第46話  ひとの気も知らないで


「ダイ……」

 小さな小さな声が聞こえた、気がした。

 ふと、そばに人の気配を感じた僕は、開けようとした目を閉じたままにした。

 想子さんが、僕のベッドの枕元にいるようなのだ。


 夕食後のラジオ体操4セットで、かろうじて胃袋にすき間を作った、想子さんと僕は、薄く切ったケーキを食べた。想子さんは、満足そうにほほ笑んで、なんだかご機嫌でしゃべりまくっていた。

 明日からの旅を思って、テンションが上がってるのかもしれない。

 反対に、だんだんテンションが下がっていきそうな僕は、 必死でこらえて笑顔でこたえる。2人で食器を洗って片付けを済ませたあと、もう限界だと思った僕は、

「じゃあ、おやすみ!」 想子さんに笑顔で言って、自分の部屋に戻ることにした。

「うん。おやすみ」 想子さんも言って、隣の自分の部屋に戻っていった。


 想子さん、なんか、全然平気そう……。ご機嫌やしな。

 僕は、ちょっぴり傷ついている。

 結局、いつもいつでも、僕の一人相撲なんやな。 そう思うと、やっぱりちょっと泣けてくる。それでも、

 (泣いてる場合とちゃうよな。しっかりせんとな)

 そう思い直しつつ、ベッドに寝転がりながら、単語帳DUOを開く。

「例文が面白いねんで」そう言って、想子さんがくれた本だ。想子さんが、高校生のときに使っていたもので、ところどころ、マーカーで線が引いてあったりする。

 それを読みながら、僕は、いつの間にかうたた寝してしまっていた。そして、半分、夢うつつの中で、その小さな声を僕は聞いた。


 「ダイ……」

 なぜ、目をつぶったままでいようと思ったのか、よくわからない。でも、なぜか、一瞬そう思ってしまった僕は、目をつぶったまま、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。どうか、胸の鼓動が想子さんに聞こえませんように、そう願いながら。

 そっと、僕のほっぺたにふれる想子さんの指先を感じる。

 「すべすべ」 小さくつぶやいているのが聞こえる。

 僕は、すうすう寝息(?)をたてる。

 「鼻筋きれい」 僕がぐっすり寝てると思って、想子さんが、僕の鼻筋をたどる。

 「長い睫毛」 想子さんの指先が、僕の睫毛にふれる。

 「可愛い口」 想子さんの指が、僕の唇にふれる。

 僕は、たまらなくなって、「う~ん」と寝ぼけ声を出して、想子さんのいる方に、寝返りを打つ。

 想子さんが慌てて手を引っ込める。僕は、再び、すうすう寝息(?)をたてる。

 安心したように、そっと、想子さんの手が僕の髪にふれる。ゆっくり、僕の髪をなでる。

 「ダイ……」 小さくつぶやくように、僕の名前を呼ぶ。

 そのまま、僕の髪に手を添えて、想子さんはじっとしている。

 僕は、静かに寝息(?)をたてる。


 だんだん、本当に自分が寝ていて、これは夢なのかもしれないという気もしてくる。

 やがて、そっと想子さんが立ち上がろうとする気配を感じた。

 (行くな!) 僕は、急いで、手を伸ばして、想子さんを抱き寄せた。

 「え、ちょ、ちょっと」 

 僕の上に倒れ込んで、戸惑った声を上げる想子さんをさらに、ぎゅっとぎゅっと、抱きしめる。

 「想子さん……」

 小さい声で名前を呼んで、抱きしめる腕に力を込める。

 「好きや……」 

 思わず言ってしまう。 そして、彼女の温もりを両腕と胸に覚え込ませる。

 「ダイ……」

 彼女の小さな声。

 僕は、我に返る。

 (あかん。こんなどさくさ紛れで伝えるんはあかん)

 僕は、急いで、小芝居を打つ。

 「想子さん……」 

 もう一度名前を呼んで、さりげなく寝言のふりを装う。すうすうと寝息(?)をたてる。

 「ちょ、なんなん。ダイってば、寝言やったん? もう。びっくりするやん……」

 想子さんが、ちょっとあきれたように言った。

 僕は、思いきり寝たふりのまま、そんな彼女を、胸に抱え込む。

 「もう、寝ぼけてるなぁ。……ダイってば」

 想子さんは、そう言いながら、僕の腕をくぐるようにして、そっと抜け出していった。

 そのまま、静かに歩いて行き、部屋の灯りのスイッチを消して、ドアを開いた。廊下からの光が、部屋の入り口あたりを照らす。僕は、ベッドの上で、薄く目を開けた。ドアのところで、一瞬立ち止まった想子さんの背中が見える。

 「……ひとの気も知らないで」

 想子さんは一言つぶやくと部屋を出て行き、ドアは静かに閉まった。

 

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