第10話
■■■
はらはらと乾いた音と共に襲い来る風切り音によって妹尾の
司令塔を失いびくりと大きく揺れた体は倒れる。
無音になった境内で血が土に吸われていく様を佇んで見つめる人影がいた。
黒のロングコートに身を包み左腕に赤い腕章を巻いたその人物の表情は、顔を覆っている黒い狐面によって窺い知ることは出来ない。
目深に被ったフードの下では耳にねじ込まれたイヤホンからしゃかしゃかと漏れ聞こえ、その音に合わせて軽く頭を振りながら手に持った分厚い本を閉じる。
もう用は無いと言わんばかりに背を向けた人影は、横たわる犬の死骸を避けることなく踏みつけながら鳥居を目指して歩きだした。
その後方。
ゆらりと黒い影が起き上がった。
ミチミチと怪音を響かせながら、既に事切れたはずの妹尾の体がゆっくりと立ち上がる。
月明かりの下、吹き飛んだはずの頭部が再生していく。
「おい」
血で
狐面を睨み付ける妹尾の両目は、猛禽類を思わせる金色に輝き怪しい燐光を放っている。
死という概念を忘却した肉体を持ち、悠久を生きる前世界の遺物。
それ故に現世に
己の存在を揺るがす、始祖たる彼に。
「何って聞かれても困るって?前も似たようなこと言ってたよな、お前」
妹尾の言葉に、小首を傾げた狐面がイヤホンを外してポケットに手を突っ込む。
何かをまさぐると騒がしい音が消え静寂が押し寄せた。
「言ったかな、そんなこと」
狐面が小さく呟くと、妹尾は何度か喉を鳴らして血を吐いた口元を拭う。
「覚えてないならいい。てっきり死んだと思ってたよ。お前には聞きたいことがあったんだ」
口の端を歪めた妹尾が目を細める。
「お前、平和維持局の人間だな」
狐面は答えない。
「答えろ」
「……さぁ。違うんじゃないかな」
「とぼけんなよ」
「俺、クビになっちゃったし」
「クビ?」
「そう。────そうだ。思い出した。アンタ、カラスだな」
狐面の言葉に動いたのは妹尾だった。
一足飛びで間合いを詰め、喉元に掴みかかりそのまま押し倒す。
「っかは」
抵抗することもなく押し倒された狐面は強かに背中を打ち付け詰まった息を吐き出す。
紐が緩んだ狐面が顔からずれ、そこから覗いたのはまだ若い男の顔だった。
癖の強い黒髪の下の瞳は闇よりも暗く、何も映していない。
「それだよ」
妹尾の見開いた目が、男の視線を絡め取る。
「それ、誰から聞いた」
「誰、だったかな」
「こっちも時間がないんであまり悠長に戯れ言を聞いてる余裕はないぞ」
「でも俺、約束したんだ。これ最後だし。────約束は、守らなくちゃ」
その時妹尾は見た。
生気すらなかった男の目に、確かな光が宿る瞬間を。
「へぇ」
男が口の端を歪めた。
「アンタみたいな化け物の中にも、それ、あるんだ」
男が苦し紛れに伸ばした右手が妹尾の胸を突く。
その瞬間ずるりと崩れ落ちた妹尾の体から這い出た男は狐面を付け直し、じっと妹尾を見つめた。
「なんでアンタがカラスなのか俺には分からないけど、まぁ、もう会うこともないから。いっか」
落とした本を拾って、さよなら、と呟き狐面は鳥居をくぐった。
狐面が立ち去ってから時間にして約十分。
完全なる静寂に包まれた神社の中、微動だにしなかった妹尾の体が大きく跳ねた。
「ぅ……っげっほ」
妹尾からすれば随分と長い機能停止だ。当然辺りを見回しても狐面の姿はどこにもない。
「くそ」
悪態をついて体を起こす。
目の前に散乱する狼男達の肉塊は回収されることはなかったのか、そのまま残されている。
足を投げ出して地面に座ったまま狼男達の残骸を眺めていると神社の前に猛スピードで車が止まった。
急ぎ足で車から降りてきた柚須が妹尾を見て隠しもせず顔をしかめる。
「なんだ、その顔は。随分生気がないじゃないか」
「文字通りさっき戻ったんでね。また死に損なった」
「なに?」
眉を跳ね上げた柚須が妹尾を睨む。
