


「指揮権があの人、柚須カナタに移ったからだ」


「そんなの、納得出来ません」


「だろうな」


 今日までみんななりふり構わずやってきた。全ては無差別に人を殺している犯人を一日でも早く捕まえるためだ。


 その成果をぽっと出てきたあんな非常識な人がかっさらっていくなんて納得出来るはずがない。


「失礼を承知で言いますけど、なんなんですか、あの人。班長の知り合いなのは分かりました。けど、私にはとても同じ警察官には思えません。なんですか、本庁のキャリア組とかですか?」


 班長は苦虫を噛み潰したような顔をして緩く首を振った。


「あの人は本官じゃないしキャリアでもない。俺が昔世話になった上司だよ」


「上司?」


 彼女はどう見ても班長よりずっと若く見える。二十代後半と言ったところだろう。


「ああ。俺も最初見た時はお前と同じようなことを思った。クソ生意気な小娘が来たもんだってな。そんな奴が俺達の上に立って何が出来んだって思ってたよ。それが間違いだったってのは、それからすぐに気付いた」


「……どんな事件だったんですか」


 班長はちらりと私を見て、小さく唸った。


「キメラによる殺人事件だ」


「……キメラ?」


「表向きは猟奇殺人事件ってことになってる。あの人はその手の事件のエキスパートだよ」


 班長がじっと私の目を見つめる。


 職業柄、嫌というほど見てきた目。


 これ以上は詮索せんさくするな、ということか。


「……分かりました」


 どのみち捜査本部の解散は決まってしまったことだ。今更私にどうこうすることは出来ない。


「それで、私はこれからどうすれば?」


「あの人にお前が見たものを話せばいい。あ、下手に隠すなよ、どうせ無駄だから。本件に関わるお前の仕事はそれで仕舞いだ」


 班長の話が本当なら自分が犯行を目撃していなくても、近いうちに捜査本部は解散されていただろう。


 それが少し早まっただけだ。


 私が犯人を目撃したことによって。


「あー、そうだ。大槻」


「なんでしょう」


「お前、目撃者の前に警察官なんだからしっかり筋は通せよ」


 ドアに手を掛けた班長が振り向いてにやりと笑った。

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