第35話 そんなに好きなん?
春が来た。
いや、暦の上では、もうとっくの昔に春は来ている。
しかし、学生にとっては、やはり新学期のクラス替えとか、始業式、というワードこそが、春を実感させる。
始業式の朝。
体育館横の掲示板には、新しいクラス替えの紙が貼りだされていた。大勢の生徒が掲示板の前に群がり、歓声をあげる。
「あった~! あったぞ~!」
「やった~!あった~!」
みんな、嬉しそうだ。合格発表の掲示板を見た気分を疑似体験しているのだ。
最近は、ネットで合否もわかったりするから、掲示板で発表というのも、少々古典的ではある。
それでも、やっぱり掲示板に自分の名前をさがすのは、ちょっとどきどきして、楽しい。
もちろん、これがほんとの合格発表だと、そんなのんきなことはいえないが。
これはクラス替えなので、必ずどこかに名前があるはず、という安心感がある。とはいえ、数年前に一度、手違いで名前のなかった生徒がいたらしく、念のため、僕らは、自分の名前を一生懸命探す。
合格疑似体験の人波の中で、僕も、自分の名前を見つけ出した。
新しいクラスで、僕は、去年2学期に僕に告白してくれた彼女とまた同じクラスになった。
僕がことわったせいで、一時期ぎこちない関係になったけれど、クラスのクリスマスパーティーのプレゼント交換をきっかけに、関係修復できて、3学期には、以前のように普通に話せるようになっていた。
新しいクラスの出席番号順の席では、彼女は僕の隣だ。
他の顔ぶれも、そんなに大きく変わらず、僕たちは、ホッとしながら、またまたよろしく~と、あいさつを交わし合った。
「で、新しいクラスは、どうやったん?」
想子さんが、お茶を淹れながら言った。
「ん。まあまあいい感じ。そんなに顔ぶれも変わってへんかったし」
受け取った湯飲みを手のひらで包んで、僕は暖をとる。
「そっか。よかったね」
想子さんも同じように、手のひらで湯飲みを包むように持っている。
ドラマで寒い海辺のシーンを見て以来、僕らは、温かい飲み物を飲むとき、まず暖をとってしまう。
さらに、僕は、頭の中のメモ帳を開き、夜明けの海に想子さんを誘う場合の注意事項を確認する。
あの強靭なお腹と膀胱を持ったカップルのドラマは、先々週、見事にハッピーエンドを迎え、来週ぐらいから、また新しいドラマが始まる。
「なあ。 なんか、今度始まるドラマ、面白そうなん、多い気ぃせえへん? 受験生には、ちょっと困るわ」
僕が言うと、
「そうやねえ。まあ、とりあえず、第1話見てみんとね」
想子さんは、テレビの番組欄を見ながら、録画予約をセットしている。
「でも、花村礼シリーズパート2は、見るやろ?」
「あたりまえやん」
花村礼シリーズは、天才ピアニストが主人公の、昨年僕らがハマりまくったドラマだ。
想子さんは、いまだに、このドラマが好きで、パート1は何度見直したか、わからないほどだ。
確かに、僕も大好きなドラマやけど。想子さんのハマり具合を見ていると、やっぱりちょっとモヤっとした気持ちになる。
主人公の花村礼を演じたアイドル俳優は、今年に入って、結婚を発表し、大きな話題になった。
想子さんも、さぞやショックを受けているかと思いきや、案外冷静に、「よかったよね~」と繰り返しつぶやいていた。だから、てっきり平気なんだと思っていたら、実は、『人魚姫のように、大好きな人の幸せを祈りつつ、ひそかに涙する』という『人魚姫シンドローム』なるブーム? 社会現象?が起きていて、想子さんもしっかりそれだったのだ、と後でわかった。
あるバラエティー番組のMCの人が、花村礼役のアイドルの大ファンで、彼女が、推しの結婚を聞いたショックを乗り越えようとしたところに端を発したといわれる、『人魚姫のように、推しの幸せを祈る』という、切なく、けなげなファン心理が広まって、社会現象になったようだ。
その現象のおかげで、花村礼は、ファンにそっぽを向かれることもなく、むしろ、「なんだか前よりもっと好き」という人たちさえいて、人の気持ちって不思議やな、と僕は、少し驚いている。
どうやら、想子さんも、そんなファンたちの一人のようで、前と変わらず、もしかしたら前以上に、しっかり彼のファンなのだ。
(そんなに好きやったん?)
それが、なんだかショックで、むしろ僕の方が、人魚姫シンドロームとやらになりそうだ。
それはともかく。
僕にとって、いよいよ受験本番の一年のスタートだ。
そして。
もしかしたら、これが、彼女と一緒に暮らせる、最後の一年になるかもしれないのだ。
いや、最後の一年にしないための、この先の未来でずっとそばにいるための、一年にしなくてはならない。
僕はがんばる。心の中で、決意を新たにする。
ひとの気も知らないで、新番組の予約をセットし終えた想子さんが、
「パート2はじまるまでに、花村礼シリーズ、パート1また見とこう」とつぶやいている。
(そんなに好きなん?)
僕は、ちょっぴり泣きそうな気分になる。
……今なら、人魚姫の気持ち、ちょっとわかるかも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます