第36話 疲労回復アイテム
「あれ?」
模擬試験の会場で、僕は、カバンの底をさらえるようにしてさがす。
「あれあれ?」
やっぱりない。
カバンに入れたはずの、バナナがない。
『バナナを食べると頭の回転がよくなるので、数学とか物理とかの理系科目の前には、とくにおすすめ』
数年前に、テレビの番組で言っていたのだ。
なにやら、実証実験ぽいものもやっていて、その結果は、かなり好結果だった。
(ほんまかもしれへん)
早速、僕は試してみた。
気のせいかもしれへんけど、確かに、疲れた脳に元気がよみがえる気がした。
頭の回転がよくなるかどうかはともかく、疲労回復にはいいのかもしれない。なので、それ以来、僕は、理系科目をやるときには、わりとよくバナナを食べる。
今回も、カバンの中に、1本入れてきた、はずだった。
3教科終えて、いよいよ、この休憩時間の後は、数学だ。バナナで疲労回復するには、絶好のタイミングだ。と、思ってんけどな。ないものはしかたない。
(あ~あ)
ため息をひとつ、つく。
こんなときは、想子さんの写真でも見て、元気を充填したいところやけど。
スマホは電源を切って、カバンの中だ。
(ダイ自身が大きな石ころやから。それを磨けばいい)
想子さんの言葉が、頭に浮かぶ。
うまくいかないことがあって、へこみそうになるたび、くたびれて、ため息が出そうになるたび、僕は、彼女の言葉を思い出す。
思い出すたび、自然と僕の心の中には、彼女の笑顔がいっぱいに広がる。
(ああ。なんか、僕は、ばかみたいに、彼女のことが大好きなんやなあ)と、あらためて思う。
すぐそばにいても、いなくても。
この世にいてくれる、それだけで、僕は、すごく幸せなんやと思う。
バナナは、なぜか見つからなかったけど、僕は、その代わりに、もっと大きな疲労回復アイテムを心の中で再認識して、数学に挑んだ。
模擬試験を終えて、すっかりエネルギーを使い果たして帰宅した僕を
「おかえりおかえり」
上機嫌の想子さんが迎える。
(この笑顔! これを見られるだけでも、僕は、幸せ者や)
「ただいまただいま」
すっかり嬉しくなって気が緩み、思わず、僕は、玄関先で想子さんをぎゅっと抱きしめてしまった。
「あらあら? どうしたん?」
腕の中で、不思議そうに見上げる想子さんを至近距離で見つめながら、一気に胸の鼓動が早まる。そのドキドキを必死で抑え、抱きしめた腕をさりげなくほどいて、僕は言った。
「いや、無事試験終わって、ほっとしてめっちゃ嬉しかってん」
(ほんとは、想子さんの笑顔を見て、単純に嬉しかったんや)
「そうなんや。よほどハードな試験やってんね」
想子さんが、ねぎらうように言ってくれる。
「うん。けっこうきつかった。思ってたより」
それとな、と言いながら、僕はカバンを置いて、洗面所で手を洗い、キッチンへ行く。
「持って行ったはずのバナナが、なかって……あるやん!」
キッチンのテーブルの上に、ちょこんと1本、バナナがのっていた。
「ダイ、バナナ、忘れてったやろ?」 想子さんが笑いながら言った。
「きっと、バナナ、ない! ってさがしてるやろな、て思ってた」
「そうやん、数学の前に食べよと思ったら、なかって。カバンの中、めっちゃさがしたわ」
僕の脳裏に、今朝、想子さんの作ってくれたお弁当を入れようと、カバンの中のものを整理していたときのことが浮かぶ。
そうや。バナナがへしゃげんように、ほかの荷物を入れた後で、上に載せようと思って、横によけたのだった。……ナゾは解けた。
とりあえず、僕は、手にしたバナナをむいて、一口ぱくっといった。
そんな僕に、想子さんが、1冊の本を差し出した。
「あのね。ダイ、見て」
前に、想子さんがイラストを担当した料理の本だ。
めくると、ページのあちこちに、可愛くておしゃれなイラストがちりばめられて、その横の吹き出しに一口メモが書かれている。
載っている料理もおいしそうだけど、イラストが楽しくて、ページをめくるのが楽しくなる。
「いいね! すごく素敵やね。このイラストのおかげで、ページめくるのがいっそう楽しみになる感じ」
「でしょう?」
今日、できあがった本が送られてきたのだという。
「よく見て」
「ん?」
イラストのメインキャラは、おだんご髪の女の子だけど、ページをどんどんめくっていくと、時々、男の子のキャラも出てくる。なんとなく、見たことある顔だ。
「それ、ダイ」
「やっぱり?」
男の子の顔の横には吹き出しがある。
そこには、想子さんが、その料理を作ってくれたとき、僕が言ったことばが書いてあった。
僕の記憶がよみがえる。
全部美味しかったけど、それ以上に、僕のために作ってくれたことが嬉しくて、僕は、毎回一生懸命感想を言ったっけ。想子さん、それ全部、覚えてたのか?
「想子さん、僕が言うたこと、覚えてたん?」
「うん。覚えて、あとで、メモしてた」
「そうなんや……」
「ダイの言ってくれた言葉は、いつも、私、ちゃんと覚えてるよ」
僕の胸は、また速いリズムで、ドクドク波打ち始める。
(あかんあかん。ドキドキがとまらへんって)
ひとの気も知らないで、想子さんが言った。
「ダイ、けっこう的確な感想言ってくれるから、それで、レシピ修正したやつもあるねん。この本書いた先生も、ダイにありがとうっていうてたよ」
「ふ~ん。そうなんや」
僕は、一瞬、頬を膨らませたあと、大口を開けて、バナナに思いっきりかぶりついた。
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