私の嫌いな私の黒髪

髪愛がない前半

 黒髪。日本人の多くがこれであり、最初は皆がこの色からお洒落を始める。


 伸ばしてみたり、パーマをかけてみたり、可愛く結んでみたり、短く切り揃えてみたり。髪の色自体がが地味で目立たない単色であっても、お洒落の幅と言うのは存外狭くない。


 しかし、成長していくに連れて、誰でも一度は染めてみたいと思うだろう。


 高校生活初めての文化祭を控え、前日に薬局で染髪料を買って、めちゃくちゃ痛い思いをしながら茶髪にしてみたり。校則に引っかからないように、内側にこっそり色を仕込んでみたり。好きなバンドのライブ前に気分を上げたい。今までも自分を変えたい。見てくれなかった彼氏を、イメチェンで驚かせたい。などなど、色々な理由で髪を染める。



 でも結局はみんな黒髪に戻ってくる。プリンが嫌とか、維持する時間が無いとか、就活とか理由は様々。けど、戻って来れるのは、みんなどこかしらで黒髪も可愛くて、かっこよく、美しいと思っているからだと思う。持って生まれた髪の色が好きなんだと思う。



 私は、そんな黒髪が、死にたくなるほど嫌いだった。



「こんなドロみたいな髪なんて嫌い!! サキは、もっとキレイな金色がよかった!!」



 そう言って、当時四歳だった私は子ども鋏で、自分の髪を切り落した。

 この時、私は生まれて初めて、両親を泣かせた。



 金井喫かねい きさきの実家は美容院だった。父と母は東京でそれぞれ別の店で修行をしており、その頃、たまたま参加した美容師の勉強会で出会い、地元が同じだったことから意気投合。その場で連絡先も交換し、一年後には結婚に向けて引っ越しの準備を進めていた。



 両親共に、地元で自分のお店を開くことが夢だった。そんな二人が出会えば、その夢を追わずにはいられない。貯金のほとんどを使い、二人は念願叶って、地元に自分達の店をオープンした。



 オープンしたからというもの、二人の美容院は地元の人に愛されるいい店として着々と成長していった。お年寄りから子どもまで。初めての美容院デビューは是非ここでと、県外からお客が来たこともあるし、美容雑誌にも何度か取り上げられた。



 人気の理由は、美容師である両親の腕が確かだったこともあるが、それよりも好評だったのは、持った髪を活かしたスタイリングをしたいという、両親の信念だった。



 今の時代、髪色なんてのは、誰でもいつでも気軽に簡単に変えられる。お洒落の幅は凄く広くなったし、自己表現がより自由にやりやすくなったのは喜ばしい事。でも、きっと親から貰った髪ほど、綺麗に似合う色はない。だから、出来るだけ持った髪を活かしたい。


「じゃあ、こーんなつんつるてん禿げちまったワシは親不孝もんやな」



 そう言って盛大に笑うのは、いつも鋏を手入れしに来てくれる研ぎ師のおじいさん。禿げた頭が特徴的な、職人には珍しい根明な喋り好き。

 その人がくれた子ども鋏を使って、私は両親のくれた髪を罵倒した。



 以降、私は出来る限り黒髪を捨てる生活を送った。出来るだけ髪を見ないように、幼稚園の時から男の子より短くした。小学校では男みたいだとからかわれることも多かったが、ロングヘアーにして嫌いな髪を気にしなくちゃいけなくなるよりマシだった。



 中学に入るとそんな下らないいじめも無くなった。校則に引っかかると教師も親も面倒なので、髪を染められないのはストレスだったが必死に我慢した。代わりに、ただでさえ短い髪をもっと髪を短く切った。



 そして中学を卒業し、正式に身分が変わる3月31日の深夜。私は自分の部屋で、人知れず髪を染めた。生まれて初めて、黒髪以外の自分と出会った。



 初めて髪を染めたあの時の興奮は、今になってもよく覚えている。まるで生まれ変わったような気分だった。鏡に映る自分が他人のようで、本当に自分が映っているのかと何度も疑ったものだ。

