仏頂面からの笑み
ビクターとキャシーがこちらに向かってきた。
フローラを見つけ、わざわざ来たようだ。
「フローラ、こんなところで会うのは奇遇だな。元気そうで何より」
もう婚約者じゃないのに偉そうだ。
「ドレッド伯爵令息。あなたはもうフローラ様の婚約者ではないと聞きます、その口調は改めるべきです」
ライカがフローラの代わりに咎める。
「何だと?お前は誰だ」
そういったビクターだが、ライカの体格と身長に驚いている。
声を掛ける前からライカはフローラの前にいたのだから、気づいてもよさそうなものだったが。
フローラより小さいビクターとキャシーを、ライカは凄みのある目で睨みつける。
「俺は護衛騎士のライカと言います。本日は我が主の婚約者であるミューズ=スフォリア様の命により、フローラ様の護衛をしています。不埒なものを近づけるわけには行きません。ですのでドレッド伯爵令息、口調を改めてからなら要件を聞きます。何用ですか?」
不機嫌オーラを隠しもせず、ライカはもう言った。
公爵家の名前も出され、自分よりはるかに背が高い男に凄まれ、ビクターは尻込みしている。
「フローラに…いや、ローズマリー侯爵令嬢に話しかけたのは、共同経営の復帰をお願いしたいからだ」
フローラは首を横に振る。
「それは婚約解消のきっかけとなった、そちらの責任です。それにその件はお父様じゃないとわかりません。私では無理ですわ」
「そこを何とか言って欲しいんだ。このままでは遊ぶ金もないし、フ、ローズマリー侯爵令嬢から言ってもらえれば、きっと何とかなるからさ」
恥知らずなお願いだ。
金がないなら働けばいいのに、遊ぶためだなんてもってのほかだ。
「お願いします、フローラ様。そんな意地悪な事を言わないで、あたし達を助けると思って」
「ショーア子爵令嬢。あなたも言葉遣いに気を付けてください。今の俺はフローラ様の護衛です。あまり舐めた態度を取られると、俺も面白くない」
ライカは剣に手を掛けた。
身分をわきまえろと言う事なのだろう。
それにしてもライカと直接関係ある人たちではないのに、すぐに相手の名前が出てくるとは。
ライカの記憶力の良さに感心はするが、血の気が多い。
往来で本当に剣を抜かないだろうけど、心配だ。
普段もこうなのか?フローラは首を傾げる。
「まさか剣を抜く気なの?こんなところで?!」
キャシーがビクターを盾にする。
「やめろ、キャシー。服を掴むな!」
ビクターが逃げないように押さえているようだ。
「抜きませんよ、あなた方がこれ以上フローラ様に無礼を働かなければね」
そうは言いつつ、剣を握る手には力が込められている。
フローラはその手を押えるようにライカの手を取る。
「申し訳ありませんが、私では無理だわ。そういう話ならお父様に直接どうぞ。では失礼しますね」
ライカの腕を引っ張り、フローラは急いでその場を離れた。
しばらく走り、ようやく足を止める。
フローラは息が上がっているのに。ライカは涼しい顔だ。
「何か報いを返さなくて良かったのですか?」
「いらないわ。それよりライカ様、二人を斬ろうとしてませんでした?」
フローラは確認のためにライカに聞く。
「いいえ、脅しただけです」
そう言いながらやや残念そうな表情をしていた。
「それにしても迷惑な二人、もう来ないといいのだけど…」
(帰ったら父に相談してみましょう)
こんなことが何度も続いたら、さすがにたまらない。
ようやくフローラの呼吸が整ってきた。
「あの、フローラ様?」
「どうかしましたか?」
困ったようにライカが声を掛ける。
「手はまだつないでいた方がいいですか?」
「?!ごめんなさいっ!」
フローラはパッと離し、謝罪する。
「その、わざとではなくて。不愉快な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい!」
「いえ、別に大丈夫です」
ますます眉間に皺を寄せてしまうライカに、慌ててしまう。
婚約者でもなく、緊急時でもないのに手を握ってしまったので、怒らせてしまったとフローラは思ってしまった。
(どうしよう…怒ってる顔とよね)
ライカは握られていた手をじっと見て、その手をフローラに差し出す。
「えっ…?」
「余計な者に会って、お疲れでしょう。甘いものでも食べに行きませんか?マオとチェルシーに紹介されたお店があるんです。よかったら案内します」
ライカの手を見つめ、フローラは止まってしまった。
「甘いものは嫌いですか?」
「いえ、そんなことはないですが」
この手を取っていいのか迷ってしまう。
手と顔を交互に見てしまった。
「行きましょう」
フローラは恐る恐るその手を取った。
先程は全く意識していなかったが、今は凄く意識してしまう。
男の人の手を握ったのは、ビクターとダンスした時くらいだ。
デートなどで握ったことは、ほとんどない。
ライカの手はビクターと違い、大きくて硬いのだけれど、ほとんど力も入れず、優しく握ってくれている。
「ライカ様の婚約者様に悪いです…」
手を取ったはいいが、言い訳が考えつかない。
差し出したのはライカなのだけど、断り切れず握ったのフローラだ。
「伝えておけばよかったですね。俺にそういう人はいません」
「そうなのですか?」
ライカは自分より年が上だから、すでにそういう人がいてもおかしくないと思っていた。
王族付きの護衛騎士で貴族である。
収入も悪くないし、性格や顔…は好みによるとして、いてもおかしくないのに。
「俺はルドと違って優しくないし、顔が怖いと言われますので」
(まぁ確かに)
思わず口から洩れそうになった言葉を押える。
「私が言うのも何ですが、ライカ様ならきっといつかいい人が見つかりますわ」
「ありがとうございます。ですが、こんなに短気な男を好く人など現れませんよ」
ライカは首を振り、自嘲気味に呟いた。
「いえいえ、確かに怒りっぽいかもしれませんが、それはライカ様が優しいからですわ」
「優しい?」
言われたことのない単語にライカは首を傾げる。
「少なくとも先程の事で言えば、私の為に怒ってくれましたよね?ライカ様はとても優しくて、そして短気というのは感情や行動にすぐ移せるってことですもの。悪い事ばかりではないですわ」
「そう、でしょうか…?」
「えぇ、だから大丈夫です」
フローラの慰めに、ライカの頬が少し緩む。
「ありがとうございます、元気でました」
ライカのはにかむような笑顔にフローラも嬉しくなる。
ようやく眉間に皺を寄せた顔以外を見ることが出来たのだ。
今日一番の収穫かもしれない。
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