第16話 おおっとピンチだね女神様

 流石のハルミですら、こういった状況を見過ごすわけにはいかなかった。

 正直のところ、こういうのはハルミにとって苦手であるのだが、やはりこのラースベルクの女神たる所以、救わないという選択肢はない。もっとも、実際は創造神ジェネのラースベルクを救えという命令のせいなのではあるが。


「セレンちゃん、ちょっとここで待っててね!」


 そう言ってハルミはその場を思いきり飛びのいた。まさに疾風のごとく、刹那にして男のもとに移動する。そうして軽く男の背中を押した。反動で男はその場に倒れこみ、その背中の上をハルミは高いヒールで押さえつけた。


「痛ってぇ、てめえ誰だよ」


 男は這いつくばりながら、苦渋の表情を浮かべてわずかにハルミへと視線を向ける。それには答えず、ハルミはただただ冷たい眼差しを男に落とした。男のこめかみに冷や汗が滴る。

 男は内心、捕まったことよりも他のことに焦っていた。それは、身体が何一つ動かないからだ。今、男を抑えつけているのは、どこからどう見ても、彼女のヒールだけ。なのに、手は動かず、足も動かすことはできない。かろうじて顔周りが動くくらいだ。それに、なんだっておかしいほどの身体にかかる重圧。自分の身体にだけ重力が何倍にも働いているような感覚だった。

 たかが女一人。見たところ身体は細く、力が強そうには見えない。なのに、その貧弱そうな身体で男が身動き取れず拘束されていることに対して、男はこれ以上になく困惑と焦りを覚えていた。


「おい聞いてんのかよ、その足をどけろこのくそ女が!」

「あぁん? 今なんつった? 我は発言してよいなどと一言も口に出していないが? 次はないぞ」


 男はあまりに予想外の言葉に、恐怖する。何せこの力だ。この力で、そう言われてしまうと、流石に発言しようにも言葉が出なかった。男はおとなしく、その言葉に従い、無言で鞄を手放した。

 その数十秒後。幾人かの足音が近づいてきた。男はこの足音を知っている。何度も聞いた、王国騎士団の足音だ。


「何でも、アイク様まで来られなくても。ただの窃盗犯ですよ。ここは私たちが……」

「いや良いんだ。今後のためにも、私自ら調査を行う必要がある」

「そ、それでしたら……」


 先頭を歩く男に、後ろのいかにも騎士と言わんばかりの格好をした男達が申し訳なさそうに付いていく。恰好からして、騎士のようには見えない先頭を歩く男は、人の良い笑顔を浮かべてハルミの元まで来た。

 男を片足で抑えつけるハルミに、アイクという人物は何一つ怖気ずに、笑顔で声を掛けた。


「窃盗犯の捕獲、見事だ。感謝する。後は私たちに任せなさい」


 そうアイクが言うと、ハルミの周りに騎士団が囲った。それと同時に、ハルミは足を上げる。窃盗犯は、動ける状態にはなったが、いまさらこの状況でどう動こうが捕まる未来は確定していたために、ゆっくりとその場を立ち上がっただけだった。

 そうして幾らかの騎士団は男を捕らえ、その場を去っていった。すでに窃盗犯が盗んだ鞄は、元の持ち主へと返されているだろう。

 ハルミは自分の出番がなくなったことを確認して、セレンのほうへと身体を向けた。そうして一歩足を踏み出したとき、行く手をアイクの腕が阻む。


「おおっと、申し訳ない。少しだけ、聞きたいことがあるんだ」


 ハルミは明らかに不機嫌な態度を見せる。しかしアイクは顔色一つ崩さず、ハルミへと向き合う。ハルミはラースベルクのことを何も知らないので、この目の前の人物もどういった人物であるかが何一つわかっていない。だがあまり反抗してはいけないような立場だというのは流石に理解できる。


「……いま、急いでるんで」


 ああなんとありきたりのセリフなんだろうと自分でも恥ずかしくなるハルミ。しかしコミュ障のハルミにとっては、ここを逃れる言い訳も特に思いつかない。一応神たる力を使えば何とかして抜け出すことは可能なのだが、あまり下界で神の力を使うのは許されていないのだ。


「大丈夫だ。すぐに終わらす」


 こう言われると大体予想出来ていたハルミは尚面倒だと不機嫌になる。


「何ですか。早くしてください」

「ありがとう。最近少し物騒でして、例えば、A級冒険者の消息不明事件や、スラム街での建物崩壊事件など、ここ最近まではあまりそんなことは起こっていなかったのだ。そのことについて、君は何か知らないかと思ったんだが」

「あー……」


(やばいどうしよう身に覚えがありすぎる……)


 アイクの言葉に、原因が自分すぎて余計に言葉が出なくなってしまった。ただよく考えてみればあれはハルミが起こした問題ではなく、明らかに向こうが起こした問題だと内心反論する。しかしすでに彼らはいなくなっているので、ハルミが悪くない証拠など出てこない。

 どうしようと、ハルミは焦る。もしかしたらあれは自分が起こした問題だと気付かれているのではないか、などと余計な妄想までしてしまう。そうすればもう王都ミジェリアには来られないかもしれない。でも逃げると余計に怪しいし……。ハルミは数十秒間無言で俯いた。そうして結論が出る。

 ここは嘘を吐くしかない。


「い、いえ、全くもってこの私は関係ありません。あれはあいつらが悪くて、というか最初に手を出したのがあいつらっていうか……」

「ん? なんだって?」


(もうさいっあく何やってんだ私おかしいでしょあーほんっと、記憶ごと破壊するか? あもうそうするしかないわ。いやーでもこの人間ごときが酒に変えられるかといわれると……。うわーもうなんでこういつも私は大事な時に限って。はぁ、コミュ障直したいわ……)


 コミュ障どうこうの問題ではないハルミの失言に、アイクは眉を寄せる。なるべく相手を興奮させないように、笑顔で対応する。


「まあそれは良い。しかし、さっきの盗賊はかなり身体も大きく、君のような美しい方がまさかお怪我なさらずに捕まえて見せるとは。何かそういう魔術でもあるのかい?」


 ただの力尽くだとは言いにくい。ここは適当に魔術だとしてあしらっておこう。


「ま、まあ、そんな感じですね。で、では私はこれで……」

「待て。すまないが話は変わった。この場ではお互い良い気ではないだろう。場所を少し移動しないか?」


 手遅れだった。アイクは逃がすなんて意思を一向に見せず、ハルミを囲むように騎士団が立った。

 そんな状況に、ついにハルミの苛立ちは限界だった。


(あーもう面倒面倒話が変わったって何よ助けてあげたのは私なんだからもっと神対応しなさいよ私が言うもんでもないけど、もうしかたないわ記憶破壊記憶破壊記憶破壊記憶破壊……)


 苦肉の策にハルミは右手を掲げて……。


「おい、おらの店ん前でやめてくんないだべか?」

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