非視認性

過多非透明

 僕は、他人から見られない。それは、「影が薄い」や「存在感がない」という意味合いではない。僕は本当に、他人から視認できない。


 東京。とあるスクランブル交差点の中央。先ほどから青信号を渡る人々が、何人も僕と肩をぶつける。しかし、視認することが出来ないから、何とぶつかったのかも分かっていない。みんながみんな、不思議そうに振り返って、何も無いと判断して、前に向き直って、また歩く。


 何時からこうなったのか。正確な暦は、とっくの昔に忘れてしまった。少なくとも、小学校を卒業するまでは、ちゃんと他人から見られていた。眼の見える全ての人が、僕の姿を確認していた。

 そして、中学入学と同時期に、誰からも見られなくなった。



 ついこの間、十八歳の誕生日を迎えたが、相も変わらず、僕は誰からも視認されない。

 高校には通っていない。そもそも今の僕は、この世にいない可能性の高い人物になっている。



 見えなくなって約六年。現在では都市伝説のように扱われているが、テレビや新聞。あらゆるメディアを通じて、僕の存在が全国に知られていた時期があった。



 行方不明の十二歳。それが、世間が僕を呼ぶときの名前である。



 昼になっても部屋から出て来ないので、母親が様子を見に少年の部屋に行くと、少年の姿は何処にもなく、夜になっても帰ってこないため、警察に連絡。誘拐事件の線を含め捜査が進められたが、努力も虚しく、現在も行方不明のまま。捜査は打ち切り。



 僕はもう、この世界に於いて、生きているか死んでいるかも分からない人物になっている。



 呼吸をし、心臓が動いていることを「生きている」とするなら、僕は、確かに生きている。生きているけれど、誰も僕を見てくれない。



 家族に限らず、友人や見知らぬ人にもアプローチをかけた時期があった。見えなくとも、何かいると認識させれば、やりようはあると思ったから。



 家の玄関に置手紙を残してみたり、学校で机をいきなりひっくり返してみたこともあった。見知らぬ人に足を引っかけ、不意に思いっきりビンタを食らわしたこともある。思いつく限りの目立つアクションを何度もやった。


 しかし、誰もその事実を受け入れなかった。全員が訝し気な表情をするのに、最後には自分が可笑しいのだと結論付けて、その場から離れていった。


 両親に至っては、息子が自分たちを恨んでいるのだと解釈し、人間不信に陥った。

 結果、明らかに詐欺と分かる宗教団体とに金を貢ぐ生活を送るようになった、三人で暮らしていた家は売りにされ、跡地には別の家が建ち、その家には別の家族が住んでいる。


 人は、目に見えている物を真実だと思い、真実は見えている物に依存する。そして、僕は、誰からも見えない。だから僕は、存在していない人間として、存在している。真っ当な人間として、十二歳までは生きてきた。ただ、真面な人間では無くなってから、僕はもう、僕として、人間として、生きられなくなった。



 誰も、僕を生きているとは思わない。生きているのが、行方不明の十二歳だとは思わない。例え僕が警告音の鳴る踏切に入り込んでも、誰も止めてくれないし、緊急停止ボタンも押してはくれないだろう。


 そろそろ、孤独で生きていくのも飽きてきた。もう疲れた。終わらせてしまおう。削れて粉になって、散った微かな望みを抱えて僕は、刃物に巻かれた、鞘代わりの保護の布を解く。



 とある金物屋に行って手に入れた、刃渡り数十センチの長い刃物。これならば、首も簡単に切れるだろう。五年間ずっと苦しかった。苦しまずに、死ねると思った。



 刃先を首に突き立て、皮膚の表面に穴が開く。一筋の血が喉仏を通過した時に、ふと思った。



 もし、ここで僕が、他人を切ったら、どうなるのか。僕以外の他人は、僕以外の他人から視認できる。もし、誰かを切って、死体を作ったら。他人の血に濡れた僕を、誰かが見つけれくれないだろうか。



 都合よく、ここにはたくさんの人がいる。見物人は歩行者だけじゃない。信号待ちをする車の運転手もいる。防犯カメラもある。待ち合わせをしている人も周りにたくさんいる。ここには、気持ち悪い程、目がいっぱいある。



