第30話 ダイエット
「行くで。早く」
僕は、玄関から、想子さんに声をかけた。
「行く行く。ちょっと待って」
2階から、想子さんがバタバタと駆け下りてくる。
じわっと増えた体重をなんとかするために、僕らは、今日から早朝ランニングを始めることにしたのだ。
リンゴバターと、お正月のせいだ。
想子さんは、高校時代の紺色のジャージを着ている。髪はポニーテールだ。高校生に見えなくも、ない。ちょっと……可愛い。
一瞬、ぼ~っとしてしまった僕は、慌てて言う。
「えらい若返ってはるやん」
「ふふん。若いもん。なあ、意外とポニーテール、いけてると思わへん?」
「まあね。遠目に見たら、高校生に見えるかも」
「遠目でなくてもな」
想子さんは、玄関の下駄箱の鏡で、自分の姿を確認している。
可愛いけど、いつまでたっても、出発できない。
「可愛い可愛い」
僕は、わざと棒読みで言って、想子さんをせかす。
「なに、その棒読み。もっと感情こめて言わな」
想子さんはちょっと不服そうだ。
(感情なんて込めてたら、うっかり調子に乗って、抱きしめてしまうかもしれへんやん)
僕はこっそり、心で反論する。
「とにかく。出発!」
僕は、勢いよく声をかける。
「よし!わかった!行くぞ!」
気合の入った想子さんが、両手で拳を作って言う。
(あかんて。可愛すぎるってば)
僕は、急いで向き直り、玄関ドアを開ける。
僕らは、軽く準備運動をしてから、ゆっくりと走り始める。
近くの御陵の緑を横目に見ながら、御陵を囲む堀に沿った道を走る。まだ、花が咲くには少し早い季節だ。常緑の木々もあれば、昨秋に葉が落ちてから、幹と枝だけの木もある。
「ねえ、ちょっと、ダイ。ちょっと休憩。歩こう」
「え、もう?」
「いや、むりしたら走れるけど……ほら、せっかくやから、景色見ながら、ウォーキングっていうのもええかなあ、て」
「しゃあないなぁ。じゃあ、走ったり、歩いたり、を取り混ぜていこか」
「うんうん」
「でも、速足な」
「うんうん」
少し歩くと、体がポカポカしてきた。ウォーキングも悪くない。
想子さんが言った。
「なあなあ、八幡宮、お参りしていこ」
「ん?ええけど。お賽銭とか、僕、お金持ってへんで」
「大丈夫。私が持ってる」
想子さんは、ドラえもんみたいに、ポケットから小さな財布を取り出す。
静かな境内には、人はまばらにしかいない。冷えた空気が、頬に気持ちいい。
想子さんから、5円玉を貸してもらって、お賽銭を入れ、二人並んでお参りする。
「おみくじ、ひこう」
再び、想子さんのポケットから、財布が登場する。
ここの八幡宮のおみくじは、凝っている。
小さな金色の、打ち出の小槌や招き猫やカエル、など何種類あるのか知らないけど、
小さなお守りがついてくる。
おみくじの紙を開くと、僕は、小吉だった。吉かどうかよりも、おみくじに書かれている言葉が、すごくいいのだ。
心に響く、味わい深いことばが書いてある。素直にがんばろうと思えてくるような、気持ちが前向きになる言葉だ。
想子さんも、一生懸命、おみくじの文章を読んでいる。
「どうやった?」
「ん。私、小吉。……あら、ダイも? じゃあ、書かれてる言葉も一緒?」
お互いのおみくじを見比べる。
小吉、というのは一緒でも、書かれている言葉は違っている。
想子さんの方に書かれている言葉も、とても素敵な言葉だ。
「ここのおみくじが、一番好きやな」
「うん。そやな。書かれてる言葉が、めっちゃ響くよな」
「これ、時々見直して、励みにしよう」
「そやな」
僕らは、おみくじをきれいにたたみ直し、金色のお守りと一緒に入っていた小袋に戻して、ポケットにいれる。
「さあ、走るで」
十分な休息をとった僕らは、再び走り出す。
しばらく走ったところで、ふと背後にいるはずの想子さんの気配がないことに気づいた。
ふりむくと、新しくできたベーカリーカフェの前で、想子さんが手を振っている。
想子さんてば……。
急いで、彼女に駆け寄ると、
「なあなあ。ここで、朝ごはんにして行けへん?」
「え~。まだ途中やで。今、食べたら、走られへんやん」
「大丈夫。もう十分走ったよ。……初日にしては」
早くも、想子さんの目は、店内の陳列ケースに注がれている。
「美味しそう……」
いや、たしかに、美味しそうやねんけど。
でも、そもそも、僕ら何のために走ってたん?
「ダイエットは、運動とバランスのいい食生活でうまくいくねんて。やから、バランスの良さそうなパン、選ぼね」
僕の心を読んだように、想子さんは言う。
はあ……。
僕は、ため息をつく。
あとで、もう一回一人で走りに行った方がよさそうかも。
ひとの気も知らないで、想子さんは、僕に指令を出す。
「なあ、できるだけいろんな種類試そな。私と同じの選んだらあかんで」
「へいへい」
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