第38話  ごめん・・・・・・

 カチリ。

 小さな音なのに、僕の耳にはやたら大きく響いた。

想子さんと二人で暮らしている間、これまで一度も、僕はこの鍵をかけたことがなかった。

 初めて、鍵をかけた。自分でそうしておきながら、自分で、そのことにショックを受ける。

(想子さん。想子さん。想子さん……)

ばかみたいに、彼女の名前を繰り返しつぶやきながら、僕は、自分が泣いていることに気がついた。


 部屋の外では、閉まったドアの前で、想子さんが、

「ごめん。ダイ。ごめん。びっくりさせて……ごめん」

オロオロした声で、呼びかけている。

「ダイ。内緒にするつもりはなくて、いつ相談しようか、ずっと考えてて、それで」

「……」

 僕は、答えない。というより、声が出せない。

今、何か話したら、泣き声なのがバレてしまうし、何より、自分が、感情のままに何を口にしてしまうか、わからなくて。自分の気持ちをコントロールする自信が、全くなくて。

 

 だから、ただ、心の中で繰り返す。そして、ひたすらその名を呼び続ける。

 (想子さん想子さん想子さん……)

ずっと想ってきた。ずっと大好きで、でもずっとその想いをぶつけないよう抑えてきた。

 今は無理でもいつかは伝わると、いや、伝えようと思ってた。

あるいは、もしかしたら、それとなく、もうわかってくれてるかもしれへんって、思ってた。

でも、それは、僕の希望的観測に過ぎなかったのかもしれない。


 彼女は、僕に、突然、目の前からいなくなることを告げた。

『行ってもいいかな?』

まるで許可を求めるみたいに僕に訊いたけど、でも、その答えには、NOは想定されていない。

 もう、旅立った後のことを彼女が口にしたのは、そういうことだ。

――――僕をなだめるために。


(もう、いやや……)

ベッドの上に仰向けになって、僕はつぶやく。涙があとからあとから溢れてくる。

(何で僕は、6つも年下なんやろう。

せめて、1つか2つ違いくらいだったらよかったのに。

そして、弟としてじゃなく、せめて従弟として出会っていたらよかったのに。

そしたら、もっとええところみせて、頼もしいとか、かっこいいとか、

思ってもらえたかもしれへん。

それで、ちょっとくらい僕にときめいてくれて、好きって……)



 6年の年月が、僕と想子さんを遠く隔てているように思えて、胸が詰まる。

ぐるぐる思いが巡る中、僕は、ふと気づく。

(そうか。年齢だけの問題じゃないんかもしれへん。

こんな僕やから、

涙もろくて、おっちょこちょいで、頼りなくて、すぐ動揺して。

そんな僕やから、

やから、想子さんは、弟としてしか見られへんのかも……)


 なんで、相談してくれへんねん。

何でわかってくれへんねん。

そうやって、彼女を責めてしまいそうな僕。


『ほんまにだめなんは、誰やねん。おまえ自身ちゃうんか?』


 もう一人の僕が、泣いている僕を責める。

『彼女から離れて、一人で暮らす、とかなんとか言うてたんちゃうんか?』

『いつか彼女にふさわしい、ちゃんとした大人になるって、そのためにも、家を出て、あえて離れて暮らすって、思ってたんちゃうんか?』

『そばにいてもいなくても、この世にいてくれるだけで、幸せなんちゃうんか?』


 容赦ないもう一人の僕の言葉が、胸に突き刺さる。

(もう、いやや……)

交差させた腕で、顔を覆う。

(もう、いやや……)


 僕は、痛いほど感じていた。

どれだけ僕が、想子さんに頼っていたか。

どれだけ僕が、想子さんに頼り切っていたか。

 離れて暮らすと言いながら、ここに戻れば、いつもその笑顔に会えると、ずっと思っていた。

 

僕は、あまりにも子どもだった。

想子さんが、ひとりの人間として、彼女自身のために生きているのだということ。

僕のためだけに、生きているわけじゃない、ということ。

そんな当たり前のことに、僕は気づいていなかった。

 

 僕は、どれだけ独りよがりなんだろう。

自分の気持ちにしか目がいってへんかった。

(ごめん。想子さん。僕は、わがままや……ごめん……ごめん。

 想子さんの人生やのに、こんなに動揺して、こんな態度とってしもて、困らせて、ごめん)

でも、その言葉は、僕の喉から、どうしても声になって出てきそうになくて。


 ひとの気も知らないで、ドアの外では、想子さんが、

「ごめん。ダイ、ごめん」 涙声で、繰り返している。

素直になれない僕を責めもしないで。

ごめん、と繰り返している。


―――ちがう。

僕が、ごめん、やねん……

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