第2話 山にいる生き物はどれも致死性
翌朝──霧に煙ったタバコ畑におれと友人は立っていた。
気温は8度。肌寒いが動き回るにはちょうどいいかもしれない。
おれはつま先から頭のてっぺんまで覆われた害獣用の防刃スーツを身に着けている。これは猪の牙程度ならば通さない金属繊維で作られており、目の部分につけられたディスプレイを通して外を見る。
他にも外気温や臭気、危険度を測定した円グラフなど、便利な情報を表示してくれる。
友人は鉄パイプを切り取って張り付けたようなパワーアシストスーツだ。ところどころ生身の肉体が丸出しになっている。
一昔前の戦争に向かう機械化歩兵に似た出で立ちだ。
黒い金属の曲線が新しい筋肉のように手足を覆い、各部のジョイントに弾丸や医療用品のパックがかけられていた。
「ではゆこう」
おれは頷く。
友人の肩から小型のドローンが飛び立った。
これが狩りの先導をしてくれるらしい。友人が言っていたがこれは高価な精密機械で、12時間といわず1年以上も持つ。
値段は機械生成ドローンの数十倍。
おれは正直嫉妬を覚えたが、足で稼ぐ記者がもつにはふさわしい品物だったので黙っておいた。
ドローンは蚊のような駆動音を立てて先頭を飛んだ。
頭の部分についた360度カメラで、器用に枝葉を避けて飛行している。
「これは衛星とリンクした地形データに対応して、人間が通りやすい道を判断するんだ」
便利な機械だ。おれたちはドローンに従って障害物の少ない道を進む。倒木や危険な植物の茂みで煩わされることはなかった。
テントウムシ型のドローンには、針のようなセンサーが何本もたっている。
背中に何本も槍を刺されてうずくまっている人間を連想させるフォルムだ。
センサーが生き物の匂いを収集して強弱を分析し、獲物の巣の位置を予想するので、ついていくだけで安心して銃が撃てるらしい。
便利な品物だ。
昔から使っているのか?
「まあね。昔は土地勘がないと、狩りはうまくいかなかったそうだ。だが今では、機械が狩場まで案内してくれる。わたしたちはそこで銃を撃つだけ、簡単でいいと思わないかね?」
一理ある。手掛かりもなく山をさまようなんておれには無理だ。体力が尽きる前に精神的に嫌になる。
「そうだろうとも。やはりきみは理解が早いな。もっとも──いまでも本格派を自称している連中は、足で探して狩りをするのが本物だなどと言っているがね。わたしに言わせれば下らない戯言だ。連中は犬を使い、長年の経験で巣穴をさがして、じっと待ち伏せしたり、エサを撒いておびき寄せる。しかしね、やりかたが違うだけで、結果は同じだ」
一種の縛りプレイみたいなものか。古典的なスタイルを守りたいやつもいるのだろう。
「ああ、いるとも。機械を使って簡単に狩るのは、自然への敬意を欠いた行為だと言っていた。実にくだらない過去へのセンチメンタリズムだ」
わからなくもないが、そんなことよりもおれは服にべったりとついたオレンジ色の汁が気になっていた。
バイオクロウメモドキのねっとりとした粘着質な葉の分泌物は、ぬぐい取ろうとしても液染みが広がり、おれの無駄な努力をあざ笑っていた。
くそっ、せっかくの新品が台無しだ。
この森をもっと間伐しておけばよかった。後悔しても遅いが、不便に直面するとそう思わざるを得ない。
赦免には無秩序に樹木や草花が茂っている。
遺伝子変異したアジサイのとげとげした葉や、エニシダのくすぐった毒毛があちこちに舞っている。
友人はまだ話し続けていた。
「自分の足で追い詰めて真剣に向き合う行為が、自然に対する敬意だと連中は言うがね。まったく欺瞞だ。敬意があるなら狩りそのものをやめるべきだ。わざわざ銃を振り回して、動物を射殺する必要なんてないだろう。あいつらは記事にもならない自己満足を言って、いい気分になっているだけだ」
俺としては狩れればなんでもいい。レジャーだからといって、自然に敬意をもたないわけでもないだろう。自然保護の費用は、レジャーを楽しむ人たちの税金から払われている。
おれは粘液をぬぐって木の幹になすりつけた。
「そうとも。わたしたちのように楽に狩りを楽しむ。これこそ純粋だ。なにが敬意だ。楽しみのために撃ち殺す行為こそが、人間の文化的知見を示すのだ!」
ふっ。
思わず鼻で笑ってしまった。人間の尊厳を貶める三文記事ばかり書いている友人が、文化を語る姿は愉快だ。天に唾するとはこのことだ。
