第9話 2人で
僕は月を見ている。
今夜の月は、満月に近い。
満月じゃなくても、十分に美しい。
僕は、月を見ている。
縁側で、ひとり。
大きな抹茶茶碗に、
六分目まで注いだ牛乳を前に。
僕は月を見ている。
・・・・・・・・・・・・・・・・
……あかんわ。
僕に、詩は作れない。
「何やってんの?」
想子さんが、背後から声をかけてくる。
「ん?……ああ。月見てた」
僕は、ぽそっと答える。
「何、ひとりで、たそがれてるのかと……」
「べつに、たそがれてるわけじゃないけど」
「うん。……けど?」
「今日さ、李白の詩を読んでん。『月下独酌』ってやつ」
「ああ」
「知ってる?」
想子さんがうなずく。
「うん。高校生のとき。教科書に載ってたな。なんか、仙人になりたかった、おじさんが、酔っぱらって、月と自分の影と一緒に酒を飲む、って詩だったような」
「そうそれ。はじめさ、なんだか、お気楽な詩だなあって思って。満開の花の下で、ひとりゴキゲンで、酒飲んで酔っぱらって、月と自分の影と、自分の3人で飲んで踊って、楽しいや~
お?なんだか、酔いが回ってぐるぐる目が回ってきたぞ~
影も月もぐるぐるバラバラだ~みたいな、ちょっと、ふざけた詩なのかなあ、って」
「ちがうの?」
「うん。いや、どうかな。そうなんかな? でも、今、月見ながら、その詩を思い返してみたら、なんか、ちがうイメージが湧いてきてさ」
「うんうん」
「もしかしたら、このおじさん、酔っぱらって踊りながら、ほんとは泣いてるんちゃうかな……なんて気がしてさ」
「何で泣いてると思うん?」
「ん~。ようわからん。さびしいのかもしれんし、将来に対するぼんやりとした不安を抱えてたのか」
「そんな芥川龍之介みたいな」
「まあ、月を見ながら、そんなことをちょっと考えたりして、ついでに、詩を作ってみようかなと」
うっかり口を滑らせてしまった。
「うんうん。どんな詩?」
想子さんが、ニヤッと笑う。
「言わへん」
僕は口にチャックをする。
「そうかあ。」
そう言った想子さんは、抹茶茶碗をのぞく。
「あら、白酒?」
想子さんが茶碗を取り上げて、くいっと飲む。
「う~ん。いいね。ちょっと待ってて」
しばらくすると、彼女は、おちょこと徳利をお盆にのせて戻ってきた。
「え? 僕、お酒飲まれへんで」
「まま、そうおっしゃらず……」
そう言って、僕の手にお猪口を持たせて、想子さんは、徳利から白い液体を注ぐ。
今度は、自分がお猪口を持って、僕に注ぐように目で言う。
2人で、お猪口を掲げて、こつんと合わせる。白酒気分で、僕らは、牛乳で、杯を重ねる。
「なんか、酔っぱらってきた気分」
想子さんが笑う。
「うん。そやな。器って、大事やね」
「私ら、カルシウム、めっちゃ補給できたんちゃう?」
「ふふふ」
次の瞬間、ふと僕は思い出す。
「もしかして、牛乳全部使った?」
「ん? 使ったかも~」
「あした、フレンチトースト作ろと思ってたんやけど」
残念そうに僕が言うと、
「まあ、普通のトーストでええんちゃう?」
想子さんがあっさり言う。
(せっかく美味しいフレンチトースト作ってあげたかったのにな……)
ひとの気も知らないで、想子さんは、旨そうに、牛乳の入ったお猪口を口に運ぶ。
まあ、ええか。
李白おじさん、僕は、2人で、飲んでます。
牛乳やけど。
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