第参話「エル・ディアブロ=ヴァイオレット」

 俺は面白いものが好きだ。人間、妖怪、妖精、悪魔、天使。どいつもこいつも身勝手で、自分本位。けどそこが面白い、じゃなきゃ面白くない。

 だから俺はこの街にいる。誰もが夢を視るこの街で、いつまでも夢を見ていたいから。



        □


「ハァハァハァ……」


 呼吸が粗い、どれだけ走ったのか。

 少女は走りながら後ろを見た。

 黒い服に身を包みサングラスが光る男達は、夜の街を更に加速して追いかけてくる。

 何故こうなった。ただもう一度会いたい人がいただけなのに、軽い気持ちで森など出なければ良かった。


「ハァハァハァ……」


 人混みの中を走り続けていた少女は、突然何かにぶつかり転倒する。


「うぉっ! 痛ァ……」


 身体を起こしながら前を見ると、少年が痛そうに倒れている。


「ねえ君、大丈夫?」


 少年はぶつかったのはこっちなのに、先に起き上がり手を差し伸べてくれた。

 少女は申し訳なくなり手を出そうとする。その時、不意に少し遠くから声が聞こえてきた。


「どこいったんだ全く……!」


 姿はまだ見えないが男達はかなり近づいてきていた。

 少女は辺りをキョロキョロ見渡すと、奥の道に路地を見つけた。

 本当は更に申し訳なくなったものの、少女は少年の手を振りほどき路地に走っていった。




 ゴミ箱などを倒しながら路地を駆け抜けていく。次第に自分の身体には獣の耳と尻尾が出てきていた。

 ヤバい、変化が保たなくなってきている。

 少女は更に加速して真っ暗な路地を抜ける。抜けた先には色々な建物が並んでいて、少女はその中で一番ボロそうな建物に向かって走っていった。

 しかしそんな少女の肩は、無慈悲にも黒服の男に掴まれてしまう。


「離して!」


 少女はすぐさまその腕を振り解こうと暴れたが、黒服の男達は見た目で分かるほどの巨漢で、全く意に返さなかった。


「お嬢様、暴れないで下さい。ここは本当に危ないところなのです」


 少女を諭すように男達は語りかける。しかし、少女はそんなことはお構いなしに暴れ回った。


「嫌! 私はただあの人に……!」


 少女は今にも泣きそうに訴えかける。しかし、黒服の男達は暴れる少女を抑え連れて行こうとしている。

 少女が黒服の男達に連れてかれそうになったその時、突然黒服の男達はその身体を壁に投げ飛ばされた。


「なっ!?」


 男達はすぐさま体制を整え前を見据える。

 少女の前には、赤く長い髪をなびかせ、巨漢の男達に見劣りしない肉体を持つ男が立っていた。


「貴様……、何者だ」

「何者だってなぁ、お前らこそ何だよ。人の事務所の前で騒ぎやがって」


 赤い髪の男は後ろの一番ボロそうな建物に目線を送った。


「……それは申し訳ないな。我々はもう行くからそれで許してくれ」


 そう言うと、黒服の男達は少女に近づき腕を掴もうとした。しかし、その腕は少女に届く前に赤い髪の男に掴まれ、その場で動かなくなる。


「……なんのマネだ」

「あ? いや、コイツ嫌がってたからな」


 黒服の男は腕を振り解こうとするが、掴まれたその腕はピクリとも動かない。


「貴様、今なら怪我なく返してやるぞ」

「良いよ別に、怪我なんかしねぇし」


 街の外れで凍てつく空気が流れる。

 少女は黒服の男達と、赤い髪の男との勝負は長引くだろうと思い、ゆっくりと後ろに下がろうとする。

 しかしその瞬間、勝負は一瞬で決したのだった。

 勢いよく赤い髪の男に飛びかかった男達は、およそ人間とは思えないパワーで壁に叩きつけられたのだ。

 少女は何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしてしまう。

