(三)

 ミーンミンミンミンミンミン。


 ああ、五月蠅い。 蝉がひっきりなしに鳴いている。今は夏休み。鈍く痛む頭を押さえながら母が開けていったカーテンを閉める。昨日から頭が痛い。夏バテだろうか。体も何となく重い。重たい目を開け、携帯電話の通知履歴を見る。視界の隅で麻琴からもらったストラップが揺れている。


「麗香〜。体調大丈夫?もし元気だったら午後に遊びに行っていい?恋バナしたいんだ♡」


 通知履歴に残っていたのも麻琴だった。元気ではないが、解熱鎮痛剤を飲めば大丈夫だろう。正直、体調はどうでもよかった。彼女から恋バナという単語が出てきたのは初めてだった。むしろ彼女は恋バナなんてあほくさいというタイプだったのに。彼女が好きになった人を知りたかった。麻琴に二時集合というメッセージを送り、来るまでもうひと眠りした。彼女は少し早い時間にお菓子を持ってやってきたので私は準備に一苦労だったが、それも常なのであまり気にならなかった。麻琴は持ち前の明るさから私の母とも仲が良く、麻琴が来ると母も上機嫌になる。


 麻琴は二階にある私の部屋に入った途端、待ちきれないといった表情で話を始めた。


「私さ、ちょっと気になってたバスケ部の部長の山岸センパイと付き合ったの!私恋愛なんて初めてで、センパイに変な態度とってないかすごく心配だったんだけど、『麻琴は普段の姿が一番かわいいよ』って言ってくれて!私もう感激。一生ついていきます!って思っちゃった」


 喉がひりつくのは恐らく夏バテのせいではないだろう。 乾いた声でやっと尋ねる。


「それ、いつの話……?」


 麻琴は不思議そうな顔をした後、話したくてたまらないのかにやけた表情で


「バスケ部の合宿あったじゃん? あの時だから確か七月の終わり?かな」


 だとしたら、おかしい。今は八月中旬。 私が八月の上旬にショッピングモールへ出かけた時、偶然山岸先輩を見かけた。その時の彼は、麻琴ではない、違う女性と歩いていた。 多分、 隣の高校。腕を絡めて歩いていた二人は、ただの友達という関係ではなさそうだった。


「山岸先輩、 やめた方がいい」


「え?何で?」


 麻琴は怪訝そうに眉をしかめる。 私は熱でもあるのだろうか。頭がぼーっとする。こんな言い方をしたら、誰だって麻琴と同じような反応をする。でも、どうしても伝えたい。山岸先輩が別の女性と歩いていたこと。そうしたら、彼女はこの恋から覚めるかもしれない。そして……




「……じゃダメなの?」




「え?ごめん、聞き取れなかった。 何?」




「私じゃダメなの?麻琴の隣にいるの」




「何言ってんの。今私の隣にいるじゃん。まだ熱があるんじゃないの?山岸センパイのことも悪く言うし」




 そう言って口を尖らせる。ああ、私は彼女のこの表情が豊かなところが好きなのだ。頭の奥でそう考え、それが顔に出てしまったのか自然と頬が緩み、麻琴はまた怪訝そうな顔をする。彼女のその表情を見て、私はもう感情の制御が利かなくなった。




「山岸先輩が麻琴と付き合った後、他校の女子生徒と腕組んで歩いてるところを見たの。あれは絶対浮気だった。だからそんな男やめなよ!やめて、やめて……」




 嗚咽が止まらない。麻琴は驚いて声も出ないようだった。そんな彼女の姿を見て一瞬冷静になる。しかし言葉は止まらなかった。




「そんな先輩やめて、私と付き合えばいいじゃん……」




 言ってしまった。もう女の子には告白しない。そう決めたはずなのに。制御が利かない。これは熱のせいなのかそれとも山岸先輩に取られてたまるかという意地なのか。


 麻琴は唖然としていた。 それもそうだろう。今まで親友として一緒に過ごしてきた相手が、自分に対して恋愛感情を抱いていたのだから。彼女もまた、掠れた声を絞り出す。




「何……言ってるの」




 目を真っ赤にして彼女は続ける。




「何言ってるの麗香。おかしくなっちゃったんじゃないの!?山岸センパイがそんなことするわけないじゃない!それに私のことが好きって。冗談でしょ?私たち親友でしょ?もう、わけわかんないよ。……そっか。 だからジェンダーの授業、ちゃんと聞いてたんだ。












……気持ち悪」









 頭がかっとなる。 思考が停止した。 そして次の瞬間、目の前には鮮烈な赤色が広がっていた。










 私は、麻琴を殺してしまった。










 生きていない。そんなことくらい見てわかる。『気持ち悪い』という言葉に私はどうにかなってしまったようだ。まさか、椅子で麻琴を撲殺してしまうなんて。

 



 悲しいはずなのに、口をついて出てくるのは笑い声だった。









 はははははははははは。 あーっはははは。









 面白くも何ともないのに笑いが止まらない。それと同時に涙も出てくる。泣き顔と笑顔の混ざった顔でただ一言、これだけ出てきた。










「……“普通”になりたかった」











 私の髪色は、麻琴の”赤”で染まっていた。


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どこか違う 花宮零 @hanamiyarei

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