生を嫌って、愛に飲まれて。
生きることも。愛することも。
「死んでも二人一緒にって、とっても残酷な言葉じゃない?」
夏真っ盛りの八月。子ども達の駆けまわる公園。木陰の下のベンチに潜み、彼らを眺める「A」は、凪のような笑顔でそう語る。
「ロマンチックって言ってあげればいいのに」
隣に座る「B」は、気の抜けた炭酸飲料を飲みながら、無邪気な笑顔でそう返す。アイボリーのハンチング帽に隠れたボブヘアーは、汗のせいか、小さくしぼんでいるようだった。
「死後も続く愛なんて、呪いか怨念でしかないでしょ。死んでも呪われてるなんてごめんよ」
「でも呪うって、相手を想うことには変わりないんじゃない? 根本が憎悪とか恨みってだけでさ。そう考えたら、呪いって見方を変えれば最高の愛に思えてくるよ」
呪いに目を輝かせる「B」。隣に座る「A」の笑顔が、溜息と不機嫌に変わる。
やはり、この子とは噛み合わない。
前を向いて、全速で前に進む「B」と、前を向きながら、ゆっくり後ろに離れていく「A」。
本来遠くなっていくはずの二人。しかし今、「B」は「A」の隣から動かない。
「あなたの頭の中って、いっつもお花畑なのね。そろそろ新緑に移り変わったら?」
「季節は肌で感じるからいいんだよ。汗も花粉も霜焼けも。みんな素敵な、季節の個性だよ」
「A」の深いため息が、蝉の多重奏に飲まれていく。シャツで身体を仰いでも、身体は暑くなっていくばかり。お洒落をする同級生が嫌いで、中学から黒い服しか買わなくなったことを、この時ばかりは後悔した。
「というか、Aさんは彼氏いないの? せっかくの夏休みなんだからデートでもしたらいいのに」
「愛を呪いだなんだって言ってる女に、あなたは彼氏がいると思うの?」
「いるかは分からないけど、好きな人はいると思うよ? Aさん美人だもん」
「……あらそう」
ぶっきらぼうで、突き返すような返答。しかし「B」はとても嬉しそうだった。足をぶらつかせ、青しかない空をじっと見つめている。
外も中も清純で出来たような「B」との出会いは、四月のことだった。
高校二年生になって最初の登校日に、「A」は二時間遅れて登校した。「A」の学校では毎年、昇降口にクラス分けの記された紙が掲示され、生徒自身がそれを見て、振り分け先のクラスに向かう。
そして毎年のことだが、その日は昇降口に人が溜まり、声も重なる。
魂を削って鳴く蝉よりも大きい、一喜一憂の感情に溢れた声。
「A」にとって、それはとても耳障りな音だった。人混みと、感情的な行為の一切を嫌う「A」にとって、そこは毎年訪れる地獄のような場所だった。
掲示は昼休みになってようやく教員が回収に来る。だから遅れて登校したとしても、自分のクラスが分からなくなる心配もない。
嫌いな物を避けるための行動。好きな物の無い彼女とって、この世で最も優先されるべき事項であった。
散った桜の花を踏みつけ、人の消えた昇降口で自分の名前を探す。
右側から。自分の苗字がありそうな位置を中心に。
一番左のクラスにでようやく自分の名前を発見し、指定のクラスの下駄箱に外履きを投げ込む。
通学カバンから上履きを取り出し、憂鬱ながら登った階段の先で出会ったのが「B」だった。
選んで遅刻した「A」と、 寝坊によって遅刻した「B」の初対面であった。
「でも、それ以来だよね。Aさんとまともに会話するの」
「あの時は会話なんてしてないわよ。あなたが一方的に話してただけ」
「嘘だぁ! Aさん私の方見てちゃんと返事してたじゃんか!」
「してないわよ。私の視界に偶々あなたがいて、偶々私が独り言を言っただけよ」
「もー、恥ずかしがりなんだからー」
「恥なんて、生きてるってだけで沢山よ」
こういう事を言うと、「B」は必ず否定してくる。
生きることを否定する。「B」はそれに酷く敏感に反応する。噂でしか聞いたことはないが、どうやら「B」の父は、早くに亡くなっているらしい。
身近な人を失って、命を大切にしようとする気持ちが芽生えることは、「A」にも理解できた。ただ、それを言葉にして他人に伝えようとすることは、心底不快で不愉快だった。
「Aさんは、生きることが嫌いなの?」
ほらやっぱり。心の中で、「A」はそう呟く。
これから「B」は「A」に対して、命の有難みと尊さを、自身のエピソードを交えて懇切丁寧に説明してくる。何時間もかけて、言いたいことを言い終えるまで言い続ける。
例えこの場に、歴史に名を残す殺人犯が現れても、止まることはない。夕暮れまでに終われば早い方。陽が暮れても続く可能性すらある。
文字通り、教えを説くと書いての説教。ただでさえ暑いのに、反吐が出そうなほど綺麗な『生きる大切さの話』なんて聞きたくない。
冷房の効いた涼しい部屋に逃げよう。退屈な宿題をさっさと終わらせて、生きてる時間を忘れる方法を探そう。
「別に嫌いじゃないわよ。ただ死ぬ理由が無いから生きてるだけで、生きたいなんて思ったことないだけよ」
「それじゃあね」と言って、「A」はベンチから立ち上がる。小さく揺れる黒髪は、日光に当たって、さらにその色を増す。
