『それでも』と言い続けろ。
十七時半頃—―美桜学園 グラウンド
長かった練習も終盤を迎え、皆最後の走り込みを行っていた。
いやぁ長かった……やっともうすぐ終わる。
沈んでゆく夕陽を見つめながら、今日の自分の頑張りを噛みしめていた。
「体力のない私が、良くできたなぁ本当……」
最初は貧血とか起こしそうで怖かったが、案外どうにかなるものだ。
ただ、軽く日焼けしている肌を見て……少しショックを受けた私だった。
そうだよ……日焼け止めとか、全然塗ってなかったじゃん……。
別に焼けたくないとか、気にしているわけではないのだが、何だか腑に落ちない。
「どうせなら、海にでも行って焼けたかった……」
一人愚痴をこぼしながら空を見上げていると、瞬間、背後の方から大きな音が聞こえた。
あまりの音に思わず振り返ると、そこにはハードルに埋もれた部員がいた。
「なんだ、転んでハードルが散らばっただけか……」
なんて、安堵していると……どうやらそんな、簡単な事で済んではくれないみたいだ。
他の部員たちが駆け寄り、何やら転んだ本人は足を抑えながら、苦痛の表情を浮かべている。
思わず心配になり、私も駆け寄ってみる事にした。
「だ、大丈夫?」
ちょうど人だかりの中にいた藍に、現状を聞いてみる。
「あ、美紀……それがね」
聞くところによると、藍自身事故の現場は見てないから経緯は分からないものの……足を強く痛めてしまったらしいとの事。
しかも、あからさまに腫れ上がっている右足……これは非常にまずいんじゃ。
やがて部員達に支えられながら、彼女は保健室へと連れていかれた。
「な、何事もなければいいけど……」
その場にいた一同が、一抹の不安を抱えながら怪我をした一年の方を見つめていた。
もしあのとき……お前だけは、それでもと言い続けろ。なんて言った日には、きっと私にコロニーレーザーが降り注いだだろう、なんて。
場の空気がどんよりとしたまま、結局その日の部活は終わりを迎えてしまった。
そして、事態は思わぬ方向へ進展するのだった。
次の日、同じく九時に登校し、体育着に着替えグラウンドへと向かう私。
昨日とうって変わり曇り空、気温も低めで割と過ごしやすい状態だった。
「せっかく日焼け止め塗ったのにこれか……私も運がないな」
しかし、暑さに苦しめられる事がないというのは、かなり嬉しい事。これはどっちかと言えば、運が良かったのかもしれない。
グラウンドにて陸上部の集団を見つけ、そちらに歩みを進める私。
何やら皆、練習せず話し合いをしているみたいだ。
やがて部員の一人が私に気づく。
すると、全員がこちらを見てくるではないか。
「え? 何……私なんかやった……? あ、もしかして走って来いって事かな」
どことなく焦燥感に駆られ、私は歩みを速めた。
怖い怖い、体育会系のこういうところが私は苦手だ。
「お、おはようございます!」
急いで合流し、挨拶をしてみると、昨日とうってかわり、全員が勢いある挨拶を返してきた。
な、なんだなんだ!? 煽られているのか……?
すると突然、一年の一人が私の所まで来て、荷物を部室まで持って行ってくれた。
な、何このvip待遇……。
「ちょ……え? どういう事ですか」
未だ事態が飲みこめていない私。とりあえず、この空気止めない……?
そんな困惑した中、とりあえず藍に話しかけてみる。
「ね、ねえ藍……私、何かしちゃった?」
「いやぁ……そんな事はないと、思う……よ?」
まさかの藍でさえもが、どこかぎこちなかった。
な、何だ……一体なんなんだ? 凄く不気味でならない。
「あ、そういえば昨日の一年生、大丈夫だったんですか?」
ふと昨日の一件を思い出した私は、そう部長さんに聞いてみた。
一瞬、全員がビクッと反応したような……。
「七瀬、それはまず置いといて。私と勝負をしないか?」
いきなり割って入るように、如月先輩がそう言いだす。
「……何言ってるんですか?」
思わず呆れ気味に答える私。これって、おい、俺と決闘しろよってこと?
