第31話  一緒に

「なあなあ」

 想子さんが、僕に話しかけてくる。

 僕らは、夕食の片づけを終えて、リビングのソファで、テレビを見ていた。

「なに?」

「あのさ、お願いがあるねん」

 想子さんらしくない。やけに下手にでている。どうした?想子さん。

 逆に、僕は不安で、動揺する。


「受験生に、こんなこと頼んだらあかんかもやけど……」

「何? 言うてみなわからんやろ。言うてみ」

 僕は、ちょっと上から目線で言った。

「あのさ、あのさ、一緒に旅行に行ってほしいねんけど」

「旅行?」 胸がドクンと跳ねる。

「うん」

 一気に上から目線が吹っ飛ぶ。全身の血が沸騰しそうな勢いで、熱く体中を駆け巡る。

「ど、どこへ?」 少しうわずった声で、僕はきく。

「東京。HSTのドーム公演。チケットも宿もとってたのに、友達が急に行かれへんようになってん。今からキャンセルするのももったいないし」

「ああ、花村 礼」 僕は、思い出す。

 そういえば、ドラマで天才ピアニスト花村 礼役を演じた妹尾 圭が所属するアイドルグループ・HSTのライブがあると言ってたっけ。

「そうそう」

「いつやった?」

「来週の土日。一泊二日」

 実力テストが終わった後の土日やから、行けなくもない。

 それに、僕も、花村 礼の、というか妹尾 圭やHSTのライブを生で見てみたい気もするし。

「わかった。行くよ」

「やったあ~。よかった~。一人で行くの、なんか心細かってん」」

「旅費・食費は、生活費の中からでるよな?僕負担とちゃうよな?」

 一応念を押しておく。

 年末に、いつもよりちょっとだけ気合の入ったプレゼントを想子さんに贈ったので、今の僕のおサイフには、かなり涼しい風が吹いている。

「もちろんもちろん」

 想子さんは、もみ手をしながら、にこにこしている。

 う~ん。なんだか、あやしい。まだ他にも頼みがありそうな……。

 荷物持ちぐらいはさせられるかも。 そんなぐらい、どんとこい!だ。

 僕は、ひそかに覚悟する。

 見ていると、想子さんは、なんだか今にも口笛を吹きそうなくらい、嬉しそうだ。

 そんな彼女を見ていると、僕も嬉しい。

 いや、嬉しいなんてもんじゃない。

 二人で、泊りがけで旅行。何年ぶりだろう。いや、二人だけ、というのは、実は初めてだ。

 両親も一緒の家族旅行は、小中学生のころには何度かあったけど。

「なあなあ、ついでにジャニーズショップにも行きたいねんけど」

 想子さんが、ウキウキした声で言う。

「ええよええよ」

 僕も、ウキウキが隠せない。

「本屋さん巡りもしたい」

「ええよええよ」

「美味しいお店もいっぱい行こな」

「ええなええな」

「でも、まず何より、ライブ、めっちゃ楽しみやわ」

「そやな」

「でも、心置きなく楽しむには、お互い、テストや仕事の山、乗り越えんとな」

 僕が言うと、想子さんは、素直にうんうんとうなずいた。


 ライブの日までの数日は、飛ぶように過ぎていった。

 僕のテストは無事に手応えも十分に片付いたし、想子さんが抱えていた仕事は、締め切りに無事間に合った。

 さあ、明日に備えて、荷物を用意しようと、少し大きめのカバンを、僕はクローゼ ットから取り出した。

 そして、想子さんの部屋のドアをノックする。

「想子さん、カバン、この大きい方持っていくから、入れたいもので、重いものやかさばるものは、こっちにいれるで」

 言いながら、返事を待たずにドアを開けた僕が見たのは、ぐったりして、ベッドにもたれている想子さんだった。

「どうしたん?!」

 大慌てで駆け寄って、抱き起すと、想子さんの体は熱っぽくて、僕は焦る。

「どうしたん?」

「わからへん。仕事、無事片付いて、ホッとしたからかもしれへん。フラっとして、力はいれへん」

 急いで、体温計を取りに自分の部屋に戻る。

 体温計を持って戻ると、急いで、熱を測る。

 38℃。

「病院行こ」

「え。そんな……」

 想子さんは、しょんぼりしている。


 タクシーを呼び、想子さんと一緒に乗り込んで、子どものころからかかりつけのクリニックに向かった。

 結果は、インフルエンザ。 もちろん、旅行どころじゃない。

 薬局で薬をもらって家に戻り、軽く食事をした後、薬を飲んで、想子さんは、ベッドに入った。

 僕らの旅行計画は、その直前で水泡に帰した。


「く……くやしい」

 ベッドの中で、想子さんがうなる。

「そやな。残念やったな」

 僕は、なるべく穏やかに返す。

「行きたかった……めっちゃ、行きたかった」

 少し涙声で、想子さんが言う。

「うん。楽しみにしてたもんな、ライブ」

「ライブもやけど、ダイと二人で旅行するの、初めてやから……めっちゃ、行きたかった……」

 僕の胸に甘酸っぱい思いがこみ上げる。

 彼女を抱きしめたくなる気持ちを抑えて、わざと、からかうように、僕は言う。

「そうか。そんなに僕と旅行したかったん?」

「うん。……めっちゃ、楽しいやろなあって想像してた」

 想子さんはやたら素直だ。

「……でも、旅行行かんでも、毎日、こんなに一緒におるやん。二人で」

 つい、僕の声は、甘くなる。

 だめだ。まるで口説いてるみたいだ。

 胸のどくどくいう音が、彼女に聞こえそうで、僕は、一瞬息を止める。

 そして、息をゆっくり吐いて、もう一度深く吸って、吐く。少しだけ落ち着く。

 ひとの気も知らないで、想子さんは、甘えるような声で言う。

「……でも、旅先で、二人で、いろんなとこ行くの、してみたかった……」

 たまらなくなって、ベッドの中の想子さんの前髪を、くしゃくしゃにかき混ぜるようにして、僕は言った。

「また、行けるよ。今度、もっとあったかくなって、春になったら、行こう」

「受験生やし、誘ったら迷惑かも」

「一日二日、どうってことないし。想子さんの行きたいとこ、どこでもつきあうよ」

「……ほんま?」

「ほんまほんま」

「ほんま?」

「ほんまやって。やから、今は、ちゃんと寝て、早く治し」

「うん」

 安心したように、想子さんは、目をつぶった。

 僕は、その寝顔をじっと眺めながら、ベッドのそばに座っていた。

 目をつぶれば、新幹線の座席の隣同士に座っている気分と言えなくもない。

 眠りについたらしい彼女が、僕のいる方に、寝返りを打った。

 想子さんの手がすぐ目の前にある。その手を、僕はそっと握る。

(そうや。場所なんかどこでもええねん。こうして、二人でおれたら……)


 新幹線のチケットと宿は、無事キャンセルできたけど、ライブのチケットだけは、残念だけど、そのままボツにするしかなかった。

 薬が効いて、想子さんは、翌々日には、熱も下がって、ふつうに、元気復活、食欲旺盛に戻った。

 ところが、入れ替わりで、今度は、僕が、ダウンしてしまった。

 思った通り、インフルエンザの診断を受けて、僕は寝込んでしまった。

「もう。なんで、ダイまで、ダウンするねん。あかんやん。元気でおってくれんと」

 想子さんは、少し呆れ顔で言う。

 なんだかな……。

 そう思ったけど、いつもより、じわりと、お互いの存在の近さと大切さを感じた気がしたんやけど。

 それは、もしかして、僕だけ?


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