第32話 約束
「なあ、想子さん」
僕は、隣で空を見上げている想子さんに話しかける。
「ん? なに?」
僕たちは、二人で、庭に折りたたみのテーブルと椅子を出して、ティータイム中だ。この頃、陽射しの色が、透明な明るさを増したような気がする。
一年中で、この時期の陽射しが、僕は一番好きだ。
ハクモクレンが、白い花をまっすぐ空に向かって、咲かせている。空気はまだ冷たいけれど、確実に春がやってきている。
「僕ら、春になったら、旅行するって言うてたやん」
「うん。そうやね。……どこにいく?」
「どこか行きたいところある?」
「う~ん。美味しいもんがあって、景色がきれいで、のんびりできるところ」
「そやな。……乗り物はどうする?」
「列車でのんびり、がいいな」
想子さんは、ちょっとお疲れのようだ。
のんびり、が2回も出てきた。 あまり遠出しない方がよさそうだ。
僕は、といえば、彼女さえいれば、行く先はどこだっていい。正直、近所のスーパーへだって、二人一緒なら、ごキゲンで出かけるくらいだ。
「よし。決めた」
「うん?」
「春の癒しを求めて、お疲れ気味なあなたに、可愛いパンダと美味しい海鮮の旅!」
「いいね~。パンダ! そして、海鮮ときたら、白浜かな?」
「うん。天王寺から列車に乗って、のんびり。アドベンチャーワールドで、パンダ三昧。ついでに、海の幸堪能の一泊二日」
「それ採用!」
「じゃあ、決まり。宿とか列車の切符とかは、僕が予約するわ」
「じゃあ、私、おいしそうなお店とか、調べとく。やったね!楽しみができたー!」
「うん。楽しみやね。僕、生でパンダ見るの初めてやし」
「あ、そうやったね。私は2回目。白浜のパンダって、赤ちゃんたちはちゃうけど、もう大きい子たちは入ってすぐのところに、普通にごろごろしてるねんで。猿山のサルみたいに、見放題!」
「いっぱい写真撮ってしまいそう」
「ふふ。ダイ、パンダ好きやもんね」
「想子さんこそ」
僕のパンダ好きは、想子さんの影響だ。
パンダの写真を見せては、この子の耳の特徴はコレで、あの子は、いつも口角上がってるねんとか、どれだけ聞かされたか。おかげで、僕まで、妙にパンダ通になってしまったほどだ。
想子さんは、キゲンよく鼻歌交じりにお茶をすすっている。
僕は、ぽそっと口にする。
「第2候補もあってんけどな」
「え、なによそれ! 早く言うて」
かじりかけたクッキーを皿において、想子さんがせかす。
「列車でのんびり、彦根の旅。美味しい近江牛とひこにゃん満喫ツアー」
「うわあ~。それもいい! めっちゃいい!」
想子さんは、ひこにゃんも好きなのだ。もちろん、近江牛も。
「ただちょっと遠いかな」
「そうやねえ。京都からなら、近そうやけど」
「うん。そやから、来年の春、僕がうまく合格したら、京都から行こうか」
「よし! そうしよう! 来年、絶対行こう!」
「うん」
僕と想子さんの間に、また一つ約束が増えた。それが、嬉しい。
約束が一つ増えるたび、僕の想子さんへの思いは、より深くなる。
僕の想いは、表に出せない分、海のようにどんどん深くなる。
きっとマリアナ海溝だってかなわないはずだ。
(ねえ、想子さん。いつか僕らは、こうして二人で過ごした時間を、一緒にお茶を飲みながら、 懐かしく思い出すのかな。それとも、懐かしむ時間もないくらい、毎日、新しい二人の時間を更新していってるのかな)
僕は、想子さんのカップと自分のカップに熱いお茶を足しながら、思う。
「ダイ、ぼ~っとしてたら、またこぼすで」
想子さんが言った。
「え? あ? ほんまや」
もう少しで、自分のカップはあふれるところだった。
「もう。やけどせんように気ぃつけてや。 ダイはだいじなひとやねんから」
想子さんは、駄洒落のつもりか、笑ってそう言った。
『ダイはだいじ』
次の瞬間、たまらなくなって、僕は思わずつぶやいてしまった。
「……大事より、大好きがええ」
言ってしまってから、僕は、あわてた。そして、あわててカップのお茶をぐいっと飲んだ。
「あっちー!!」
「もう! ほら、言ってるそばから、なにしてるん?」
ほら、水。と想子さんが差し出すグラスの水を口に含む。
落ち着かなくて、何度も瞬きする僕に、想子さんが笑って言った。
「大好きやで! あったりまえやん、大好きで、大事に決まってるやん!」
赤くなってかたまる僕に、想子さんは、力いっぱい断言する。
「これまでも、この先も、ずっとずっと大好きで、大事やよ、ダイ!」
(どういう種類の好きなん? )とは、到底聞けないけど。
でも、……今は、それでもいいか。
想子さんの、大好きで大事なひとでいられるなら。
僕は、口に含んだ水を飲み込んだ。 ちょっと気持ちが落ち着く。
ひとの気も知らないで、想子さんは、言う。
「当然、ダイもそうやろ?」
「う、うん」
「じゃあ、大好きな想子さんのために、あったかいココアつくってや。紅茶もいいけど、なんかココア飲みたくなった」
「マシュマロ入れる?」
「うん。雪だるまの形の3個」
「え、雪だるまのは、想子さん、自分の分もう使ったやん。あとは、僕の分やで」
「いいのいいの。細かいことは気にせんといて~」
「え~気にする~」
「じゃあ、しゃあないなあ。雪だるま2個でいいわ。 ダイが、1個ね」
僕は、キッチンに戻って、大きなマグカップに、たっぷりと熱々のココアを淹れ、雪だるまは、お皿にのせて、庭に戻る。
「雪だるまは、じゃんけんで、勝った人から1個ずつとれることにしよう」 僕は、提案する。
「おう。受けて立つ!」
想子さんは、組み合わせた手をひっくり返して覗きながら、勝つ気満々だ。
(想子さん、大好きやで)
僕は、心の中で、このまま時が止まることを、こっそり願う。
「最初はグー! じゃんけんほい!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます