第5話 第一王子

「言語の習得は誰でもできます。褒めてもらうことではないのです」

「貴方、まだそんなことを言っているの? 失礼にも程があるわ!」

「私は事実を述べているだけなのに勝手に怒って、人のドレスに紅茶をかけるのは失礼ではないのですか?」


 ユリアーネの人を食ったような冷静な切り返しは、取り巻きにとっては見下されているように思えた。だから顔を真っ赤にして、ユリアーネを怒鳴りつける。


「ドレス程度でネチネチうるさいのよ。そんなドレスくらい、いくらでも弁償してあげるわよ!」

「このドレスの生地は、マイスリンガー国でも貴重な一の絹を使っているのです。紅茶で見る影もありませんが、糸の染色には宝石の粉も使われています。子供が軽い気持ちで弁償するなどと言える品ではないのです」

 大人が聞いても眉を顰める物言いだが、ユリアーネとしては事実を述べているに過ぎない。


 マイスリンガー国の絹は最高級品で、マイスリンガー国の絹と言うだけで、貴族だってそう簡単には手が出せない逸品だ。その絹の中でも選りすぐりを選び抜いたものが、『一の絹』と呼ばれる幻のシルク。その上、染色に宝石の粉を使っているとなれば、手にできるのは大国の王族レベルのみ。とてもその辺の貴族が手を出せる品ではない。


「い、一の絹なんて、伯爵家ごときで手に入る品ではないわ! そんな嘘をついてまで見栄を張るなんて、貴方おかしいんじゃないの?」

「さっきまでは優秀だと勝手に褒めていたくせに、今度は頭がおかしいよばわりですか? もういいですよ、弁償してもらえると思っていませんから。貴方の家は十二年前の洪水の影響で領地が大打撃を受けたまま、治水問題も手付かずですものね。ドレスなんかより、領民を優先してください」


 非常に辛辣な言葉だが、本人に嫌味を言っている気は一切ない。

 自分の知っている事実を述べているだけで、相手の懐事情を考えて気をつかったとさえ思っている。それを理解できるのは、ユリアーネを知り尽くしている家族だけなのだが……。


 家の恥を晒された令嬢が、黙っていられる訳がない。

 頭に血が上った取り巻き令嬢が手にしたのは、熱い紅茶が入ったポットだ。これを投げつければ、さすがに大惨事だ。

 だが、他の令嬢達はとばっちりを受けないよう逃げるのが優先で、誰も止めようとする者はいない。

 標的にされているユリアーネも、さすがにこれは不味いと顔を強張らせた。




「いくらなんでも、これをぶちまけたら大事になることさえ分からないのか?」


 あわやというところで令嬢の腕を掴んでポットを回収した少年が、険のある赤い目を令嬢達に向けた。

 耳より少し長めの黒髪で、前髪は目にかかりそうだ。顔立ちは悪くなく、むしろ良いのだが、目つきが悪いせいで柄が悪い印象が残ってしまう。


 侯爵令嬢が「で、殿下……」と喉の奥から掠れる声を出してくれたおかげで、ユリアーネにも自分を助けてくれたのが第一王子殿下なのだと分かった。


 その第一王子が、茶色い染みが広がるドレスを面白そうに見ている。

「コーイング家がマイスリンガー国から、特上の一の絹を手に入れたと聞いて見に来たのだが、酷い状態だな」

「ヒッ……」

 ローランの話で自分の仕出かしたことを理解した取り巻き令嬢が息をのんだ。


「ガーザンスト国とかいう遠い異国の生糸について書かれた古い書物を現代語訳した礼で、マイスリンガーの王妃からもらったものなんだろう?」

「!……」


 大国の王家から賜ったものを汚してしまったと知った取り巻き令嬢は、真っ青になって震え出す。他の令嬢達は、巻き込まれたくないとばかりに目を背けている。

 

「マイスリンガー国の王妃様は、わたくしがそそっかしいとご存じですから。誠心誠意お詫びすれば、許していただけると思います」

 大事なドレスが汚されたのに、怒ることも焦ることもないユリアーネをローランは興味深そうに見る。


「ふぅん、異国の書物を訳したのも、誰でも出来るから褒められることではないか?」

「はい。辞書と根気があれば誰にでも出来ることです」

「ふぅん。根気ねぇ、俺はそれが一番嫌いだな」

 眉を顰めてそう言ったローランの赤い瞳が、子供らしい好奇心に染まった。


 実はローランは一の絹を見たかった訳ではない。異国の古語で書かれた書物を訳したことについて聞きたくてユリアーネに会いに来たのだ。そして、もっと気になることを聞いてしまった。

「お前は十歳だろう? なぜ十二年も前の洪水のことや、治水問題がまだ解決していないのを知っているのだ?」


 一瞬ユリアーネの瞳が揺れる。しかし、すぐに取り繕い、令嬢用の笑顔を貼り付ける。


「過去の事例を読み解くと、災害は繰り返すものだと分かります。コーイング家の領地にも大きな川が流れておりますので、いつ同じような災害が起きるか分かりません。対策を練るために、過去の事例とその後の対応策を調べたのです」

 普通の十歳の少女がする発言ではないが、神童ユリアーネから出た言葉であれば誰もが納得してしまう。


 ローランも納得したと思いきや、面白いものを見つけた時の喜びが顔に現れている。

「そうか……。お前は、面白いな!」

 そう言うと、ふわりと黒髪を揺らして去って行った。




 ローランによって、ユリアーネが大火傷を負う惨事は免れた。

 だが、ローランが去った後のテーブルは、地味に大惨事が起きていた……。


 ユリアーネに紅茶をぶっかけた令嬢は、顔色が真っ青から土色に変わり失神して運ばれて行った。

 侯爵令嬢は「わたくしは関係ないのに、婚約者候補から外されたかもしれない」と、取り巻き相手に繰り返し嘆き続けた。

 そのおかげで励ましの言葉が尽きてしまった取り巻き達は、座っているのがやっとというくらいぐったりしている。


 そんな騒ぎの最中、ドレスが汚れたことを理由に先に帰って良いものか、ユリアーネは一人で悩んでいた。




◆◆◆◆◆◆

本日二話目の投稿です。

読んでいただき、ありがとうございました。

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