第47話 気のせい?
「……ひとの気も知らないで」
想子さんは、確かにそう言った。
(それって、どういう意味なん? )
僕には、よくわからない。
(なあ。どういう意味なん?)
想子さん本人に訊きたいところだけど。
寝たふりしてしまった僕が、訊けるわけもなく。
……やっぱり、僕は、マヌケすぎるみたいだ。寝たふりなんかせずに、正々堂々、『好きや』って言えばよかったかもしれない。……今さらやけど。
壁を挟んで、隣の部屋から、かすかに音楽が聞こえてくる。まだ、想子さんは起きている。
今から、彼女の部屋に行って、そして、言う?
……むり。どうにも、間が悪い。
はああああ……。
僕は、ため息をつく。
ため息を繰り返しているうちに、いつのまにか、眠ってしまっていたようで、次に目覚めたときは、普通に夜は明けていた。 スッキリしない頭で、目をこすりながら起き上がると、
「ダイ! 朝ご飯! 用意できたよ。 早く降りといで~」
想子さんが、階下から、僕を呼ぶ声がする。
「ごめん。すぐ行く」
ドアを開けて、返事をし、大急ぎで着替えて、階段を降りる。
「おはよ」
想子さんが、最高に可愛い笑顔で、僕に笑いかける。
「お、おはよ」
僕は、彼女の笑顔のまぶしさに、少し焦りながら答える。どうにも気分が落ち着かない。
(ああ。出発前の最後の朝、ちゃんとカッコよく身支度して、おはようって言いたかったのに)
「ダイ。髪の毛、はねてる」
想子さんが笑って、僕の髪を手ぐしで整えてくれる。
「あ。ありがと」
昨夜のことを思い出して、僕の心臓が一瞬飛び跳ねる。
「パン、もう焼いていい?」 想子さんが訊く。
「う、うん」
「ほら。今日は、新鮮な自家製野菜ジュース作ったよ」
僕は、想子さんの差し出すグラスを受け取る。
「……ありがと」
向かい合わせに座って、焼き上がったばかりのトーストを皿に載せて、半分バターを塗る。
「納豆は?」 今度は僕が訊く。
「いる」
「じゃ、半分こ」
「ん」
想子さん特製の、自家製野菜ジュースは、ちょっぴりセロリの味が印象的な、かなり微妙な味だったけど、僕は、一気飲みした。それでも、やっぱり気分が落ち着かない。
「おかわり、いる?」 想子さんが、ミキサーの方を振り返る。容器に、まだたっぷり2杯分くらい残っている。
「いや、……いいわ」 僕は、控えめに断る。
「そう? ヘルシーやねんけどな」
ちょっと残念そうだ。 でも、どうやら、想子さん自身も、おかわりをする気配がない。
彼女が、何か食べ物に関して、『ヘルシー』としか言わないときは、たいがい、味が微妙だと思っているときなのだ。 想子さんが、ちょっとがっかりした顔になったので、僕は、急いで付け足す。
「また、あとで飲むからさ」
「うん。じゃあ、冷蔵庫に入れとくね」
テレビのニュースと天気予報を見ながら、いつもの朝と変わらない会話を交わす。 番組の中の今日の運勢のコーナーでは、想子さんの星座は6位で、『うっかりミスに気をつけて。お出かけ前に、持ち物の確認を』だった。
「あとで、ちゃんと確認しよう。パスポートとか」
「そやな」
出発は夜だけど、余裕を持って、3時過ぎに2人で家を出ることになっている。
それまでの時間をどう過ごすのがいいのだろう。
いつも通りに、笑って2人でおしゃべりをする?
いつも通りに、テーブルの両端に座って、勉強したり仕事したりして過ごす?
いつも通りに?
いつも通り、ってどんなだったっけ? なんだか、よくわからなくなる。
僕の心の中で、いろんな想いが、ぐるぐる渦を巻いている。
(この期に及んで、『行かないで』なんて言われても、きっと困るよな)
(『連れてってや』なんて言われても、もっと困るよな)
(『好き』って言われても、もっともっと困るんやろうな……)
テーブルの向こうの端で、パソコンに向かって仕事をしている想子さんを、横目で見る。僕は、問題集を取りに行くふりをして、テーブルを離れて、2階に上がる。
自分の部屋に入ると、机に向かい、急いで、ルーズリーフに、メッセージを書く。
『待ってるから。絶対、僕のところに帰ってきて』
そこまで書いて、一瞬手が止まる。 僕は、しばし考えてから、思い切って、もう1行、書き加えた。
そして、ルーズリーフを4つに折りたたむ。 それと一緒に、適当に棚から取った問題集を持って、隣の部屋に行く。
荷物は、まだ想子さんの部屋にあるのだ。 機内に持ち込むショルダーバッグには、パスポートや財布、簡単なメイク道具などの入ったポーチ以外に、文庫本が1冊入っている。僕は、その本の最後のページに折りたたんだルーズリーフをはさんで元に戻した。
秘かに重大な任務(僕にとって)を無事終えて、ホッとした気持ちになった僕は、いかにも、この問題集が必要だった、という顔をして、リビングに戻り、勉強を再開する。
想子さんは、ひとの気も知らないで、熱心にパソコンに向かっている。時々、何かひらめいたのか、嬉しそうに、ぽん!と手をたたいたりしている。 マイペースだよな……いつも。いつでも。
それからしばらくして、顔を上げた想子さんが言った。
「ちょっと、休憩せえへん?」
「いいね。お茶いれようか?」
僕の言葉に、にっと笑った想子さんが言った。
「野菜ジュースの残りは?」
「げ」
思わず、本音が漏れる。
「げ、って何よ。げ、って」
「あ、いや、そんなこと言うてません。気のせいです」 僕は顔の前でパタパタ手を振る。
「しかと聞いたわ。バツとして、残りは全部、ダイが飲む」
「ええ~、そんなせっしょうな……」
「特製やねんで。ヘルシーやねんで」
想子さんが力説するので、思わず僕は指摘する。
「なあ、知ってる? 想子さんが、味のことなんも言わんと、ヘルシーとしか言わへんときって、めっちゃ微妙な味のときなんやで」
「……え。バレてたん」
「あたりまえや。何年の付き合いやと思てんの」
「へへへ……そっか。そやな」
想子さんは、笑って、キッチンから持ってきた2つのグラスに、特製野菜ジュースを注ぐ。
そして、「半分こね」と言った。
「なんか、僕の方が多いんちゃう?」
「気のせいです」
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