 眼の位置も鼻の高さも唇の厚さも変わっていない。変わったのはたった一つ、髪の色だけ。たったそれだけなのに、今まで瘴気で溢れていた世界が輝いて見えた。



 髪を自由に染めたいが為に、高校は染髪自由なところを選んだ。自宅から自転車と電車で二時間。地元の高校に行かせたかった両親は納得していなかったが、納得させる気なんてさらさらなかった。まともな髪色に産んでくれなかった両親は、私にとって最大の敵で、この世で最も嫌いな人間だった。ただ受験料だけくれればいい。それが本心だったし、目の前で言ったこともある。母は机を叩きながら怒って、父とは半年口を利かなかった。



 私はざまぁみろって思った。あんたらの持ってる信念なんか、実の娘にさえ届きやしないんだって。あんたらも店に来てる連中も馬鹿だから成り立ってんだって思った。



 私は、ようやく自分の好きな髪色で生きれるようになった。嬉しかった私は今度も親に言わずバイトを始めた。稼いだ金は、全部髪の為に使った。



 プラチナシルバー、メロウアッシュ、レッド、バイオレット、シナモンベージュ、ラズベリーピンク、ホワイトグレー。インナーも入れれば自分でも数え切れないほど髪色を変え続けた。変わるたびに新しい自分に惚れていき、無意識のうちに、黒髪だった自分を嫌いになっていった。



 両親もついに諦めたのか。高校一年の夏休みには、私の髪色について何も言わなくなった。凡そ、黒髪じゃなくてもいいのだろうと妥協したんだ。


 そうだよ、別に日本人だからって黒髪じゃないといけないルールなんて無いんだ。そうして私は派手な髪色のまま高校を卒業し、なんとなく興味があったのと、勉強しなくても入学できそうという理由で、都内の美容師の専門学校に入った。



 周りは私と同じ、派手な髪色をした子ばかり。予想のつくことだろうが、彼女達と話が合わない訳はなかった。

 初めての一人暮らしだったが、苦労せず友達が出来たおかげで毎日楽しかった。髪をいじり合ったり、誕生日にお互いの髪を染め合ったり。授業をサボって美大の文化祭を見に行ったり。私の居場所が、ここなんだと信じてやまなかった。



 だが、私の居場所はすぐに崩れていった。



 違和感は、カットマネキンの髪が上手く切れない事から始まった。サボりはしていたけど、授業は比較的に真面目に受けてたし、筆記試験の結果もクラス上位を争うくらいには上々だった。だがなぜか、髪を切るのだけが上手くいかない。


 染髪は誰よりも速く、正確にできた。色合いのバランスを正確で、プロの講師から店にスカウトされたこともあった。しかし、カットだけが上手くいかない。見本通りに切っても、切っていくたびにバランスが崩れてぐちゃぐちゃになる。


 とても美容師とは言えないレベル。手先の器用な女子高生の方が何倍も上手く切れる。専門学生の片隅にも置けない。何の為にここに来たのかさえ、疑われるほどだった。


 やがて就職に向けてインターンが始まったが、どれだけカラーが上手かろうと、美容師の本質とも言えるカットが真面にできない生徒を受け入れてくれる店などあるわけなく。世代で唯一。学校の歴史上でも唯一、私はインターンの参加を認められなかった。



『まぁまぁ、卒業まで時間あるし。免許さえ獲れれば何とかなるって!』


『そうそう、別に授業で出来なかろうが、免許取れれば文句言われないでしょ。サキなら絶対できるし大丈夫だって!!』


『だってあんなにカラー上手いんだよ!? それに知識もめっちゃあるし。サキが美容師ならなくて、ウチらの誰がなれんのさ』



 そう慰めてくれた友人たちは、無事美容師免許を所得しそれぞれの就職先を獲得した。私は、彼女たちからまた一歩遠ざかった。

 取り残された私は、居心地の悪さに学校を中退した。卒業は間近だったというのに、自分だけ免許を取れなかった悔しさと、就職先の見つからなかった疎外感に耐えられるほど、私のメンタルは強くなかった。



