第3話 気の毒な先代悪役令嬢
「ヒルデや、庭園一周するつもりだったのに、侍従長に止められてしまったよ。だから秘密の花園に連れて行っておくれ」
「はい陛下、喜んで」
私の生まれたフェンネル公国は高地で植物に乏しい。故郷では自生しない植物を取り寄せて育てるのが趣味だったと知って、陛下は手ずから世話をできるほどの小さな庭園をプレゼントしてくれた。
イヌサフランにラナンキュラス、スズラン、ベラドンナ、好きな花々を思う存分育てて楽しみ、温室で人目を盗んで逢引する恋人気分で城内デートをしたりした。
うららかな日差しの下、陛下と手をつないで庭園を散歩する。
「おお、もう杏の実がなる季節か。しばらく食べていないな、どれどれ……」
陛下は色づき始めた杏に伸ばしたが、私はそのお袖を引いて窘めた。
「いけません、まだ熟していませんわ。未熟な果実は毒です」
「そうだった。確か種は猛毒なんだったね。お前は何でも知っている」
食欲が出てきたのなら快方に向かっているのだろう。
ユーフォルビア姫のように、この人に悪いことなんて起こるはずがないと素直に信じられればいいのだけど。そういうところは心から羨ましい。
この人にもしものことがあればと考えを巡らせ、時には事後のことも考えてしまう自分は嫌いだ。
「どうしたんだね、ヒルデ」
「何でもありませんわ。杏の代わりにクッキーで休憩いたしましょう」
手入れの行き届いた東屋のベンチに並んで腰かけ、クッキーと冷たい飲み物をいただく。
甘いお菓子を美味しそうに頬張る陛下の穏やかな笑顔と福々しいお腹を見ている間だけは幸せに包まれて、不安が消えていくのだ。
太ってしまって確かに往年の美青年然とした容姿は見る影もないけれど、この人について行けば大丈夫と見る者を安心させるカリスマ性は老いてなお健在だ。
「ルビアをお前にばかり任せて悪かったね。あの年頃の娘に厳しいことを言うのは辛かろう」
優しい労いの言葉に、不覚にも涙が出そうになった。若さゆえの残酷さで力一杯反抗されるのは相当のストレスになっていたようだ。
「……愚かな私と、前の王妃の昔話を聞いてくれるかい?」
「はい、是非、お聞かせください」
◇
事の始まりは、陛下が王太子だった頃。
「現時刻をもってお前との婚約を破棄し、ここにいるエリオフィラ・カランコエを我が婚約者とする!」
陛下はお金で爵位を買った名ばかり貴族の若く美しい男爵令嬢と激しい恋に落ち、幼い頃から妃となるために養育されてきた侯爵令嬢を僻地に追いやった。
当然、先代国王含め周囲は激怒したがここは若かりし頃は烈王、今は賢王と評される陛下のこと、外交や経済で手腕を発揮して認めさせ、
ここの悪役令嬢、気の毒すぎるな……
しかしエリオフィラ様はどこまで行っても裕福な庶民上がりの甘やかされたゆるふわお嬢様だった。
「ルビアちゃん、女の子は素直が一番。いつもニコニコしてお友達には優しくしなさい。決して意地悪をしたり、人の言うことを捻くれた捉え方をしては駄目よ」
「はい、ママ」
今時どう育ったらそんな純真無垢なお嬢様が出来上がるか不明なぐらいの、天使のような人だったそうだ。
「その天真爛漫さに惹かれた。最高の恋人で、存在感のない王妃で、国母としては失格だったね」
右肩下がりの人だったんだなあ。
厳しい言い方だけど正に若いうちだけ。ユーフォルビアをそんな女性にしたくない。
「いいこと、ルビアちゃん。女の子は立派な態度や頭の良さよりも、可愛くて素直で人に好かれることが何より大事」
「ママもそんなふうにしてたから、王子様と結婚できたのよね」
「そうよ。ルビアちゃんは誰よりも可愛いんだから、いつか王子様が現れるわ。素敵な人に愛されて生きるのが、女の子の一番の幸せよ」
「はい、ママ!」
庶民、ギリギリ下級貴族までならそれで許されるが、宮廷でそれは異物だし不幸になる。人も死なせる。
陛下もお若い頃はそういう貴族が持ち得ぬ輝きに惹かれてしまったわけだから、教育方針に口を出さなかったのだとおっしゃる。
「絶賛子作り中だったし……男の子できると何の根拠もなく信じてたし……」
結果は一人娘を残して身罷るという事態になったわけだが。
無意識のうちに自分のお腹に当てていた手に、大きな掌が労わる優しさで重ねられた。
「申し訳ございません……」
「謝るのはわしの方だよ。弟ができれば、それが一番いいがね」
陛下が高齢でも身ごもる可能性が高い若い娘ではなく、ユーフォルビア曰く売れ残りの年齢に達した私が王妃に選ばれたのは国家間の均衡もさることながら、私が若い頃から国内の教育推進に尽力して成果を上げ、賢女の誉高かったからだ。
姫を教育し、国王亡き後は王位を継ぎ女王となる姫の後見人として立つことを期待されている。
本当は陛下の赤ちゃんを身ごもりたいが、こればかりは天の采配だからなるようにしかならない。
「わしは接し方を間違えたんだな。そろそろ王族としての自覚を持ちなさいと諭すべきだね」
「あなたは今まで通り優しくしてあげてください。ユーフォルビア姫にとっては小さな頃にご生母から教わったことが正しい価値観として刻み込まれています」
「三つ子の魂百までと言うからね。ルビアにしたら生みの親を否定されているようなものか」
「あなたにまで王女らしくなどと言われたら、両親がどちらも味方ではないと感じてしまいます。あの年頃の子にそれは酷ですわ」
「お前にばかり負担をかけてしまうね」
「嫁ぐときから覚悟はしておりました」
ユーフォルビア姫の三つ子パワーがここまで聞き分けがないのは予想外だったけれど、政略結婚の陛下のことをこれほど好きになるのも予想外だ。
陛下の腕が肩に回る。瞼を伏せると、優しいキスが降りてきた。
初老の夫の少しかさついた唇を、私は何より好ましく感じている。
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