約束のカルマ

須和田 志温

1章 キメラ

第1話

 世界は一変した。


 さしたる理由もなく当然のように行われた代謝で、全ては瓦解がかいした。

 なにも不思議なことではない。


 そもそもとうに限界を超えていたのだ。


 絵に描いたような終末に困惑こんわくする生き物の姿はどこにもない。


 見渡す限り灰褐色はいかっしょくの大地に視線を落とし、ひどい有様だ、と悪態をつく。


 自分の存在価値はもう無いらしい。


 計算尽くで造られたこの体も無用のものになった。


 その事実にか細いちぎりが絡みついた体をよじる。


 ピアノ線のように肉に食い込む契りが思い知らせるのは絶望的なまでの生。


 だがそれももう終わりだ。


 何も果たせぬまま不要になったものに、残された道はただひとつ。


 世界の代謝に呑み込まれ、ただちりと化すのみ。


 そのはずだった。


 死の大地が静かに呼吸を再開する。


 再び始まった営みに呆然とする。


 一向に訪れぬ終わりに。


 何事もなく始まった新たな世界に。


 遺されたのは、代謝にすら見放された己が身ひとつ。


 血腥ちなまぐさい体を持て余し諦観ていかんする視線の先で、世界は再構築した。


 死に損ないの体は今日も呼吸をする。


 見違えた世界に死地を求めて。


 ◆◆◆


 草木も寝静まる丑三つ時。


 眠ることを知らない街を循環じゅんかんする無人の環状線が頭上を通り過ぎていく。


 反響する轟音に高架橋の古びた蛍光灯が明滅する。


 その心許ない明かりの下、外界を拒絶するようにひっそりとそれはあった。


 青白い顔で目を見開き、首から下は赤黒い液体に濡れた死体。


 散乱した臓物ぞうもつがぬらぬらと光を反射している。


 ヒトガタであった名残の手足は大きく投げ出され、一見赤いドレスを着て踊り狂っている人間を連想させる。


 その躍動感とは裏腹に、もう二度と動くことのない死体から放たれる重苦しい空気がこの場を支配していた。


 胸を焼くようななまぐさい空気を吸い込みながら、靴を濡らす赤黒い液体に顔をしかめて死体をあさる。


 まだ生温い臓物は、事切れてからさほど時間が経っていない証拠だろう。


 圧倒的なまでの暴力がついさっきこの命を食い散らかしたのだ。


 随分中身の少なくなった体から手を引いて立ち上がる。


 人間の三大禁忌がどうの、同族殺しがどうの、とやかく言うつもりは毛頭ない。


 そもそも人類の歴史は禁忌と同族殺しで出来ている。


 それでなくても倫理観なんてものは今時何の役にも立たないほど希薄な観念になりつつあるのだ。


 結局のところ、人が一番優先する感情は快楽で、その為なら多少のタブーなんていくらでも踏み倒すようにできている。


 その結果がこれなのだろう。


 なんでこんなものを食おうと思ったのかさっぱり理解できないが、どうやら味を占めたらしい。


 被害はこれで四件目。


 ペースは早くないがそろそろ無視できなくなってくる頃合いだ。


 帰ろうとした俺を何も映していない目が無感情に見上げる。


「なんだよ」


 当然答える声は無い。


 死体から視線を切ってまとわりつくよどんだ空気を払うように高架下からい出る。


 別に食いたければ食えばいいと思うが、そうも言ってられない事情がこちらにもある。


 濃密な血の臭いに混ざる獣の残り香が鼻を掠めていく。


 これは俺の獲物だ。


 正確には俺の保護者のだが、まぁそんなのは些細ささいな問題だろう。


 あの人は頭脳、俺は手足。


 実際に動くのは俺だ。


 それに、後輩の指導は先輩の役目だって言うしね。


 ■■■


「おい、聞いてんのか?」


 賑わいもピークに達した昼下がりのファストフード店で随分と分厚いハンバーガーを貪りながら初仮はつかりが不満げに顔をしかめる。


「聞いてる聞いてる。そのハンバーガー期間限定なんだろ」


 外にいるなら付き合えよ、なんて文言で呼び出されたと思ったら、何が楽しくて限定品のハンバーガーを食べる男を眺めなくてはならないのか。


「良かったな。食べたかったのがまだあって」


