第42話  うっかり

 

「そのへんの服は、あとから送ってな。このあたりは、自分で持って行くよ」

 想子さんが、イギリス行きの荷物を準備している。まだ、出発までには、ひと月半ほどある。

「この辺の本はどうするん?」

「う~ん。どうしよう。お気に入りやし、いつでも読めるように手元にほしい気もする」

「でも、本は重いしかさばるで。あとで、どうしても欲しかったら、送ったげるよ」

「そやな。そのほうがええかな?」 

 想子さんはどことなくウキウキしているように見える。


 想子さんの準備が進むにつれて、僕の心の中には、どんどん大きな空洞が広がり始めている。

 その空洞を埋めるように広がるのは、さみしさと不安だ。もしかして、イギリスで想子さんが誰かと出会ってしまって、もうそれきり、帰ってこないんじゃないか。イギリス暮らしがすっかり気に入って、もう日本へは戻って来ないんじゃないか。そんな不安が湧いてくる。

 なるべく考えないようにしよう。そう思って、僕は、できるだけ、これまで通りに振る舞おうとしている。

 想子さんに、「ばか」という言葉を投げつけて、泣かせてしまったあの日以降、僕は、自分の感情を爆発させないように、努力してきた。

 僕は、今まで以上に、2人の時間を大切にしようと思っている。毎日のように、2人で散歩をしたり、食料品や日用品の買い物も2人で出かけたりする。夕食後、勉強するときも、リビングのテーブルでする。想子さんも、同じテーブルの端でパソコンを開いて、自分の仕事をしている。


 今日も、荷物整理のあと、リビングで、僕らは、黙々と勉強や仕事をしていた。

「お茶、いれようか?」

 仕事に一区切りついたのか、想子さんが立ち上がって言った。

「うん。ありがとう」

「温かいの? 冷たいの?」

「温かいのがいい」

「了解。紅茶? 緑茶?」

「緑茶」

「じゃあ、おやつは、みたらし団子ね」

「紅茶だったら、おやつは何?」

「フィナンシェ」

「う~ん。どっちもいいね」

「じゃあさ、今は、緑茶でみたらし団子。次の休憩時間に、紅茶とフィナンシェでどう?」

「うんうん。そうしよう」


(こんな穏やかな時間が、ずっと続けばいいのにな)

 お団子を頬ばりながら、僕は、想子さんをそっと見つめる。その喉元のくぼみに収まる、小さなペンダントの存在を確かめて、なんとなくホッとする。

 古墳のぬいぐるみと、そのペンダントが、彼女と一緒に、旅立つ。――――僕の代わりに。

 

(想子さん、大好きだよ。いつも、いつでも。そばにいても、いなくても。)

 僕は、心の中でつぶやく。

 ひとの気も知らないで、夢中でお団子の串にかぶりついていた想子さんが、ふと目を上げた。

「……もう一本いる?」

 僕を見て、訊く。折り箱の中には、団子が一本残っている。1箱5本入りなのだ。

「いや、ええよ。残りは、想子さん、食べや」

「ほんま? じゃあ、最後の1本はもらうで」

 嬉しそうな想子さんの笑顔。……あと何回見られるのか。

 うっかり泣いてしまいそうで、僕は、慌てて、目を緑茶の入った湯飲みに向ける。

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