 黒服の男達は完全に伸びてしまった様で、ピクピクと身体を揺らすだけで動かない。

 赤い髪の男はゆっくりと少女に振り返った。


「おい」

「あっ! ひ、ひゃい!」


 ただ話しかけただけだったが、少女は目の前で見せられた圧倒的な強さに、完全に萎縮してしまっている。

 そんな少女の様子に、少し申し訳なさそうに赤い髪の男は口を開いた。


「あー、あれぶっ飛ばして良かった奴か? ……まあ、良くわかんねぇけど、一旦事務所に来いよ。そんで話を聞かせろ。取り敢えずな」


 男は促すように事務所に向かって歩き出す。少女は少しの恐怖心を抱きながら、その背中を追った。




 事務所の中の煙はすっかり晴れ、将斗は煙草代わりのキャンディを口に入れる。

 その眼の前では少女が部屋をキョロキョロと見渡していた。


「それで、お前名前は?」

「え? あっ、私か」


 突然声をかけられ、少女は少し動揺する。

 将斗は、お前以外誰がいると言わんばかりに呆れた表情で次の言葉を待った。


「あ、っと、私は、キハナです!」

「キハナ? じゃあ、お前は何者だ? 人間じゃあねぇよな」


 将斗はキハナの頭についている耳を見つめる。キハナも視線に気がついた様で、耳をピコピコと動かした。



 昨夜、流れで助けた少女は事務所のベットに座らせると、将斗が目を離した隙に眠ってしまったのだった。

 耳と尻尾があったので人間でないことは分かったものの、後から帰ってきたロビンにもろくな説明ができず、今日まで待つことにしたのだった。

 キハナは目を泳がせながらゆっくりと口を開く。


「あの、そのぉ、一応私は、〈妖狐〉でして」

「それは分かるよ。耳と尻尾が妖狐のものだしね。聞きたいのは、君は何故昨日追われていて、何故この街にいるのかってことだよ」


 ロビンは優しい口調でキハナに語りかける。キハナはその様子に少し安心したのか、表情を軽くした。


「えっと、私、小さい頃に人間に助けられたことがありまして。それで、その人に会いたくて森を、出てきたんです」


 なんとも面倒くさそうな案件だ。将斗は分かりやすくに怪訝そうな顔を見せる。

 ロビンはそんな将斗を横目に更に質問を続けた。


「それじゃあ、将斗が言ってた黒い服の男達は?何だか知り合いみたいだったけど」


 ロビンの軽い質問に、キハナは目を泳がせ、露骨に動揺し始めた。


「えっとぉ、そのぉ、それは……。し、知らない人です!」


 明らかに嘘なのがわかる。二人は互いにしか聞こえない距離に近づいた。


「えー、何だあれ。絶対嘘じゃん」

「まあ嘘だろうね」

「どうするよ。追い出すか? またあの変なのに追われるの嫌なんだけど」

「それは将斗がぶっ飛ばすからでしょ。でもさ、なんか訳ありそうじゃない?」

「大きなお世話……まさか置いてやろうとか言い出さねぇよな?」

「僕は構わないよ。困ってる人は見逃せないよ」

「はあぁぁあん?」


 二人はコソコソと話を続ける。しかし、キハナの大きな耳は、その声がしっかりと聞き取れていた。


「あ、あの!」

「「ん?」」


 キハナの言葉に二人の声が重なる。


「ここに、置いてもらえませんか!」

「あん?」

「お仕事手伝います! お掃除します! あの人を見つけるまででいいんです! お願いします!」


 キハナはこれでもかという勢いで畳み掛ける。まさか聞こえてないと思っていた将斗は、その勢いに少し気圧されていた。


「いや、そんなの俺関係な――」

「僕は良いよ」

「はぁ!?」


 ロビンの突然の言葉に、キハナはパァッと顔を明るくした。同時に将斗は更に怪訝そうな表情に変わっていく。

 将斗はロビンの肩を掴み引き寄せた。


「てめぇ、何のつもりだ。俺は置くなんて言ってねぇぞ」

