第2話

 この街には、コンバートと呼ばれる遺伝子工学に基づく技術が蔓延まんえんしている。


 賑わう店内を見渡せば、そこかしこに人類にあるまじき外見の人間が思い思いの昼下がりを過ごしている。


 皮毛に覆われた三角形の耳が頭から突き出た者、ふさふさとした長い尾を揺らす者、肩から腕に掛けてうろこに被われた者。


 本来あり得るはずのないこれらの特徴は全て本物の動物のものを置換、増設したものだ。


 目や耳はもちろん、腕や足といったパーツから全身に至るまで幅広く適応させることができる。


 驚くべきはその見た目だけではなく、それぞれの部位が通常持ち合わせている機能まで生きていることだ。


 とはいえ中身はそのまま元の人間なわけで、人は自分の容姿を好きなように楽しむことが出来る正に夢のような技術なのだろう。


 文字通り血の通った一生ものの身体的特徴を、誰もがこぞって取り入れようとした結果、憧れの人外へと変貌へんぼうを遂げる者も少なくない。


 ちなみにどんなものにも流行廃りがあるらしく、獣の耳と尾のセットは根強い人気があって若者が集まる場所はまるで仮装パーティーのような様相なんだとか。


 全部初仮の受け売りだけど。


 一般的には高度なファッションとして浸透しているこのコンバートも、全くリスクが無いわけではない。


 元々素養があったのだろう、と柚須さんは言うが時折コンバートにより人体に取り込んだ異物に過剰反応する人間が出てくるのだ。


 その反応はアレルギー反応のように全身を巡り、やがて肉体だけでなく思考にすら変異を起こし、時に人智じんちを越えた悪さをする。


 この狼男もその一人だ。


 「……で、なに、お前さらっと流したけど食い殺したって言った?」


「言った」


「マジかよ……」


「ああ」


 流石に大の大人を完食とまではいかないようだが少なくとも四人、この狼男は食っていることになる。


「なんでそんな酷いことを」


「なんでってそりゃ狼男だからだろ」


「んな無茶苦茶な……。案外最近増えてるっていう野犬の可能性だってあるだろ」


「それはないんじゃない?被害があるのは満月の夜だけだって言ったろ。少なくともそういうもんだって、そいつは思ってるってことだよ」


 野犬であれば、わざわざ日を選ぶなんてことはしない。


「お前だって、この話したとき納得したじゃないか。それで狼男かって」


 満月の夜に自我を保つ理性を打ち捨て、身も心も人から獣へ変化し人を襲う。


 それが狼男のあるべき姿だと思っているのだ。


 そんなまどろっこしいことをするのはそれこそ人間くらいだろう。


 あれこれと自己の正当性を求めて理由をこじつけるのはある種人間の性なのかもしれない。


「元がどっちかなんて俺には興味ないけど、これは人の仕業しわざだよ」


「それもそうか……」


「そういうこと」


「お前のこういう話聞き慣れてるから理解できなくはないけどさ……食おうと思う理由が俺には分からねぇよ」


 神妙な顔つきでポテトを齧る初仮に、さあね、と肩を竦める。


「それこそ俺には分からないね。単純に腹でも減ってんじゃないの。その辺はお前の方が分かると思うけど。今だって食べたじゃん、肉」


「分かるか馬鹿。俺をなんだと思ってんだお前はっ」


 初仮が勢い良く立ち上がって張り上げた声に一瞬店内が静まり返り、あ、すんません、とバツが悪そうに周囲に頭を下げて席に座る。


「ったく。……笑ってんなよ。冗談か本気か分かんねぇこと言いやがって」


「半々ってとこかな」


「ええ、ええ、そうだろうとも」


 不貞腐ふてくされたように大きな紙コップに突き刺したストローを咥えてずぞぞー、と中身を啜った初仮が表情を曇らせ、可哀想にな、と呟く。


「怖かったろうなぁ。わけも分からねぇで襲われて」


 このお人好しめ。


 だからこいつにこの手の話をするのは嫌なんだ。


 おそらくこいつは今、見知らぬ人間の末路を想像して心底同情しているのだろう。


「まぁ、柚須さんの話じゃ被害者同士に関連は無さそうだし、要するに運が悪かったんでしょ」


 単純にその時その場所にいた、それだけのことだ。


「……そういう言い方やめろっていつも言ってんだろ」


 初仮が不快そうに顔をしかめて声を低める。


「人が死んでんだぞ。運が悪い、なんて言葉で簡単にまとめていいような話じゃないんだよ」


 まったく、と憤慨ふんがいする初仮に肩をすくめる。


「相手が俺だからまだいいけど、他の人には間違ってもそういうこと言うなよ」


「悪かった。気を付けるよ」


 俺の周りにいる人間でこういうことを窘める奴はそれこそお前くらいだとは言うまい。


 こいつの凡人ぶりはこれで、かなり貴重だったりするのだ。


 ■■■


「あんまり無茶すんなよ」


 そんなことを言われつつ初仮と別れ、すっかり日の落ちた街路を歩く。


 等間隔に並んだ街灯が煌々と照らす下をぞろぞろと浮かない顔で歩く人の流れに逆らいながら上空を見上げると、ひしめく摩天楼まてんろうが覆い隠す空には鋭い月が浮かんでいた。


 星空なんてものとは縁遠い空には摩天楼の無機質な窓明かりが散らばるばかりだ。


 まぁ、この街区に空を見上げるような余裕のある人間もいないだろう。


 街の心臓部たるこの中央圏は、乱立する高層ビルの呼吸によって成り立っている。


 朝に大量の人間を吸い込んでは夜に一斉に吐き出す一日サイクルの呼吸は、中に取り込んだ人間を容赦なく磨耗まもうし消費していく。


 毎日繰り返される呼吸に、心身共に疲弊ひへいしきった人間には空を見る余裕なんてない。


 あるのは切迫せっぱくしたような帰巣本能だけだ。


 固まったような無表情に殺伐さつばつとした雰囲気をまとった人の群れは、自分の足先を睨みつけながら一様に急ぎ足で家に帰るべく駅へと向かう。


 ただ単に一刻も早くこの街区から離れたいだけなのかも知れないが、目的は違っても行き着く先は同じ我が家だ。


 それは俺も同じ。


 住んでしまえば案外、この中央圏だって悪くない。


 住めば都、とはよく言ったものだ。


 ただひとつ問題があるとすれば、鬼のような保護者がその家で待ち構えているということだろう。


 全くもって気が重い。


 それでも帰らないという選択肢が無いあたりが特に。


 もしかしたらこのすれ違う能面のような顔の奥にはそんな思いを押し込めている人もいるのかも知れない。


 そう思うだけで少し同情を抱く自分がいたりした。

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