第3話

 なんとなく足取りが重くなるのを感じながら家に帰り着くと、ドアの開く音に気付いたのか奥の部屋からぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえ、白い影が足に抱きついた。


「おかえりなさいですー!」


「はいただいま。久凪ひさなぎ、柚須さんいる?」


「いますよー」


 じゃれつく久凪の白い頭をぐりぐりと撫でる。


 見上げる銀灰色ぎんかいしょくの両目を細めて奥の部屋を指差す。


「もうお夕飯済ませてコーヒータイムしてます」


「そっか」


 なにやら機嫌の良い久凪を引き連れて奥の部屋に入ると、険しい顔で分厚い紙の束を睨み付けていた女が顔を上げた。


「随分遅かったな、妹尾せのお


「そう?」


 肩を竦めて柚須さんの向かいに腰掛ける。


「こんなもんじゃないの。はいこれ」


 小洒落こじゃれた紙袋をテーブルに置く。


「……なんだこれは」


「初仮から。よろしく伝えてくれって渡された。甘い匂いするし食べ物じゃない?」


「ほう。相変わらず律儀だな、彼は」


 感心しながら紙袋の中身を取り出しにやりと笑う。


「なんですか?」


 興味津々の久凪が首を伸ばす。


「これはチョコレートだよ」


「チョコですか!」


 とたんに目を輝かせた久凪に、柚須さんが大きく頷く。


「ああ。駅前に出来た専門店のものだろうな。だがね久凪、残念なことにこれは大人しか食べられないんだ。アルコールが入っているからね」


「ああー……お酒ですか」


「おや」


 明らかにテンションの下がった久凪に、柚須さんが紙袋から手のひらに載る小さな紙袋を取り出した。


「これはなんだろうな、久凪?」


「ん?」


 吊り上げられていく紙袋に視線を奪われながら、んー、とうなる久凪が首をひねる。


「すごく、ちっちゃいチョコ、ですか?」


「かもな。二つもあるぞ」


「二つ?」


「ああ。答えは妹尾が知ってるんじゃないか?なぁ?」


「……」


 なんでこの人こんな上機嫌なんだ。


 見ててすごく怖い。


「それはお前のだよ。久凪と憂稀うさきにって」


「え!?」


 柚須さんから紙袋を丁重に受け取りながら丸くした目を輝かせる。


「くーちゃん達に!?」


「うん。それは酒が入ってないから大丈夫。なんか可愛いやつにしといたって言ってた。うさと一個ずつ食べな。今度初仮に会ったらちゃんとお礼言うんだぞ」


「あい!」


「良かったな、久凪」


「嬉しいですー!」


 小躍りする久凪を眺めているうちに自然と頬が緩む。


 まぁ、なんだ。


 こういう久凪の顔を見ることが出来るのは悪くない気分だ。


「あ、セノさん何か飲みますか?くーちゃんの麦茶ありますよ」


「じゃあそれもらう」


「あい!」


「妹尾、青年は元気そうだったか?」


 軽快にキッチンへと向かっていく背中を眺めていると、柚須さんが目を細めていた。


「相変わらず。ガタイが良くなったくらいだね」


「そうか。あの年頃の男性はまだ成長過程だからな、まだでかくなるだろ」


「ふうん」


 そういうもんか。


「……なんだ、機嫌が悪そうじゃないか」


 皮肉げに片頬を歪めてただでさえ悪い目つきを一段と鋭くする。


「別に青年の成長に嫉妬しているわけでもあるまい?」


「そんなのするわけないだろ。分かってることを聞かないでよ」


「ふん。何が不満だ」


 意地でも言わせる気か、この女。


 とことん性根が悪い。


「お待たせしましたー」


 そろそろと麦茶を運んできた久凪からグラスの縁ぎりぎりまで注がれた麦茶を受け取る。


「ありがとう。随分入れたな」


「あい。いっぱい飲んでください」


「分かった」


 召し上がれ、と言った久凪が麦茶を啜る俺と柚須さんの顔を交互に見つめる。


「くーちゃんはお部屋に行ってますね。初仮さんにお手紙書くので」


「うん、それがいい。きっとすごく喜ぶぞあいつ」


「あい!」


 小さい紙袋を二つ抱えて自分の部屋に引っ込んだ久凪を見送って視線を戻すと、尊大なオーラをこれでもかと放って柚須カナタが腕を組んでいた。


 この人、一応久凪の前では遠慮していたらしい。


「お前も成長してるじゃないか。いや、お前の場合は前からか。あの子に対して甘いからなお前は」


「俺の話はどうでもいい」


「ほう?」


「なんであいつに今追ってる奴の話をリークした?一般人を巻き込むなって最初に言ったのはあんただろ」


「なんだ、そんなことで怒ってるのか。随分友人思いになったもんだ」


「はぐらかすなよ」


 こちらの威嚇など意に介さず、笑顔のまま首を傾げる。


「はぐらかしてなんかいないさ。お前でも成長するんだと感心しているんだ。青年に情報をリークしたのは確かだがね。彼は私の大事な後継者だ。その為の準備は早いに越したことは無いだろう?」


 まさに唯我独尊。


 これこそこの女、柚須カナタの本来の姿である。


 年齢は不詳、背中まである髪は一本でまとめいつも暗色系のスーツに身を包み、性格の悪さがそのまま顔に出ている。初仮に言わせれば綺麗系の姉御肌。


 この街の公安に属し、俺と久凪久遠くおんの保護者でもあるこの人の本懐ほんかいは、ゲテモノ専門のコレクターだ。


 どんな手を使っても手に入れようとするその強欲っぷりは他の追随ついずいを許さない。


 というかこんな人間が二人も三人もいたらたまったもんじゃない。


「大体、最初というなら最初に私の言いつけを破って巻き込んだのはお前だろう?」


「あれは不可抗力だ」


「そうか。なら彼に会うという名目でお前を外に出してやる義理は今後一切無いな。お前がどれだけ寄り道していようとも目を瞑っていたというのに」


「げ」


 しっかりバレてるし。


「当たり前だろう。お前が私の言うことを聞けないのならあの子を生かしておく理由は無い。最初に、そう言ったはずだ。あの子の命運はお前が握っている。大事なコレクションを一つ失うのは痛いが、お前本体を失うよりかは何倍もマシだからな」


「……この性悪」


「それが返事でいいんだな?」


 相変わらず顔は笑っている者の睨み付ける目の奥は本気だ。


 やると言ったらやる。


 この女はそういう人間だ。


「分かったよ」


 降参、と両手を挙げて溜息をつく。


「やることやれば良いんでしょ」


 なんかもうどっと疲れた。


 この人を言い負かせる人間なんてこの世にいないんじゃないかな。


「分かればいい」


 満足したのか柚須さんは頷いて資料を投げて寄越よこす。


「狼男の資料だ。お前も一応目を通しておけ。あぁ。あとな、随分気にしてるようだが青年に関しては今回心配しなくていいぞ。だから私もリークしたんだ」


「は?」


 コーヒーを飲み干した柚須さんが立ち上がって伸びをする。


「なんだそれ。どういうこと?」


「ん?なんだお前知らないのか?」


 得意げな笑みの中に僅かに無邪気さがにじむ。


「男はみんな狼。いつだって食うのは男で、食われるのは女だからだよ」

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