 そして今、やさぐれた私は酒に溺れている。何処で誰が話してるか分からないほどごった返す、チェーンの居酒屋でヤケ酒に興じていた。



「うぉ~い、店員さんよぉ~い~」



 入店から三時間。きさきその間ほとんどノンストップで酒を飲み続けた。おかげで呂律は回ってないし、眼の焦点も合ってない。泥酔しているのは誰の目から見ても明らかだった。おまけに顔は真っ赤で、酒を飲んでるとき以外は突っ伏しているときた。



 面倒な酔っぱらいに絡まれたくないのか。厨房の奥ではバイトの大学生がニヤニヤしながらじゃんけんをしている。どうやら、誰がオーダーを取りに行くのかを決めているらしい。

 それもそうだ。金髪派手髪の一人の飲みの女に絡みたいと思うのは、ヤリチンか水商売に誘おうとするホストくらいなものだ。偏見だけど。



「うぉおお―い、まらか—! ひゃくが呼んでんだぞーー!」



 怪獣の咆哮のようなクレームに、大学生たちはじゃんけんを急ぐ。

 ただいまー! という返事と共にやってきたのは、じゃんけんしていた中で一番背の高い大学生。180は優に超えて良そうだが、細身なせいで頼りがいがなさそうに見える。


「ご注文お伺いしま……」


 そして何を思ったのか。自暴自棄で身分さえ煩わしくなった私は、酒に飲まれたきさきはとんでもない事を口にし始めた。



「おうおうお前細っせぇなぁ、そんなんでちゃんとセックスできんのかよなあ、お前ぇ—」



 あれだけ五月蠅かった店内の声が静まり、空気が一瞬で冷える。バイトの顔は、とても分かりやすく引きつっていた。



「もっと、どぅぇっかくなんねぇと、てぃんこも細っせぇままで、ひもひ、よくなれねぇだろうが~。おー、何ならアタシがれくひゃーしたやろうかぁㇸㇸぇ」



 誰がどう見てもセクハラ。このご時世、「酔っぱらってました」の言い訳は通じない。酒で盛り上がって、周りへの迷惑なんて点で気にしていないはずの客たちも、こういうのには敏感に反応する。事態に嫌悪感を抱いた全員が、セクハラ女に冷たい視線を浴びせていた。


 厨房で店長らしき髭ずらの男性がきさきを睨みつける。しかし、社会的な外聞など放り投げた喫は、その睨みにさえ気付かない。社会にデビューする前に、社会から門前払いを食らう。そんな未来が、近くにまで迫っていた。



「ちょいちょい、お・ね・え・さ・ん?」



 肩をつつかれ、喫は寝返りをうつように店員の反対に向き直る。



「ちょいと飲みすぎだよ。さっきからベロンベロンじゃない」



 注文を取りに来た店員と同じ位置にある目線。僅かに頬を赤らた女性が、ハイボール片手にきさきに声をかける。



 胸元の盛り上がった白いハイネックのセーターに、ラインの細いジーンズ。紺のアンダーフレームの眼鏡からは理智的な雰囲気が溢れている。女性から見てもカッコいいその立ち姿。だが、それを最も強く引き出すのは、腰まで伸びた艶のある力強い黒髪であることは、酔っぱらいのきさきにも分かった。



「ふぃえへぇへ~、お姉さんだぁれぇ、うへへへへへへ」



「あちゃー、こりゃもう駄目そうだね。ごめん店員さん。この人と、あそこのテーブルの会計、一緒にしてもらっていいかい」



 グラスのハイボールを一気に飲み干すと、女性は手早く自身と喫の荷物をまとめる。



「さてと、お姉さん帰りますよー」



 両手が塞がった状態でどうやって運ぶのかと気になって、客も店員も全員が女性の方を見ている。喫は歩ける状態じゃない。仮に歩けたとしても転んで大怪我する未来まで全て見えた。ならばどうするのかと疑問に思っていると。



「じゃ、ちょっと失礼しますね。よいしょっと!!」



 女性はきさきを軽々と持ち上げ、そのまま肩に担ぐようにして運んでいった。

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