「まあまあ、勝った方が何でも言う事を聞く……というのはどうだ」
「あ……それは中々楽しそうですね! 良いでしょう受けて立ちます!」
魅力的な提案に思わず乗り気になってしまった私。
「先輩が負けたら、全裸で走り幅跳びしてくださいね!」
「じゃ、じゃあ勝負の内容は、公平にじゃんけんという事で」
私の提案に一瞬ひるむも、変わらず提案を続ける如月先輩。
そして、陸上部全員が見守る中……何故か、じゃんけんをする事になった。
……肝心の結果はというと。
「うっそ負けた……あぁ、最悪だー……」
私がグーで、如月先輩がパー…せっかくのチャンスを無駄にしてしまった私であった。
ただ私が負けた瞬間、陸上部全員がガッツポーズをし、嬉しそうに騒ぎはじめた。
久しぶりに、人に対して殺意が湧いた。
屋上へいこうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……。
「ふぅ……危ない危ない。さて、じゃあ私の言う事を一つ、聞いてもらおうかな」
「う、何か嫌な予感が……」
私があんなことを口走ったんだ、壇上で自慰行為とかやらされるんじゃ。
いや、この鬼畜メガネのことだ、全裸で首輪付き散歩もあり得る!
最低だ! か弱い乙女を何だと思っているんだ!
やがて、沈黙の後、告げられた言葉は……。
「部活支援部に入部し、一年女子リレーに参加せよ」
「……はぁ!?」
あまりの衝撃に、思わず辺りを気にせず叫びをあげてしまった。
「え? 全裸で校内散歩じゃない?」
「何を言っているんだ」
「え、壇上でオ――」
「それ以上はやめなさい。仮にも淑女なら、公然でそういった発言は控えるように」
怒られた。これもきっと、あのドSロリのせいだ。
「とりあえず、ありがとう七瀬君! 君のおかげで一年は無事、リレーに出場できるよ!」
「ありがとー美紀ー!!」
陸上部の部長、藍が私に何故か感謝をしている……。え? どういう事。
事情を聞いてみると、昨日の部員は、二週間の入院が必要な程に怪我の状態が酷く、リレーに参加できなくなってしまったとの事。
そして、昨日教えてもらった通り、陸上部は代わりの一年がおらず、更に違う学年が出る事も出来ない。
そこで私に矛先が向いた……という事である。
部活支援部に入部、更にそこで特別枠というものを利用し、私を出場させ……リレー参加を出来る様にする、というのが狙いだったのだ。
一瞬それなら陸上部に入った方が……とも思ったのだが、陸上部としては、もう参加登録は終わっており、変更が出来ずと。
詳しくは分からないけど、要するに私は嵌められたと。
「し、してやられた……いきなり勝負とか、おかしいと思ったんだよなぁ」
今更後悔しても、まさに後の祭りだった。
こんな大人数の目の前で、何でも言う事を聞くと公言してしまったのだ。言い逃れは出来ない。
「七瀬さん。もし、どうしても嫌なら私に言って欲しい。強制はしない。ただ、陸上部の部長として……心からお願いしたい」
そんな私の前に立ち、真剣な表情で、陸上部の部長さんが深く頭を下げ、そう言った。
そんな真剣に訴えられたら、私だって断れるわけないじゃないか。
それに藍だっているし……ね。
「……足が遅くて、迷惑しかかけないと思いますが……それでも良ければ」
私がそう、微笑みながら言うと部長は安堵の笑みを浮かべ、再び部長は感謝の言葉を述べるのだった。
……こうして、予想だにしない私の、桜崎市総体地区予選への参加が決定した。
まさか、こんな陸上の大会に出る夏休みを、迎える事になるなんて。予想にもしなかった。
昔から足が速いなんて事もなく、運動も苦手な私にとって、きっと最初で最後の出来事であるかも知れない。
勿論できれば出場したくはなかったのが、本音だ。
しかし部長の真剣な眼差しを見て、果たして断れるだろうか。
私みたいな人が出てくれるだけで救われる人がいる。私に出てほしいと願っている人がいる。
それが私を突き動かした、主な理由だった。これが果たして偽善と呼ばれるか、善意と呼ばれるかは分からないけど。
それでも私の行動で救われる人がいるなら、それはとても嬉しい事なんではないだろうか。
その頃の姫華はというと――
許斐家―自室
「………………」
あたりに散らばった菓子のゴミ、ゲームのコントローラーが転がっている自室。
フリルの付いた可愛らしい、藍色のぱんつ一枚のだらしない姿。
美紀の現在なんて露知らず、心地よさそうにベッドで爆睡していたのだった……。
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