「違うわ。全然聞いてないじゃんかよ。狼男。追ってるらしいじゃんって話」


「ああ。その話か。お前相変わらず耳が早いな。柚須ゆすさんはまだ情報出回ってないって言ってたけど」


「その姐さんから聞いたんだよ」


「あ、そ」


 しかしこいつを抵抗無く巻き込むあの人もあの人だけど、怖じ気づかずに首を突っ込むこいつもこいつだな。


 そんなんだから柚須さんに気に入られちゃうんだ。可哀想に。


 この男、初仮尚吾しょうごは俺の数少ない友人で、数年前高校に編入した時何かと俺について回っていたお節介焼きの元級友だ。


 どうせ学校にいる間だけの関係だと高をくくっていたら持ち前の善意であちこちに首を突っ込んで来るせいで放置するわけにもいかなくなり、そのままズルズルと今まで付き合いが続いている。


 しかも気付けば俺の保護者のお気に入りになってしまって、こいつに何かあった場合しっぺ返しを食らうのは完全に俺なのでリスクに関しては常にストップ高だ。


 まぁ、悪い奴じゃないのは確かだし、大事な友人であることに変わりはないんだけど。


「で、どうなんだよ。見つかりそうなのか?狼男」


「今のところ、まだ」


「あー、だからか」


「なんだよ」


「いやさ、なんか姐さん機嫌悪かったから、何でかなーと思ってたんだ。俺、電話もらったときちょっとびびっちゃったよ」


「ああ、それ当たり。あの人このところずっとカリカリしてんだよ」


 ぶっちゃけ不機嫌なのはいつものことだが、今回は少し別の事情がある。


「俺としても今回ばかりは横取りされる前に早いとこ見つけたいんだけどね」


「横取り?」


「そ。あの人の獲物を先回りして殺してくれちゃってる輩がいるんだよ」


 しかもこのところ連戦連敗。


 生け捕りがモットーの柚須さんとしては、自分のコレクション候補が次々殺されていくのが我慢ならないのだろう。


 あの人、生粋のコレクターだし。


「なんだよ、それ」


 明らかに表情を曇らせた初仮がずい、と身を乗り出す。


「誰がそんなことを」


「さぁね。誰だっていいよ。そんなの俺には関係ないし」


 現状、俺に分かるのは柚須さんの邪魔をした奴が見つかったらタダじゃ済まないってことだけだ。


「だからまぁ、殺される前に捕獲したいってところなんだろうね」


 がふがふと薄い成形肉が四枚重なったハンバーガーと格闘しながら初仮が神妙に頷く。


「成程なぁ」


 そのせいで件の食い散らかしが発見された直後に「お前ちょっと深夜徘徊して餌になってこい」なんていう憂さ晴らしとしか思えない指令を受けて俺は今に至っている。


 頭がおかしい指令なのはいつも通りだから置いておくとして、裏を返せばいつにも増してこの狼男の捕獲に躍起やっきになっているということなんだろう。


 本当、面倒くさい。


 なんて口が裂けても言えないけど。


「ふぅん」


「……お前変に首突っ込むなよ。俺、お前の面倒見るほど余裕ないからな」


 なんせ保護者が身を挺してでも捕まえてこいと言っているのだ。


 まさに首の皮一枚、崖っぷちもいいところ。


 そんな状態で他人の動向にまで気を回している余裕はない。


「分かってるって。その辺は弁えてるよ」


「ならいいけど」


「それとさ」


 ハンバーガーを平らげた初仮が細いポテトをつまみながら、思い出したように人差し指を立てた。


「俺、姐さんから連絡もらった時から気になってたんだけどその犯人さ、なんだって狼男なんて呼ばれてるわけ?こう言っていいのか分からないけど、別に珍しくもないじゃん、狼人間なんて」


「それはあれだ、今のところ決まって満月の日に食い殺して回ってるからみたいよ」


 納得したのか初仮が、ははーん、と唸る。


「だから狼男か。いや俺「青年、狼男に興味はあるか」とか急に言われたからコンバートに勧誘されてんのかと思っちまったよ」


「それはあの人が悪い」


 流石に言い方ってもんだあるだろうに。


 というか本当にあの人、平気でこいつを巻き込むな。


 盛大についた溜息で喉が低く震えた。

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