第8話 もう。
「ダイ、始まるよ!」
「わかった、すぐ行く」
僕は、温かい紅茶を入れて、リビングに運ぶ。
今から始まるのは、想子さんが毎週楽しみにしているドラマだ。
天才ピアニストが主人公だ。
彼がコンサートツアーで、全国を回るたびに、何かしら、事件に巻き込まれ、そのなぞを解くハメになり、みごと、それを解決し、最後は、予定通りコンサートを無事成功させる、というドラマだ。
ツッコミどころは、いろいろある。
だいたい、そうしょっちゅう事件に巻き込まれる人間がいるだろうか?
しかも、ツアーで滞在している、ほんの数日で、そうそう事件の謎を解けるもんだろうか?
ただ、そのツッコミどころはさておき、主人公を演じる俳優が、やたらいい味出しているのだ。アイドルグループのメンバーで、もともとライブとかで、ピアノ演奏を披露していたらしいけど、さらに、磨きをかけて天才ピアニスト役らしく、かなり高難度の曲も、吹き替えなしで自ら演奏している。
事件を解決するときは、きりりとカッコイイのに、その他のシーンでは、のんきでお茶目で、食いしん坊で、愛嬌たっぷりで。可愛さ全開で。
それで、想子さんはすっかり彼にはまっている。
彼が、助手と二人で旅先の街のグルメを食べ歩くシーンも、このドラマの話題の一つになっている。
天才、というと、どこか孤高なイメージがあったけど、彼の場合は、ひとの心をつかむ天才、という設定らしくて、かえって、演じるのも演奏するのも難しいんじゃないだろうかという気もするが。
助手役の芸人さんも、ちょっととぼけた面白い演技をするので、今にも二人で漫才でも始めそうな、笑えるシーン満載の弥次喜多道中でもある。
そして、一番の話題なのが、毎回、最後のコンサートシーンで、主人公が、客席のリクエストに応えて、1曲演奏するところだ。
なんと、事前の視聴者アンケートで名前の上がった曲の中から、毎回ドラマのゲスト出演者やストーリーに合わせた1曲を選んで、彼が演奏するのだ。
放送されるその時まで、どの曲が演奏されるのかは、秘密で。
毎回視聴者は、自分のリクエスト曲が流れるかも! と楽しみにする、というしかけだ。
今週も、想子さんは、自分のリクエストが流れるかも、と期待して放送を待っていた。
今日は、想子さんの好きなソプラノ歌手の人が、ゲスト出演していて、その人は、ある事件をきっかけに、歌えなくなった悲劇の歌姫、という役柄だ。
話が進んで、やっと事件は無事解決したのに、まだ、彼女の心は開かず、美しい歌声はいまだ聞かれないままだ。
そして、いよいよ最後の演奏会のシーン。
リクエストされた曲をピアニストが、とても心に響く音色で、弾きはじめ、その音色に誘われるように、客席にいた歌姫が立ち上がり、ついに、その美しい歌声が会場を満たす……
武満徹の『小さな空』という曲だ。ゆったりとのびやかな、どこか懐かしいメロディー。優しく響く歌詞は、静かに心に沁みてきて、想子さんと僕は、そのシーンで、ぼろぼろ泣いてしまった。
画面の中の客席も泣いている人が映っている。とても演技には見えない。
やがて演奏は終わり、そして。
割れんばかりの、いつまでも止まない拍手。美しくほほ笑む歌姫。応えるようにほほ笑み返すピアニスト。
2人の素敵な笑顔のシーンから、一転して、最後は、ピアニストと助手が、弥次喜多道中を再開して、クスッと笑わせてエンド、だ。
僕の隣で、涙を流しながら、息を詰めるようにして見ていた想子さんが、ドラマが終わるなり、
「やった~!」とガッツポーズで言った。
「私がリクエストした曲!」
「え、そうやったん!?」
「そやねんそやねん。まさかと思てたら、ほんまに、演奏してくれはった。めっちゃ嬉しい」
「よかったね。もう一回、演奏会のシーン見る?」