友人が最近上げた記事なんて、男娼の少年とベッドにいた海外の富豪の動画だ。ホテルに入ってからの一部始終を盗撮し、赤裸々にえがいた記事は低俗で面白かったが、文化とは程遠い。
話しながら進んでゆく。緑はどんどん深くなって何か未知の生物を隠しているような不穏さがあった。
おれは水平二連の銃身で、枝のあいだから糸をつたってきた蛇を払った。
太いロープのような蛇が茂みに落ちて消えていった。
山には変な化け物ばかりいるが、これは新顔だ。
大阪で生まれたこの蛇は、20年前に馬鹿な大学生が、蛇と蜘蛛と掛け合わせて作った新種で、並みの服なら貫通する牙と神経毒を持っている。
数年前、近縁種の一匹に噛まれたが、そのときは腕がバレーボールほどに膨らんだ。妙な幻覚毒もあってベッドで3週間も寝込んだ。
あれはひどかった。
念のため、尻ポケットから虫よけスプレーをとりだし、防刃スーツにふりかける。オーデコロンのようなさわやかな香りが体中にふりかかった。
「きみ、香水をつけて狩りに行くつもりか? その貴族趣味的な心がけは良くないぞ」
おれは皮肉を無視した。
家から出発してから3時間がたった。
途中、いちど休憩して水分を補給し、体力増強の薬をうった。
森は斜面に変わり始め、低い植物が多くなった。石の多い地面は歩きにくい。
おれは大きな岩を回り込む道を昇るとき、草に滑って尻もちをついた。腰の痛みに憮然としながら、友人の手をつかんで起き上がった。
「どうだね。家にいるとできない経験があって、おもしろいだろう」
おもしろいだと? 久しぶりのハードな運動で筋肉が痛むだけだ。
家で覚醒幻覚映像をみるのと何が違うんだ?
ここでは不快な虫があたりを飛び回ってるし、ねばねばした蜘蛛の巣が数メートルごとに体にまとわりつく。
汗は流れるし、足は痛いし、銃は重い。
おれが希望したので口には出さないが、わざわざ不快な場所で不快な経験をしにやってきているマゾ的な趣味だ。
友人は慣れているのか、いやな顔一つしない。
「ドローンによればもうすぐ出会いがあるぞ」
のんきなことを言っている。
もうすぐっていうなら、行ってやろう。おれは痛む脚を動かした。
斜面を乗り越え再び平坦な地面に出た。
太い枯れ木を何本か抜けて赦免を下ると、再び森の中に入った。樹木の切れ目から開けた広場に出た。
腐葉土と倒木の地面の向こうにこげ茶色の山──ピックアップトラックよりも大きな身体のイノシシが、地面をかいて、黒い泥を足でかきあげていた。
「きみのために獲物を探してやったぞ。そら、銃の使いどころだ」
何を考えているんだ。
おれは驚いて銃を撃つどころではなかった。
あのイノシシは明らかに何らかの細菌に感染して、身体が数十倍にふくれあがっている。
いくつもある口からにょきにょきと生えている牙は、鎌のように鋭い。ゆがんだ身体に頭が3つわかれているので危険度も3倍だ。
イノシシが身体をよじり、隣に立っていた木がメリメリときしみを上げて揺れた。
下草が踏みつぶされ、そこにかかった蜘蛛の巣がはかなく破られるさまが、いやにはっきりと見えた。
巨獣が歩くと地響きが鳴った。鼻先で突き上げられるだけで、おれは20メートルは上空に飛ぶだろう。
とても銃で手に負える相手には見えない。
いったいどういうつもりなんだ。
「パラライザーで撃ちたまえ。急がないと気づかれるぞ」
気づかれるって、すでに遅い。イノシシは身体をこちらに向けた。濁った真珠のような目と目が合った。突撃を予告して前足が地面をかいた。
やるしかない。
おれは何とかパラライザーを構えた。
撃鉄の部分から3Dディスプレイが放射され、対象のすがたを照準している。
画面の中央に捕らえ、引き金を引いた。
高い駆動音が聞こえた。
不可視の信号の放射モデルがディスプレイに映った。イノシシの頭に信号が注ぎ込まれる。
獣の匂いと、潰れた植物の青臭い香りと、おれの恐怖の汗を感じた。
空気が歪みディスプレイに光学兵器の警告が出た。
数歩進んだのち、イノシシの身体がゆらいだ。
立ち止まり、ふらふらと揺れ、横倒しに倒れた。
地面がねじれる音がして、砕けて飛んできた石のかけらが服に当たった。
「ははは上出来だ。ちゃんと引き金を引けたな」
友人は余裕だが、おれは喉がつかえて声も出ない。
横倒しになったイノシシはピクリとも動かない。頭の一つが押しつぶされ、奇妙にねじれて空を見上げていた。