「誰にやられた」
「それやった奴」
仄暗い街灯に照らされ、折り重なるように倒れている狼男だった肉塊を指さして立ち上がる。
「……見たのか」
目の色を変えた柚須がつかつかと距離を詰める。
「見たよ。追う前にやられちゃったけど」
「お前が、か?」
「そう」
のけぞりながら答える妹尾が肩を竦めた。
「油断した。どういうタネか分からないけど、今まで柚須さんの獲物をやった手法と同じだと思う。目が醒めたらもういなかった」
「そうか」
隠しもせず舌打ちをした柚須が、妹尾に向け拳銃を突きつける。
「言うべきことはそれだけか」
「……今のところ」
パン、パン、パン、と乾いた破裂音が神社に響く。
「三発で許してやる。最低限モノは手に入ったからな。詳しい話は戻ってから聞く」
柚須は拳銃をホルスターに戻しながら、ガクリと膝を落とした妹尾から狼男の残骸に視線を移す。
「いやもう、今日は踏んだり蹴ったりなんですけど」
「ふん。中途半端に誤魔化そうとするからだ。相変わらず嘘が下手だね、お前」
立ち上がった妹尾がバリバリと頭を掻く。
「やられたってのは本当だよ」
「ああ、そこは信用してる」
「あ、そう」
柚須の隣に立ち肉塊を見下ろす。
「それ、どう?その辺のやつかき集めたらほぼ全身残ってると思うけど」
「ああ、そうだな。だがそれだけだ」
柚須にしてみれば本当にそれだけのことだ。
だからこそ、存在していた記録だけは残さねばなるまいと躍起になっているのだ。
「奴は」
狼男を物色していた柚須が妹尾を見ずに呟いた。
「お前を昏倒させた奴はキメラか」
「違う、と思う。まるででたらめな力だったけど」
「そうか。そろそろお前は戻れ。ああ、その格好で歩いて帰るなよ」
「え、なんで?」
「馬鹿者。血まみれで上半身裸の男なんて不審者以外の何者でもないだろう。嫌でも人目に付く。飛んで帰れ」
「はいはい。ああ、あとね」
「なんだ。まだあるのか」
妹尾がにやりと笑って頷いた。
「俺、ちょっとやる気出たかも」
「───いい心がけだ」
「じゃ、あとよろしく」
妹尾が小さく身を屈めた瞬間、その背から漆黒の翼がが突き出した。
ばさばさと何度か羽ばたいた後、地面を強く蹴りそのまま空高く飛び上がる。
「やる気が出た、ね。全く面白い奴だよ、お前は」
その姿を見上げる柚須は、心底楽しげに笑った。
◆
闇夜に浮かぶ高層ビル群を見下ろすように佇む一際背の高い摩天楼。
警告灯が明滅する最上階には屋上の縁に寄せるようにコンクリートで塗り固められた立方体が設置され、一か所だけ設置された掃き出し窓が口の開けていた。
その口に体を滑り込ませ降り立った妹尾に翼が収納されていく。
「ふぅ」
溜息をついて壁に背を寄せ、ずるずるとへたり込むとガチャリとドアが開いた。
「あーちゃん」
すてすてと足音を立てて目の前に来た憂稀に顔を上げる。
「あーちゃん、いたいの?」
くん、と鼻を鳴らしながら眉を寄せる憂稀に、痛くないよ、と答えて小さく笑う。
「もう直ったから痛くない。平気だ」
「でも、いたそうよ」
妹尾の足の間に座り背中を預けた憂稀が見上げる。
「いくならうさもつれていってくれなくちゃ、いやよ」
「……」
「やくそく、したもの」
「は、は」
がらんとした箱に妹尾の乾いた笑いが響く。
「そうだね」
「うん」
「うさ」
「なぁに?」
見下ろす金色の瞳を傾いだ黒い瞳が捉える。
「俺はまだ見えてる?」
若干の間の後、見上げていた憂稀がはにかんだ。
「うさ、あーちゃんのおめめすき」
「……そっか」
そっか、と繰り返す妹尾に憂稀が大きく頷く。
かつてあったという世界。
そこで造られ使役されていた戦争の兵器。
唯一の友人に鴉と名付けられた死に損ないは、まだ生きていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます