9章 赤く淡い輝き
第1話 指を彩るもの
まだ肌寒さは残るが、春が顔を出し始める。そろそろ冬の分厚いコートもお役御免だろうか。
「こんばんは!」
平日の「煮物屋さん」が開店して少ししたころ、ご機嫌な様子で現れたのは
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
「レモンとかお入れになります? 酎ハイのお値段になりますけど」
この煮物屋さんでは焼酎はロックや水割り、お湯割りで提供することが多く、炭酸割りにするといわゆる酎ハイになる。
普段酎ハイはキンミヤ焼酎という焼酎をベースに使うが、他の焼酎をご希望されるのなら、それをお聞きする。
「あ、そっか。焼酎を炭酸で割ると酎ハイになるんや」
「はい。うちでは酎ハイはキンミヤ焼酎を炭酸水で割って作っていますから。焼酎の炭酸割りは酎ハイのプレーンです」
「キンミヤ焼酎」の正式名称は「
癖が少なく割り材の邪魔をしないので、焼酎のベースとして広く使われている一品である。
「うーん、でも食事の時はあまり甘い飲み物好きやないしなぁ。プレーンで」
「かしこまりました」
佳鳴はさっそく棚から兼八の瓶と、冷蔵庫から炭酸水の瓶を出す。おお振りのグラスに氷を半分ほど詰め、メジャーカップで兼八を測ってグラスに入れ、そこに炭酸水をグラス8分目ほど注ぎ、マドラーでくるりと混ぜる。
「お待たせしました」
出来上がった兼八の炭酸割りをお出しすると、門又さんは「ありがとう」と受け取る。
「ねぇ、このお店って酎ハイとサワー両方あるけど、違いってなんなん?」
門又さんが美味しそうにグラスを傾けながら問う。佳鳴は「そうですねぇ」と小首を傾げた。
「今の日本では明確な線引きは無いみたいですよ。でもうちでは酎ハイは基本キンミヤ焼酎、サワーはスミノフを使ってます。サワーは本来、ウォッカとかジンとかのスピリッツに、
「カクテルみたいやね」
「そうですね。うちではカクテルの取り扱いが無いんで、洋酒がお好きなお客さまにはサワーやウィスキーをおすすめしてます」
「なるほどね〜。このお店って煮物とかの和食を食べさしてくれるから、なんとなく焼酎とか和のお酒て思ってたけど、洋酒好きかておるよなそりゃあ」
「はい。ご用意できないものももちろんありますけど、お好きなお酒で楽しんでいただけたら嬉しいです。はぁい、お待たせしました」
そして整えたお料理をお出しする。メインは豚だんごと大根と厚揚げとししとうの煮物である。スライスした玉ねぎも入っている。
豚だんごはふっくらと仕上がる様に、豚挽き肉にお塩だけを入れて、もったりしろっぽくなるまで練る。そこに卵を加え、アクセントに青ねぎの小口切りを入れて、お醤油などで軽く調味をしてお団子にする。
煮汁に甘みを出すために、ごま油で繊維に垂直にスライスした玉ねぎをしんなりと炒め、お出汁を張り、沸いたら豚だんごを落として行く。
豚だんごから出るあくを丁寧に取り除き、お米の研ぎ汁で下茹でした大根、油抜きした厚揚げを入れて、ことこと煮込んで行く。
味付けは日本酒とお砂糖、薄口醤油で付け、ししとうは色合いを生かすためにしんなりする程度の火通しにする。
煮汁には玉ねぎから甘みが滲み出し、ふわっふわに仕上がった豚だんごに良く絡む。大根や厚揚げはその旨味を吸い、すっかりとろとろになった玉ねぎと一緒に口に運ぶと、ふくよかな味わいが広がる。
小鉢はいんげんと舞茸のきんぴらと、たたき長芋ののり梅和えだ。
きんぴらは日本酒とお砂糖、お醤油で味を付け、すり白ごまをたっぷりとまぶす。ごま油でしゃきっと炒めた歯ごたえの良いいんげんと、しんなりとした舞茸の対比がおもしろい。味わいのある一品だ。
長芋はジップバッグに入れて綿棒で叩き、ひと口大ぐらいになったら、叩いた梅干しを混ぜ込んだのりの佃煮と和える。
のりの佃煮は自家製だ。のりをガスの直火に当てて香ばしさを出し、ちぎって日本酒とお醤油、お砂糖で煮詰めて作る。旨味を出すためにかつおの粉末も入れている。
甘やかなのりの佃煮の中から顔を出す梅の爽やかな酸味が、さくさくの長芋に良く合うのだ。
「ありがとう。いただきます」
門又さんはお