「とどめの刺しかたを教えてやろう。こんな風に頭をつぶすんだ」
友人はすたすたと歩いていくと、ナイフを引き抜いてあたまのてっぺんを順番にえぐっていった。
果肉をほじりだすように円を描いて動かし、頭蓋に穴をあけた。すさまじい切れ味のナイフは分厚い毛皮や骨を簡単に貫通している。
抜いた傷口からはどろりとした黒い血と、白と赤の生々しい脳が見えた。
「こればかりは旧式の銃では貫通できない。どうだね、恐怖を体験したかね?」
おれを怖がらせるために、こんな畜生がいるところに連れてきたのか?
「そうだとも。遊びではない緊張感を味わえただろう? ハハハ怒るな。真剣になれば疲れが消え失せる。浮ついた気持ちも引き締まる。短い時間だがこれを一度でも経験しておけば、次からは失敗しないものだ」
もしパラライザーが効かなかったらどうするんだ。
「身体が大きいだけの動物なんて、パラライザーが起こす脳の停止信号に抗えるものか。怖いのは見た目だけ、ただの哀れな動物だ。そろそろ気分はよくなったかね?」
おれは深呼吸した。
安全な狩りだったと何度も心の中で繰り返し、鼓動を静める。
1分もたつと落ち着いた。
なるほど訓練だったわけだ。命がけの訓練は濃密な経験になると聞いたことがあるが、先に教えてくれれば驚かなくて済んだものを……。
「知らなかったのか? きみが家で使っている巡回ドローンたちは、こんな動物どもを捕まえて焼却炉に送っているんだぞ。今まで姿かたちを気にしていなかったのかね?」
ああ、知らない。知るものか。おれは処分のボタンを押すだけだ。バケモノみたいな畜生の姿なんて知りたくもない。
「それじゃ、この機会にたっぷり眺めたまえ」
友人が手招きするので、しぶしぶそばに言った。
イノシシは絶命している。
見上げた巨体には、数瞬まえには生きていた肉の暖かさがまだ残っていた。
流れる黒い血と蒸気と、獣匂。脳の鮮やかな色。
この筋肉を動かす心臓は、車のエンジンよりも大きいだろう。
すごい化け物だ。
「きみの育てている麻酔タバコは、この連中のいい餌だ。下等動物だって陶酔の快楽を知っている。きみ、獲物には不自由しないな」
まったく嬉しくない。
おれは一度たりとも害獣を歓迎したことはない。おれはイノシシの身体を蹴った。
もう行こう。
出発から6時間がたった。
ふわふわとした腐葉土の地面は岩に変わり、斜面を通り過ぎると再び足の沈む柔らかい土に変わった。
岩と泥と腐葉土の混ざった道を昇り続け、やがて岩になり、斜面を登って山頂にたどり着いた。
そこからすそ野にある開けた広場を見下ろしていた。
山頂付近には20メートル四方のひらけた平地があった。
みすぼらしい畑に、栗の木。泥と植物の葉でつくられた家。
そう、家だ。獣人の家があった。洞窟にでも住んでいるのだと想像していたが、家を作る知能があるなんて知らなかった。
家の前の畑には、茶色い体毛を四肢にはやした獣人の子供たちがいた。
3匹が
外壁の近くでは母親らしき獣人。道具を手に動物の皮をなめしていた。木で編んだ作業台に四肢を伸ばして張り付けられた兎の毛皮の、皮革の裏についた膜や脂肪を小さな刃物でこそいでいる。
「繁殖していたのか。運がいいぞ」
友人の声色に興奮を感じる。
おれはこんな近くで、生きた獣人をみたのは初めてだ。こいつら原始人みたいな生活をしている。
黒曜石のナイフまでつかっている。
「知能が低いから、連中にできる文明的な生活はこの程度なんだ。ひどいにおいだろう」
ディスプレイには獣臭と排泄物とカビの成分が表示されていた。
現代人には堪えられない臭気の高さだが、獣人たちは気にせず働いている。犬なら鼻が良いはずなのに、自分たちの臭いは不快ではないのだろうか。
子供たちは親よりももっと毛深い。4足歩行ならば犬と見分けがつかないくらい黄土色の毛が四肢を覆っていた。
犬のように口吻も突き出している。目だけが人間に近い。
「人間の遺伝子より、獣の遺伝子──この場合は犬か狼だな。それが強く出ている。遺伝子を混ぜ合わせて平均をとっても、子供は獣に近くなっていく。あと何世代か交配がすすむと、全身が毛でおおわれた狼人間になるだろう」
そうなるまえに、撃つわけだ。早速やろう。
おれは銃を構えたが、友人に下げられた。
「もう少々待ちたまえ。ここで待っていれば父親も帰ってくる。そのときに一緒にやろう」
まだ待つのか?