「うん。だから決めるのは将斗だ。僕も居候の身だしね」

「は?」

「僕は僕の気持ちを言っただけだよ。将斗が断っても何も問題ない。けど、将斗は見捨てないだろ?」


 ロビンの偶に見せる見透かした目。これがたまらなく苦手だ。

 わざとらしく嫌そうな表情を見せたが、これすら見透かされているのは分かっている。

 将斗はゆっくりとキハナに向き直した。


「……分かったよ。……取り敢えずな」


 無愛想にそう一言だけ。しかしその一言は了承と取るには申し分ない言葉だ。


「はい!」


 キハナの嬉しそうな声は、窓から外へと響いていった。





         ◯

 将斗達が事務所で話している頃、初日の学校が終わり、燐と玲二は二人で夢浜の街を歩いていた。昨夜あまり案内が出来なかったからと、玲二が燐に提案した為だった。

 二人はゆっくりと夢浜の街並みを見て回っていく。


「あれがラジオ塔だな。ピーチっていうラジオパーソナリティが人気らしいぜ。あっちは肉肉亭だな。店主がめちゃ喧嘩強いって噂だ。名物の肉丼も美味いぜ。そんであれはー」


 楽しそうに案内する玲二の横顔を見て、燐は笑顔で歩いていく。

 自分に案内をしてくれるのも嬉しいが、何より玲二が楽しそうなのが、嬉しかったのだ。

 燐はニコニコと街を歩いていく。すると突然、玲二の足が止まった。

 燐は不思議に思い玲二の顔を覗く。玲二はある一点を見つめていて、睨んでいるようにも見えた。

 玲二はパッと表情を変え、燐に振り向く。


「悪い! ちょっとここで待っててくれねぇかな?」

「え? ああ、別に良いけど」

「悪いな、すぐ戻る!」


 玲二はそう言うと駆け足で路地に、向かっていってしまった。



 一人残された燐は、公園のベンチでゆらゆらと身体を揺らしている。

 不意に燐の近くに影が近づいてきた。

 玲二だと思った燐はすぐに顔を上げた。


「遅いよ……あれ?」


 そこに立っていたのは玲二ではなく、金色の髪が目立つニコニコと笑っている男だった。


「あ、すみません。人違いでした」


 燐がバツの悪そうな顔をして謝ると、金髪の男は笑顔を崩さずに答える。


「いや、別に構わないよ。誰かと間違えたんだね。気にすることはない」

「あ、ありがとうございます」


 男はニコニコと笑っているが、どこか自分ではなく、他の何かを見ている気がした燐は、自分でも気づかない内に立ち上がっていた。


「あ、あの、すみませんでした」


 燐はそう言い残すと、その場を去ろうと前に歩き出す。

 燐が男を抜いた時、男は振り返りながら口を開いた。


「ねぇ、何かの機会だ。名前を教えてくれないかい?」


 正直、男の事はかなり怖かったが、燐は自分が人違いをしたこともあり、ゆっくりと振り返った。


「燐です。和田燐」


 燐が恐る恐る答えると、男はまたニコニコと笑い、足を動かした。


「俺の名前は八嶋やじま狂愛くるあ。また会ったら宜しくね。和田燐君」


 男がそう言い残すと、突然横から突風が吹き荒れる。砂が舞い燐は目を瞑った。そして、また目を開いた時、男はもういなかったのだった。


「八嶋、狂愛……」


 その時、燐は自分が、恐怖心ともう一つ、好奇心も抱いている事に気が付かない。


 妖怪の少女を拾った将斗、謎の男に名前を覚えられた燐。二人はこの出会いで、これまでの人生とは全く違う、奇妙な日常に、足を踏み入れていくのかもしれない。





   第参話「エル・ディアブロ=ヴァイオレット」 完




 ※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

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