「あ〜、こういうお惣菜が食べられるんがほんまに嬉しいやんねぇ。家でひとりやとこんなん作れへんもん」
そう言って嬉しそうに顔を綻ばせる。そしてまた兼八の炭酸割りをそっとあおった。
「あ、そうや。店長さん、ハヤさん、これ見てこれ!」
お箸を置いた門又さんが、開いた左手の甲をぐいと伸ばす。
きらりと輝く美しい透明の石が埋め込まれ、それを挟んで赤い不透明の石がふたつ填め込まれた、デザインとしてはシンプルな指輪が門又さんの薬指を飾っていた。
真ん中の透明の石がいちばん大きく、赤い石はやや小振り。土台になっている銀色の金属にもほとんど傷など無く、石に負けじと光を放っていた。
「綺麗ですねぇ!」
佳鳴が黄色い声を上げる。佳鳴だって女性だ。アクセサリーだって好きである。「煮物屋さん」を始めてから着ける機会がぐんと減ったので、最近買い足したりはしていないが、会社員時代には指輪などを着けて行っていたものである。
「へへ。ちょっと奮発してん」
門又さんは言って、嬉しそうに笑う。
「自分へのご
「ええですねぇ、ご褒美。若いお嬢さんは結構自分へのご褒美ってしてはるみたいですね。今週がんばったから、ちょっとお高めのスイーツとか」
「そうなんやってね。私も服とか買うけどそれは必要やからやし、アクセサリーはあんま興味が無かったから、冠婚葬祭に使う真珠ぐらいしか持ってへんかったんやけど、ついでがあって梅田の阪急のジュエリー売り場に行ってみたら綺麗なんたくさんあって。もしかしたら食わず嫌いやったんかもって。店員さんに相談して、これに決めてん。真ん中がダイヤで、赤い石が珊瑚。好きな色やねん」
「珊瑚が不透明なのがええですねぇ。真ん中のダイヤが際立って見えます」
「やろ? 余計に輝いて見えるやんね。赤いんが輝く系の石やったら、ちょっとうるさいかもて思って。もう私もそう若いわけや無いから、これぐらい落ち着いてる方が長く使えるし」
「門又さんはまだまだお若いと思いますが。あ、でも薬指なんですね」
一応左手の薬指は、結婚指輪や婚約指輪、恋人から贈られた指輪など、そういう色のある場合にはめられる指ということになっている。
「そうやねん。在庫あるのが薬指にしか合わへんで。サイズ直し2週間掛かるって言うから待てへんなって、とりあえず気持ちが落ち着くまで薬指に付けてる。ほぼ一目惚れみたいなもんやったからね〜。お店もサイズ直しいつでも受け付けるて言うてくれてるから。右にすんのはどうにも慣れへんで。作業すんのにも邪魔やし」
「解ります。気に入ってもたらすぐにでも身に付けたいですよねぇ」
そのお気持ちはものすごく良く解る。佳鳴だって同じ状況になったら同じ様にするだろう。うんうんと頷くと、門又さんは「あはは」とおかしそうに笑う。
「私に男っ気が無いんは皆知ってるし、変な誤解生むことも無いやろうしね。実際今日これで会社行ったら、男の同僚に「何
「門又さん、そこは怒るところです」
千隼が言うと、門又さんはまた「あはは」と笑う。
「もうそんなんいちいち気にしてられへんて。私って同期の中でも結構出世してるからなぁ。将来のこともあるからばりばり働いて貯金してって思ってるから、女扱いされてへんのかも知れんなぁ」
「そこも、怒るところですよ」
千隼の少し呆れた様なせりふに、門又さんはまたまた「あはは」と笑顔。
「まぁ気にせんぐらいには図太くなったんかもね。この指輪は今の私の唯一の潤いかも。土台もプラチナやから、私にしては結構がんばって買うたんやで。できたら一生大事にできたらて思ってる」
「ええですねぇ、そういうの。私も何か見に行ってみようかな。お仕事中は着けられへんのですけど」
お料理をするのだから、特に指輪はご法度である。
「やったらネックレスとかでもええんやない? 綺麗なんたくさんあったで」
「あ、そうですね。あまり派手なもんで無かったら、お店でも着けられますもんね」
久しぶりに見に行ってみようか。そう思うと、少し心が浮き立って来た。
「もし買うたら見せてな〜」
「はい。もちろんです」
佳鳴は言って、ふわりと微笑んだ。
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