 首から刃物を離す。そして、僕の横をスマホをいじりながら歩く女子高生がいたので、試しに、彼女に向けた刃物を振ってみた。



 すると、刃物は彼女の長い髪をハラハラと散らした。肩程まであった髪は、顎のあたりまで短くなっていた。

 左右のバランスが崩れたことに違和感を覚えた女子高生は、歩くのを辞めて、髪を確認する。

 目を泳がし、辺りを見渡す女子高生。明らかに怯えている。しかし、周りには立ち止まっている人はおろか、彼女の見ている人もいない。


 見ているのは、見えない僕だけ。僕は彼女が見えていても、彼女は僕を視認できない。


 右手にはスマホが握られたまま。年相応らしく、画面には化粧品の通販サイトのページが開かれていた。


 恐怖から立ち去ろうと、鞄を背負い直した女子高生。逃げるのを察知した僕は、女子高生が走り出す前に、もう一度刃物を振ってみた。

 すると、今度は手元に引っかかるような感覚が伝わってきた。硬いというよりかは、適度に弾性があって、刃が上手く進まない、そんなイメージ。


 力任せに勢いよく振りぬいてみると、生暖かい物が僕の顔に飛んできた。女子高生は膝から崩れ、力なく倒れた。


 体中が細かく痙攣している。ヒューヒューと空気が抜ける音がする。それが、首を真っ赤に染めた女子高生の喉から聞こえてくるものと分かるのに二秒かかった。


 僕は、彼女の首を切り裂いたみたいだ。


 広がっていく血の海をつま先で踏んで、血の感触を確かめると、何故だか興奮する自分がいた。

 心拍数が一気に上がって、脳が頭蓋を焼きそうなほど熱くなる。


 血の湖が、僕の足を踵まで飲み込む。すると、遠くの方から金切り声が聞こえてきた。一部を除いた交差点を歩く人々が声の方に目を向け、声の主の見ている視線の先へ、続けて目線を映す。


 全員が僕の足元で血みどろになった女子高生を発見し、辺りはパニックになった。逃げ惑う人が大勢いる中、年齢も見た目のバラバラな数人が、女子高生の元に駆け寄ってきた。

 痙攣する女子高生の身体を抑え、声をかけながら、首にタオルを当てて必死に止血をしている。


 それでも、駆け寄ってきた彼ら彼女らの誰一人として、僕を見ない。血の滴る、女子高生を切った刃物を持つ僕を、誰も認識しない。


 だから僕は、駆け寄ってきた全員を、一人ずつ刃物で刺した。嬲るようにはしなかった。全員が、一瞬で絶命するように、慎重に切る部位を選んで、渾身の力を込めて刺した。何人かは、女子高生と同じように、首を切って殺した。


 その間に、横断歩道の色は赤に変わり、車道の信号が青になったが、一台も発進しない。周りからは叫び声が聞こえてきて、遠くからはクラクションの音が聞こえる。


 歩道でスマホを高く持ち上げ、こちらを撮影している人が何人もいることに驚いた。

 怖いから叫んでいるんだろうに、どうして逃げないのか。どうして呑気に撮影何かしているのか。


 どうせ僕は、そこにも映らないのに


 誰も近づかなくなったので、僕は場所を変え、周りを囲うガヤの中に入り込む。

 身体が血まみれで、酷く臭うのに、やはり誰も僕の存在が分からない。


 だから今度は、乱暴に切ってみた。派手に血を流して即死する人。じわじわと出血し、痛みに恐怖する人。自分が切られる恐怖に怯える人。他人を押しのけて逃走する人。誰かを盾にする人。色んな人が出る様に切った。色んな人がいた方が、僕を認める人が出てくる可能性が増えると思ったから。


 血が跳ねた。色んな人にかかった。たくさん濡れた。赤色の染まった。血の色が、想像よりも黒いことを知った。痛がっている人の方が、生きることに執着していた。死んでいる人は、死んでいるのに、眼はずっと光を映していた。



 叫ぶ人と、怒る人と、泣く人と、その全てをする人がいた。茫然とする人はいなかった。茫然とする人は、みんな切られたから。



 誰かが、大きな声で笑っている。とても喜んでいるようで、高い声で笑っていた。


 人間の死体が、常に三十体以上、視界に映るようになった頃、血まみれになった刃物が、柄と分離した。力任せに切りすぎたせいで、余計な力がかかっていたようだ。接合部からぺっきり折れている。



 死体以外に、もう人の姿はない。車はあるけれど、中に人は乗っていない。叫び声も、怒声も聞こえなくなった。代わりに何重にも重なったサイレンの音が聞こえる。



 大きな盾と、重厚な装備をした特殊部隊が、死体を避けながら交差点を探索している。けれど誰も、僕に拳銃を向けなければ、遠くから警告もしないし、投降を勧めない。



 頭から血を被っていても、僕は誰にも見られなかった。血生臭い。体中が変にドロドロしてる。 



 あー、気持ち悪い。僕は折れた刃を拾い上げ、それだけを想い、自分の首へ突き刺した。

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