「音を聞いた父親が逃げたら、もう一度山の中を探す羽目になる。またハイキングをするかね?」
おれはうんざりしながら首を振った。
友人との山登りはそれなりに愉快だったが、もう十分だ。帰路を考えると探索範囲を広げたくない。
おれたちは消臭スプレーをからだにふりかけた。監視できる位置に移動して、光学迷彩シートを頭からかぶった。
眼下では獣人の母子が働いている。
母親にはしっぽがないが、子供には
母親は膝と肘のさきが毛でおおわれて、残りの部分は茶褐色の皮膚だ。胸と下半身を隠すように革の服で覆っている。
こどもたちは下半身が完全に毛におおわれ、人間の肌が残っている部分は、腹部と顔面程度。
人間の耳の代わりに、ピンととがった犬耳が、汚れた髪の毛のあいだからのぞいていた。
獣人になっても古代の農業従事者の生活をしている。獲物を探して山を駆けまわらず、しかも男女で役割分担をしている。
巨人な肉体を得たはずなのに、やっている作業は人間にでもできる。なぜだろう。
「これが進歩的な団体が目指した結果、自然と融合した真のジェンダー平等の実態だ。原始農耕生活と狩猟での自給自足ってわけだ。獣人の肉体があれば男女の差異は少ないと考えたはずが、古き良き皆が仕事を行う社会に戻ったんだ」
獣人たちが行っている生活は、どこか実体がなく、ままごとに見えた。
貧弱な畑と不安定な狩り。
そのような生活ごっこをしなくとも、山の中に一年中茂っているカロリー葛を食べれば飢え死にしないし、品種改良された糖杉を切り倒して髄をくりぬくだけでも、この連中が1年以上はなにもしなくても暮らせる。
ここでやっている作業は、ただのお遊戯的な、進歩がない生活に見えた。
「きみ、やつらは進歩なんてしたくないんだ。以前、獣人関連団体に取材をしたが、連中に言わせれば技術や文明の発達が、悲しみの大きさも増やしたんだ。だから獣の遺伝子を取り込み、自然に還って、悲しみのすくない素朴な原始生活にあこがれるんだ。品種改良された植物の恩恵を受けながら、な」
最近は見ないタイプの古典的な自然主義者だ。コミュニティを作って農業をするタイプだな。
「夢見る愚か者どもだ。獣人の数が増えて、縄張り争いを始めたとき、代表者はきっと調和の意味を考え直しただろうよ」
そういわれると死刑になったのが残念だ。きちんと顛末を見届けて、責任を取ってほしかった。
「ははは。なかなか性格が悪いな。おっ──みたまえ。父親が返ってきたぞ」
シカのような獲物をかついだ父親が、おれたちとは反対側の森の中から戻ってきた。
畑でみた男だ。
友人はおもむろに起き上がり、銃を肩に構えた。
「わたしが父親を撃つから、きみはパラライザーで子供を撃ちたまえ。拡散モードにすれば、畑の子供を一網打尽にできる」
古い銃は使わないのか。
母親はどうするんだ? 逃がすつもりか?
「なに、逃げやしないさ。あとでゆっくり楽しめばいい」
なぜ逃げないのか疑問に思ったが、判断は熟練者に任せる。
おれはパラライザーを畑に向けた。
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