「うん。見よ見よ」
僕らは、何度も、そのシーンを再生し、そのたびに涙を流した。
とくに、『いたずらがすぎて、叱られて泣いた子どもの頃を、思い出した』
(*武満徹『小さな空』より)
という歌詞のところでは、2人して、めちゃくちゃ、涙を流しまくった。歌姫の声がすごくよかったのもあるし、ピアノの音がとても、心に響いたせいもある。
「ダイ、ほら」
想子さんが、僕にティッシュの箱を渡してくる。
「ありがと」
箱を受け取って、ティッシュで、目と鼻をおさえる。そして、箱を二人の間に置く。僕以上に、想子さんも、グシャグシャに泣いているから。
ひとしきり泣いた後で、僕は、ふと思った。
「なあ、想子さん」
「ん?」
「そういえば、僕らって、『いたずらがすぎて、叱られた』ことって、あったっけ?」
「ん~。そういや、ないね」
「ないよな」
「そやのに、この歌詞聴くと、めっちゃ、懐かしい気持ちになるし、その歌詞のところ、泣いてしまうほど響くよね」
「ほんまやね。ふしぎやね」
「でもさ、たとえば、失恋の歌とかでもさ、自分が全然、失恋とかしてなくても、聴くと泣けたりするやん。それと同じなんかな」
「実際に経験してなくても、その歌で、経験する、ていう感じなんかな」
「そやな」
想子さんが言う。
「何年か前な、私、コンビニで、肉まん買おうか、小籠包にしようか、迷ってたことがあってさ。」
「うん」
(なんで、急に、肉まん?小籠包?)
不思議そうな僕に、想子さんが続ける。
「そのときに、店の中で、歌が流れてきてん」
「それが、すっごいきれいな歌声で。歌詞がめちゃくちゃ切なくて。立ち止まって聴いてるうちに、わぁ~って、涙があふれてきて。あかん。このままでは、コンビニで立ち尽くして、突然ひとりで泣いてるわけわからん人になってしまう、と思って、肉まんも小籠包も買うのやめて、猛ダッシュで家に帰ってん」
「せっかく買いに行ったのに、何も買わんと?」
「うん。でね、家帰ってから、頭に残ってた歌詞から、誰の、なんて歌か、ネットで調べてん。奥華子さんの、『初恋』って歌やってん。」
そういうと、想子さんは、youtubeで、その曲をかけてくれた。やっとおさまったところだったのに、再び、僕らの涙腺は、決壊する。
「やばいやん。涙止まれへん」僕が言う。
「あかん。ほんま、止まらへん。切なすぎるけど、めっちゃええ曲……」
想子さんは、つぶやくように言う。
そして、隣に座る僕の腕をぎゅっと抱えて、僕の肩に顔をうずめる。シャツを通して、想子さんの涙が沁みてくる。
「もう。……泣きすぎ」
言いながら、僕は、想子さんの頭をくしゃくしゃっとなでる。そうしながら、僕は、少しずつ、自分の涙を抑える。
この歌のように、いつか、僕も、彼女のそばにいられなくなる日がくるのだろうか。涙はやっとのことで抑えたものの、僕の心の中に、歌詞の一つ一つが刺さり続ける。僕の肩にある想子さんの頭の重みが、僕の心を締め付ける。
歌を聴いて泣くときには、2つのパターンがあるのかもしれない。
思い出の引き出しを開けて、抱いた後悔や過ぎた日々への愛しさに泣くとき。
あるいは、
この先の未来への、不安や予感に胸をしめつけられて、泣いてしまうとき。
「めっちゃ泣いたけど、めっちゃいい曲いっぱい聴いて、なんか幸せやな」
想子さんがそうつぶやく。
やっと、想子さんの頭と腕が、僕の肩と腕を開放してくれた。想子さんは、
「ダイ。さっきのお返し。」
そう言って、僕の髪をくしゃくしゃっとなでた。
せっかくおさまったはずの涙が、吹き出しそうで、僕は、あわてて立ち上がる。
(・・・ひとの気も知らないで)
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