第34話 ロマンチックは難しい
2人の乗った車は、夜の道を海に向かって走る。
彼らは、夜明けの海を見にいくのだ。
やがて、車は真っ暗な岸壁に着き、彼は車を止める。
夜明けまでは、まだ数時間ある。
真っ暗な夜空に星が瞬く。
2人は、車を降りて、岸壁を歩く。
少し冷えてきたのか、彼女が小さなくしゃみをする。
彼は、彼女に、自分の着ていた上着をかけてやり、その肩をしっかりと抱く。
海岸を散歩して、星を眺めたあと、2人は、車に戻り、夜明けを待つ。
いつのまにか、助手席でうたた寝をする彼女を、優しく見つめる彼。
やがて、水平線が少しずつ明るくなり始める。
彼女も目を覚まし、2人は、車から降りて岸壁に並んで立ち、日の出を待つ。
やがて、昇る朝日。見つめあう二人は、優しくそっと唇を重ねる。
ロマンチックなシーンだ。
めっちゃロマンチックで、僕には刺激が強すぎるくらいだ。
2人の表情や、雰囲気がとてもよくて、僕は、少しうっとりする。
僕と想子さんは、リビングのソファに並んで座り、ドラマを見ている。
テレビの画面では、手をつないだ二人が、朝日を浴びながら岸壁を歩いている。
数々の紆余曲折を経て、やっと二人は、幸せになれそうだ。
エンディング曲が流れ、お互いへの信頼に満ちた2人の笑顔で、ドラマは終わった。
…………」
隣の想子さんが黙っている。
いつもなら、見終わった瞬間に、感想をしゃべりだすのに。
「どうしたん?」
僕は、隣を見る。
「……う~ん」
想子さんの表情は微妙だ。
「なんか、気に入らんかったん?」
「ん~。いや、この人ら、トイレどないしたんやろなと思って……」
そういえば、夜通し2人一緒にいたけれど、トイレに行くシーンはなかった。
「ドラマやしな。トイレに行くとこ描いたら、ロマンチックさが薄れるからやろな」
「……まあね。でもさ、やっぱり、トイレ問題って、実際は大事やと思えへん?」
「そやなあ」
「死ぬほどロマンチックでドキドキしてても、行きたいもんは行きたいで。……あかん、もれそうって思いながら、2人でのんびり岸壁散歩ってできへんわ」
「たしかに」
「しかも、くしゃみするほど寒いねんで。ここまで来る途中の道の駅かなんかで、
トイレすましてても、冷えて絶対トイレ行きたくなるって」
真剣な顔で、想子さんは訴える。
「そやのに、彼は、自販機で買うた缶コーヒー、彼女に手渡すやん」
温かい缶コーヒーを受け取った彼女が、それを頬に当てて、にこって笑ったシーンがあった。その笑顔がちょっと想子さんに似てて、可愛いくて、僕は少しドキッとしたのだ。
「うん。それで、彼はプルタブ開けたやつと交換してあげて」
僕が言うと、
「それよ、それ。彼女は、せっかく暖をとってたのに、開けたやつと交換されたら困るやん」
「なんで?」
「開けたら、飲まんとしゃあないやん。困るねん。トイレ行きたくならんように、おなかの調子を整えたいところやのに、予定外の水分は、計画に影響するねん」
「はあ……なるほど」
僕は、頭の中でメモ帳を開く。
寒いところ、ぺけ。 予定外の水分、ぺけ。 缶コーヒーのプルタブも、勝手に開けるのは、ぺけ。
「せめて、そばにトイレがあったらええけど、どうみても、なかったやん」
ドラマの画面の中には、真っ暗な海と、降ってきそうな星でいっぱいの美しい夜空はあったけど、確かに、公衆トイレもコンビニも全く見当たらなかった。
「そやな。なかったわ、確かに」
「そやろ。緊急事態を迎えたお腹を抱えて、好きな人と2人きりって、これは、むしろ地獄やん。好きな人の前では、可愛く素敵な自分を見せたいのに、一触即発の事態って……」
「むむむ」
僕も唸る。
『好きな人の前では』のフレーズが、頭の中を行ったり来たりする。なんだか複雑な気持ちだ。
「じゃあ、彼は、どないしたらよかったん?」
尋ねる僕に、想子さんは、大まじめな顔で言う。
「まず、寒い時期に、夜明けの海を見に行こう、なんて酔狂なことを言うたらあかん」
「うん。それから?」
「まあ、見に行ったとしても、絶対、近くにトイレがあるところにすること。それと、」
「缶コーヒーのプルタブも、勝手に開けたらあかん」
「そうそう。それで、できたら、あったかいところで、ちゃんと眠りたいから、車中泊より、お布団もしくはベッドのあるところがいいな」
「……宿、ちゃんと、とります」
「そう。そうして」
「で、暖かい部屋から、夜明け見る? と」
「ん。 きれいで快適なオーシャンビューの部屋でね」
オーシャンビュー。
頭の中で、僕は、メモ帳にペンを走らせる。
(なんか、いつのまにか、僕らが行くみたいな話になってないか?)
という疑問はさておき。
ロマンチックは、難しい。 僕は、密かにため息をつく。
ひとの気も知らないで、そんな僕に想子さんが、言った。
「まあ、でも、2人、ちょっと一歩前進って感じでよかったよね~。来週が楽しみ」
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