メイドのとある証言

発芽

第1話

メイドのとある証言


 これは誰かに言えるような話ではありません。もちろん残ってしまうから日記にも書けません。……いえ鍵付きの日記帳にこの日のことを書いてしまったことを、正直に告白いたします。



 ある夕暮れの日。

 メリッサ様が、わたくしどもが働く屋敷に突然いらっしゃいました。メリッサ様というのは、奥様の従姉妹いとこである方のお嬢様です。つまりは、このお屋敷の次男であられるシンフォード様とは再従姉弟はとこにあたります。奥様のご兄弟はみんな男性だったためか、女同士、従姉妹の仲はとても良くそれぞれ嫁ぎ、子供を産んだあとも互いの家でお茶会を開く仲のようです。そのためメリッサ様とシンフォード様も、幼少の時から当たり前のように遊んで過ごされていたのは、想像に固くありません。


 私がこの屋敷で働き始めたのは、十五の時。あの頃は必死に仕事を覚え、裏方の業務も多かったのでメリッサ様が婚約なされた時期の様子ははっきりとは覚えていません。ですが、その時もメリッサ様はこの屋敷に来られ、喧嘩になったのか庭に走るメリッサ様をシンフォード様が「待って」と追いかけていたのを記憶しています。


 それから四年。私が主人たちのお部屋掃除が割り当てられた頃――二十三歳になられたメリッサ様がお忍びでシンフォード様のお部屋へやってきたのです。今は社交会シーズンで、末のお嬢さまと奥様、旦那様は都市部のお屋敷に滞在中。カントリーハウスには残りの使用人たちと、それからシンフォード様がいました。


 私はもちろん急な訪問だったちめ、お止めしました。しかし、制止は虚しく扉は開けられたのです。幸い、私へのお叱りはなくほっといたしました。そして、シンフォード様は急に入られたメリッサ様へもお咎めもありませんでした。


「あ…………、あ、あの。シンフォード様、相談もせず、メリッサ様をお通して申し訳ございません。……メリッサ様にもお待ち頂くようにお願いしたのですが……っ」

「良いさ。メリッサが聞かなかったんだろから」


 しかし、それ以上に私はびっくりいたしました。メリッサ様が走った勢いのままにシンフォード様に抱きついたからです。やっと私は、はっとし「なにもみていません」などと口走りながらお部屋を速やかに出ました。部屋の外に同僚がいましたが、何もありませんと伝えた気がします。


 まだ胸が鼓動を打っています。なぜこんなにも、動揺しているのか。そんなの決まっています。メリッサ様は、どこかの男爵の旦那様と結婚なされたからです。ご長男も一年後には生まれたかと思います。それなのに、未婚の男性のお部屋にいらっしゃるとは……。



 お顔は、見るからに深刻そうでした。この先起こり得ることを考えては胸騒ぎがします。しかし呼ばれてもいないのに、使用人がお部屋に入ることもできません。ドアの前でうろうろすることもできず、私は別の仕事をし、その場を離れました。


 夜が来ました。


 朝、いつもは食堂に来る時間にシンフォード様はいらっしゃいませんでした。

 一時間後、僭越ながらお部屋をノックしました。少ししてシンフォード様はドアを少しの隙間だけ開けて応えました。服装はワイシャツとズボンを履いていたという具合です。……ベストは身につけていなかったので、起きたばかりで余裕が無かったのかもしれないなどと、勝手ながら想像してしまいました。

 そして、おでこに手をやり少し体調がすぐれなそうでした。


「お食事をまだ取られていないと思いまして。いつごろお召し上がりますか? その時間に合わせ、温かいものをご用意いたします」

「……そうだな。三十分後にでも」

「二名分でよろしいですか」


 つい、口が滑ったのです。私がそう言うとシンフォード様は目を開き、返事に間が空きました。それから隠すのを諦めたように「あぁ、頼む」と呟き人差し指を一本だけ立てて唇につけました。このことは誰にも言わないように、とそういうことです。言われるまでもありません。私も「はい」と答えました。

 余計なことついでに。「痛み止めもお持ちしますか」と差し出がましく言うと、それも頼まれました。


「あ、やっぱり。メリッサはあまり食べないだろうから一.五人前で良いよ」

「かしこまりました」


 ドアが閉まり、その途端やっと息を吐き出しました。

 食事は二名分。カマをかけてしまいましたが、やはりメリッサ様は昨晩お帰りにならなかったようです。……あぁ、……そんな気は心の何処かでしていましたが、いざシンフォード様がお認めになると胸が痛みます。カマなどかけなければ良かった。この気持ちをどう処理したらいいのでしょうか。 


 お食事を済まされ、身支度も私がしました。幸い、お嬢様のお手伝いをした経験があり、メリッサ様に活かせて良かったです。ずっとおしゃべりにならず、重く静かな二人がお出かけになるのを、見送りました。



 それから二ヶ月くらいのある日です。お帰りになったシンフォード様の様子がおかしかったのは。階段でつまずいたり、時より荒れたようになり、また無理に笑ってありがとうと、差し上げたお茶をお飲みになる。

 私はそれを見、ふとこの前書いた日記を思い出したのです。休憩時間に自室に戻ってページをめくり、かの日付と今日の日数を数えてしまいました。

私がシンフォード様に申し上げられることはありません。私はなにも知らないわけですから。……ただの私の憶測なのです。


 胸に秘めてから一年を迎えるより前、メリッサ様が次男を産んだと世間話は一気にこの屋敷にも広がりました。


 思わず仕事中にも関わらず、目を瞑ってしまいました。

 もう秘密でもなんでもなくなる日が、いずれ来てしまう……。生まれた子は、赤ん坊でありながらもシンフォード様によく似た子だと、知り合いのナニーメイドに聞きました。向こうの旦那様とて自分に似ていないと、気づかないはずがありません。


 それでも私は言いましょう。

 あの日、お二人の間になにも起きていませんと――


 本当です。




 私はこの先も、誰にもなにも話しません。しかし約束の代わりに、ひとつだけ聞きたくてやまないことがあります。


 シンフォード様。

 あなたは幸せでおられますか。シンフォード様が心から笑っている顔を、私はみたことがないのです。《ルビを入力…》

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メイドのとある証言 発芽 @plantkameko

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