初日の朝

 ───なんだかんだ時が流れるのは早いもので、あっという間に一ヶ月が経ってしまった。


 一ヶ月といえば、ついにアルヴィンが学園に通う時期。

 その当日を迎えてしまった公爵家は、朝から大忙しだ。

 アルヴィンの入学準備に、いつもとは違う時間帯での食事、寝ぼける坊っちゃまを叩き起して外へ出させるなどなど。

 ただ、準備はいい。使用人達が情けないご主人様の代わりに朝早くて起きればいいのだから。

 しかし、自堕落な坊ちゃまを起こすことの方が至難である。


 何せ、相手は公爵家の息子であり、面汚しだと言われても平気で開き直っている少年。

 二度寝なんて当たり前、下手に起こして癇癪でも買ってしまえば自分の首が飛びかねない。

 そんな時、養子で皆からの信頼も厚い姉が使用人達に一つ提案した。


 こんな方法があるんだけど、と―――


「んむぅ……」


 アルヴィンの瞼がゆっくりと開かれる。二度目の目覚めだ。

 今日もなんて清々しい朝なんだろう。入学式なんてかったるいものがあるけど、ばっくれればいつも通りの朝だ。

 瞼に襲い掛かる陽射し、見慣れぬ天井、移り変わる景色、先程から硬い感触にやられる背中、ガタガタと揺れる視界。

 さぁ、今日もいつも通り―――


「はぁっ!?」


 ―――から遠く離れている現状に、思わずアルヴィンは起き上がってしまった。


「あっ、おはよーアルくん!」


 ふと横からいつも聞いている声が聞えてくる。

 また姉が自分のベッドに潜り込んできたのか? と思ったがそうではない。

 視界に映るセシルは学生服で、何やら柔らかで嬉しそうな笑みを浮かべながら対面の席に座っていた。


「何事!? これは一体清々しい朝の一幕に一体何が起こったっていうの!?」


 とはいえ、その驚きもすぐに解決する。

 今いる空間はつい先日乗っていた馬車と同じ。つまり、自分は馬車の中にいるという状況らしい―――


「落ち着くんだよ、アルくん。朝からそんな大きな声で喋っちゃうと周りの人に迷惑になります。ご近所のお付き合いはとても大事なのです」

「馬車だから、ご近所さんなんか数分でいなくなっちゃうけどね!? っていうより、いきなり馬車の中で目覚めたら普通驚くよね!? 目覚めのいい誘拐かと思うけどなぁ、普通は!」

「まぁまぁ、アルくん。これも深い事情があるんだよ」


 セシルは立ち上がり、喚くアルヴィンを落ち着かせるべく優しく頭を撫でた。


「長いお付き合いなお姉ちゃんはね、アルくんが二度寝をして大事な大事な入学式をサボるんじゃないかなって思っていました」

「間違ってはないね」

「それだといけないのです。公爵家の人間が入学式の時に遅刻するなんて、親の顔にも泥を塗ってしまいかねない行為です」

「まぁ、そうなんだけど……」


 親というワードを出されて、少し口籠るアルヴィン。

 サボる気満々であったのは真実なので否定はしないが、こうして諭されてしまうと罪悪感が込み上げてくる。

 いくら自堕落な生活を送ろうとしていても、周囲に迷惑をかけすぎるのはよくないのでは、と。


「だからお姉ちゃんは考えました―――」


 だからこの時だけは、優しく諭してくれる姉の言葉をしっかり聞こう。

 反省しながら、アルヴィンはセシルの顔を見ながら耳を傾けた。


「シーツごと馬車に乗せてしまえば遅刻なんてしないよね、って」

「なんて安直で頭の悪い発想!? 普通に起こして説得するって簡単な方法には至らなかったのかこの姉は!?」


 身から出た錆とはいえ、もう少し何か違う方法がなかったのかと思ってしまったアルヴィンであった。


「でも、実際にこれだと遅刻しないよね?」

「寝間着で入学式を迎える羽目になる弟と遅刻っていうワードのどっちに天秤が傾くか考えるんだッッッ!!!」


 同じ恥だとはいえ、どっちの恥の方がダメージにならないかは考えればすぐに分かるようなものであったがそこまで至らなかったらしい。

 しかし、学年首席様はちゃんとそのあとのことまで考えているようで―――


「大丈夫だよ、アルくんっ! そうならないように、しっかりとアルくんの制服を持ってきました!」


 そう言って、座席の下から新品の制服を取り出したセシル。

 それを見て、アルヴィンはホッと胸を撫で下ろした。


「さ、流石にアフターケアぐらいは姉さんも考えていたか……」

「アルくんの晴れ舞台だよ? お姉ちゃんがそんなドジを踏むと思うのですかどやぁ!」

「……今はそのブラコンっぷりに助けられたよ」


 ありがとうと、アルヴィンはお礼を言ってセシルから学生服を受け取った。

 そして、アルヴィンは自分の上を脱いでセシルがズボンに手をかけ―――


「……おいおい、待ちたまえよマイシスター」

「……どうしたのかな、マイブラザー」


 ―――ようとした瞬間、アルヴィンが寸前で手を掴んだ。


「今、あなたが何をしようとしているのかお聞きしても?」

「……弟の成長を確認するのも姉の務めだと思います」

「思いませんよ!? あんたが見たいだけでしょ弟の成長なんて背丈だけで充分なんだからこの変態がッ!」


 ただ見たいだけなんだと秒で理解するアルヴィン。

 伊達に長いこと溺愛オプションのついた弟をしていない。


「でも、代わりと言っちゃなんだけど……お姉ちゃんの成長も記録させてあげるよ?」

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いや、いやいやいや」

「アルくんって、実はお姉ちゃんのことを異性として意識してないかな? なんかそんな朗報が感じられるんだけど」

「き、気のせいですけどもえぇ! だからその手をズボンから離しやがれっ!」


 賑やかな声が馬車から聞こえ、その時の御者は微笑ましい笑みを浮かべていたという。

 それは余談であるが、アルヴィンはこのあとなんとか貞操と成長記録を守った状態で着替えることに成功した。





「あ、今日授業が終わったら訓練所来てね! 入団希望者と一緒に顔合わせ会と弟自慢会やるから!」

「後者の参加者って絶対姉さんしかいないじゃん……ッ!」

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