第11話  どっちが


 想子さんは、朝からソワソワしている。


「今日は、晩ご飯、早めにするで」

「うん」

「お風呂も早めに入って、用事は全部早く終わらせる」

「うん」

「で、万が一、9時の直前に、電話がかかってくるようなことがあれば、ダイ、頼むね」

「うん」


 よし。

 小さくつぶやいた想子さんは、気合が入っている。

「もし、想子さんの友達からとかの電話やったらどうする?」

 一応、きいてみる。

「大丈夫、かかってきそうなあたりは、予めメールしてある。それに、あの子らも、たぶん、その時間は、PCかスマホの前にくぎ付けのはず」


 今日は、想子さんの大好きなアイドルグループのアルバム購入者対象の生配信イベントがあるのだ。

 1ヶ月も前から、この日を楽しみにしていた彼女は、今朝、試しに、そのサイトにログインしようとして、パスワードを忘れていることに気づいて、慌てていた。

 思いつく限りの、文字やら数字やらを打ち込んでは拒まれ、とうとう、彼女は、パスワードを忘れた方は、のところをクリックして、登録しなおし、事なきを得た。


 想子さんの今日の一日は、完全にそのイベントに照準が合わされ、なんだか、それに付き合わされる僕の一日も、長いんだか短いんだかわからないような、不思議なペースで、進んでいる。



 想子さんは、関西弁が好きだ。

 そのアイドルグループが好きな理由の一つは、それだ。彼らは関西出身で、インタビューでも、関西弁で魅力的に話す。彼らは、さらにカッコイイ可愛い面白い、全てを兼ね備えているところが素敵なのだと彼女は力説する。


 そして、言う。

「関西弁は、お笑いだけとちゃう。めっちゃロマンチックな雰囲気かて出せるし。たとえばさ、なんか困って悩んだり落ち込んだりしてるときに、『あほやなぁ。……大丈夫やで。おれがついてる』とかって、優しく頭をなでながら言われてみ、きゅ~んってくるやん」

 想子さんは言う。

「ふ~ん。……『バカだなあ』じゃ、だめなの?」

 僕は、標準語で言ってみる。

「うん。なんか、響き方がちがうねん。やっぱ、バカっていうより、あほ、の方がええな。それも、漢字やカタカナじゃなしに、ひらがなの『あほ』。漢字やカタカナやと、なんかバカにされた気がする」


 う~ん。あほ、とバカが交錯している。

 聞く人によったら、混乱するだろう。


「ダイは、どっちがええ?」

「う~ん。そやな、僕も、やっぱ、ひらがなの『あほ』の方かな」

 僕も少し考えて答える。

「でも、どっちも、あんまり言われんほうがええな」と付け足す。

「まあ、そやね」

 想子さんもあっさり言う。


「じゃあさ、これ、どう思う?」

「ん?」


「例えば、付き合ってる人に、

『君は、俺にとって、大事な存在や』って言われるの」

 今日の想子さんは、例えば、が多い、気がする。


 ほんまに、『例えば』なんだろうか。

 僕は、少し、疑惑を抱きつつ答える。


「う~ん。そやなあ。大事って言ってるから、その部分だけ聞くと、なんか、一瞬いいように聞こえる。けど、なんかさ、そのあと、『でも、…』って、続きそうな気がするな」

「やっぱ、そう思う?」

「うん」

 僕は、続ける。

「ほんまに好きやったら、大事やとかどうとかぐだぐだ言わんと、大好きやで!で、ええやん。って、ちょっと思ったりする」

「そうか。私もそう思うわ」

 想子さんは、同意する。


「じゃあさ、大好き、と、愛してる、やったら、どっちが響く?」

「ええ~、もうめんどくさいって……」


 想子さんは、よほど、気持ちが落ち着かないらしい。次から次へと、質問を繰り出す。僕は、心の中で願う。

(お願い。早く、夜の9時になって)


 ひとの気も知らないで、想子さんは、ウキウキを隠せない。そして、僕に様々な質問を投げかける。


(やめて~。僕、今、やらなあかん課題があるねん、て)


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