一歩踏み出しただけで、引いた汗が湧き出てきた。暑さにやられる前に一刻も早く帰ろうと左足を踏み出し、右手は自然と後ろに動く。
その右手の手首を、帽子を取った「B」は強く掴んだ。
「もし、生きる理由があったら、Aさんは生きたいと思うの?」
いつにも増してしつこい「B」に、「A」はいよいよ不快を隠せなくなる。目元が吊り上がり、怒り籠って歯を喰いしばる。相容れない価値観を語る「B」を、「A」は無意識に敵と判断した。
生きることが何よりも美しいと思っている人間が、どんな悪人よりも腹が立つ。
死ぬことを受け入れない人間が一番愚かだ。寿命以外の死を悪行のように語る老人が嫌いだ。
死ぬことに美学を見出す奴らも嫌いだ。いずれ来るだけの終わりに、意味を持たせようとする歴史が嫌いだ。
私はただ、いつ死んだっていいだけ。それだけなのに、周りは可哀そうな眼で私を見てくる。自分と、自分達と違うだけで否定するあなた達が嫌い。
理解はされようなんて思ってない。でも受け入れるつもりがないなら、最初から関わらないで。
「知らないわよ。けど少なくとも、死にたいとは思わなくなるでしょうね」
思いつきだけの薄っぺらい言葉を残して、「A」はその場を離れようとする。しかし、右手に喰らいつかせた左手を、「B」は一向に離そうとしない。振りほどこうにも剥がれない。大して力も入っていないはずなのに、何故か。
違和感に振り向くが、顔を伏せた「B」の表情は見えない。
周りにいる子供たちは遊ぶのを止め、大きい子どものやりとりを観察していた。
肘を支えながら腕が届かない高さまで持ち上げようとする。
Bはそれにいち早く反応し、瞬時に距離を詰める。
互いの胸が接触するほどの至近距離。僅かに上がった腕は、Bの力によって、絶妙に動かしにくい位置で固定された。
「ちょっと、いい加減にしないと……」
腕を振りほどくのは諦めた「A」は、「B」の胸ぐらを掴む。そのまま身体ごと押し離そうと、僅かに腕を手前に引いた瞬間。「B」は空の片腕を「A」の首に回した。
「なら私が、生きる理由になってもいいよね?」
「A」の引いた勢いを利用して近づくと同時に、首に回した腕を力づくで引き寄せる。避ける隙も与えないように。「B」は勢いのままに、「A」の唇にキスをした。
冷たく、柔らかい感触が伝わってくる。
この僅かな時間に何が起こったのか。理解できているのは「B」だけだった。
(ちょっ……どうして、、ここで、あの子が、ちが…っ! なんでなんでなんでなんで!………)
友だちでも知り合いでもなかった。気に入らない同級生が、私にキスをしている。「A」はそれだけ分かって、それだけに頭がいっぱいだった。
「……ッ!! ンンンんんッんンンんn…!!!!???!?」
顔が熱くなっていくのが分かる。気温のせいじゃない。血の流れが急激に加速している。不本意なはずなのに、身体は一直線に興奮状態に変化していく。
「A」が恍惚を感じた瞬間を見逃さず、「B」は彼女の口をこじ開け、容赦なく舌を絡ませる。
絡まり合う音が、骨を伝って頭に響く。鼓膜で聴くのとは違う。振動がそのまま音になって全身に流れる。
ハッキリと視界に映る「B」の顔。瞼を閉じたその顔の奥で、子ども達が不思議そうにこちらをじっと見つめている。
それが、余計に拍車をかけた。戻ってくるはずだった理性は姿を消し、脳は溢れる快楽を求め続けた。
先ほどまでの苛立ちも、ここが公園であることも忘れてしまう。
蝉の鳴き声は聞こえない。絶好調だった汗腺は、その穴を一斉に閉じた。胴体は冷えていくのに、顔だけが、身体中の血を集めたかのように、どんどん熱くなっていく。
暫くして、「B」はようやく口を外す。
よだれを垂らし、魂の抜けたような表情をする「A」。何とか立てているのは、「B」が手首を離さないでいるからだ。
「あぁああァ……すっっっっごくおいしいよぉ、Aさん」
胸元で「A」を抱きしめた「B」は、歓喜に満ちた甘い声を出す。清純の皮の向いた彼女の瞳の瞳孔は小さく、無意識に動いているだろう腰は、これ以上なく妖艶で、肉体の艶めかしさに満ち満ちていた。
「ワタシね、ずっとずっと、Aさんのこと好きだったの」
青い春の、勇気を振り絞った告白も、今の「A」には聞こえない。与えられた快楽は血中を駆け巡り、筋肉を弛緩させて動けない。
されるがままも、彼女であればいい。
快楽に満たされた「A」。時間が経てば経つほど、脳は同じ快楽を求め、次第に体は溺れていく。
「これからは、ワタシに愛される為に生きて? ワタシが、ずーーーーーーっと愛してあげるからね」
言い返すこともできない。ファーストキスで、「A」はもう飲まれてしまった。たった一人の女の子の、純粋な恋情に。
「生まれ変わっても、二人でいようね?」
呪いよりも深い愛。「A」を呪う言葉が、「B」は何よりも好きだった。
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