二章 いつわりの妃①

 こうけんにとってとうきゆううつるまでの日々はひどくつかれるものだった。入宮に向けて手はずを整える間、紅姸はしゆうようにあるしんえきしきで待機していた。る間をしんで、清益らからきゆうてい作法を学ぶ。歩き方から始まり、れい作法や後宮のしきたり、良家のむすめであれば自然と身につくものを短期間で覚えなければならない。

 こうして紅姸はとなった。

「華妃様、おはようございます」

 冬花宮にて三度目の朝をむかえたものの、この環境は慣れそうにない。朝はのぼるよりも早くに冬花宮の宮女長がやってきて紅姸を起こす。宮女長のらんぎよくがやってくるまでに目は覚めていたものの、たくを終えていない姿を他人の目にさらすのはていこうがあった。

「それでは支度させていただきますね」

 妃の支度をするのは宮女の務めと清益からも聞いている。しかしどうにも抵抗があり、今日まで連日「一人でだいじようです」としぶってきた。そのことがあったからか、藍玉は紅姸が断る前にきびきびと動く。

 他者がいるとわずらわしいという紅姸の希望で、冬花宮に配置された宮女は少ない。宮女長である藍玉は、少人数でもつつがなく仕事ができるように冬花宮の宮女を束ねていた。

 よわいはさほど変わらないが、押しの強さは藍玉が上だ。藍玉は下級宮女のころからせんきゆうに勤めていて後宮の事情に明るい。だが、それだけで宮女長にされたわけではない。彼女の伯父おじは蘇清益だ。紅姸の事情や妃となった理由まで、藍玉には話が通っていた。

 冬花宮の宮女はさんくんの色にはく色を用いる。その中でも宮女長である藍玉はえりや帯に銀のしゆうほどこしていた。凜と整った顔立ちをし、かみはねじりあげて留めている。うなじを見せるのは年季の入った宮女が多いが、藍玉はあえてこの髪型を選んでいた。藍玉いわく、この髪型がすっきりするらしい。

「あら。右手のこうにあるきずあと、なかなか消えないのですね。もう三日もちますから、うすれてくるかと思ったのですが……なんこうを用意いたします」

 藍玉が言った。花あざぼくあとかんちがいしているのだろう。紅姸はあわてて右手をかくそうとしたが、藍玉にはすでに見られていると思いなおして諦めた。今さら隠したところでおそい。み痣をさげすんだ華仙の者たちを思い出し、声が震える。

「これは痣ですから……消えることはありません」

「そうだったのですね。失礼いたしました」

 花痣の意味を知らなくても、痣を持つ娘はうとんじられるだろうかと不安になったが、藍玉は深く追及することをしなかった。不快感をあらわにすることもなく、今までと態度は変わらない。そのことに安堵していると、藍玉が紅姸の後ろに回る。

「次は髪の支度をいたします。もちろん、わたくしが行いますので」

 藍玉は竹を割ったような性格をし、意を通す時は妃である紅姸を相手にしてもじ気づくことがない。これは紅姸を相手にしている時だけかと思いきや、清益いわだれが相手でも藍玉の態度は変わらないようだ。現に、いまも押し切られている。

 紅姸は、冬花宮に来るまで、他人に髪をいてもらうことがなかった。これで三度目になるが、このように他人からのやさしさを受けることが落ち着かない。いずれこちらを害するのではないかとおびえてしまう。

 その胸中を、藍玉は知らない。彼女は楽しそうに髪を梳いている。

「華妃様の髪はもつたいないですね。べに色なんてめずらしいのに、ざわりがよろしくありません。きちんとお食事を取り、毎日手入れをすればつやめく紅玉のようになりましょう」

 そこで紅姸は黙りこんだ。紅の髪は華仙一族の印である。この髪色は珍しく、仙術師りが始まったばかりの頃は、髪色で華仙一族だと気づかれたらしい。

 姉のはくじようも紅の髪だった。紅姸と異なり、良いものを食べて育った白嬢の髪は確かに美しい。それが風に巻き上げられた時は、宙をただよう紅の絹糸にも見えたほど。

 そのことを思い出していると、物音がした。これは藍玉ではない。紅姸は怯えたようにり返る。

「……ひっ」

 奥に、冬花宮の宮女がいた。薬湯を運ぼうとしていたらしいが、とつぜん紅姸が振り返ったことでおどろき、すくみ上がっている。

「あ……申し訳ありま──」

「華妃様」

 藍玉にたしなめられなければ、驚かせてしまったことをびていただろう。だがいまの紅姸はきさきである。堂々とした振るいやことづかいが求められる。紅姸はぐっと唇をんだ。

 宮女はおそるおそるといった様子で、紅姸のもとへ近寄る。きよめたくない意思が感じ取れた。薬湯をわたすなり、足早に去っていく。

 宮女の振る舞いから、かんげいされていないのだと感じ取っていた。紅姸のこの宮女に限らず、皆が余所よそ余所よそしい。例外なのは藍玉だけである。

「……皆は、わたしのことがこわいのでしょうか」

「はじめのうちは仕方ありません。特に華妃様は物静かで落ち着いた方ですから、近寄りがたく思ってしまうのでしょう。それに……」

 物静かで落ち着いた、とやわらかく話してはいるが、紅姸の感情表現がとぼしいことを言っているのだろう。藍玉は何かを言いかけるも、口をつぐんでしまった。それが気になり、紅姸は問う。

ほかにも理由があるのなら、正直に教えてほしいです」

「……みなしてうわさしているのですよ。この時期に入宮する妃ですから、理由があるのではないかと。たとえば仙術師であるとか」

 紅姸の動きはぴたりと止まった。紅姸が仙術師だと知るのは数名だ。しゆうれいと清益、藍玉。みかどや一部の妃にも話している。だが他には明かされず、いつかいの宮女は知らないはずだ。

「ああ、誤解なさらず。華妃様のせいではありません。以前に宮城に来た方が仙術師という噂があったのです。そのため、また仙術師を呼んだとさわぎ立てる者がいるのですよ」

「以前にも仙術師が来ていたのですか?」

 藍玉はうなずいた。表情がくもっているのは、そのことを紅姸に話してよいか迷ったためだろう。「華妃様のお耳に入れてよいのかわかりませんが」と前置きをして続けた。

「これまで、何人もの仙術師を秀礼様が連れてきました。ですが、華妃様もご存じの通り、この国の者は仙術を良く思っていません。それは宮女たちも同じ。その者は身分を伏せていましたが、あやしげな行動から仙術師だと噂が広まり、皆はその者をおそれました」

「それで、その仙術師はどこに?」

行方ゆくえはわかりません」

 紅姸は息をんだ。その仙術師は失敗し、殺されてしまったのではないか。こういった話を秀礼から聞いていない。自身も仙術師であるがゆえに、いやな想像がかび、腹の底が冷える心地ここちがした。

「華妃様の入宮に秀礼様が噛んでいることから、また仙術師ではないかと噂する者がいるのです。仙術を用いる、行方知れずとなる──そのような不安から距離を取りたがるのでしょう。このことは、わたくしから宮女たちに注意しておきます」

「大丈夫です。皆が恐れる気持ちもわかるので、そのままにしてください」

 理由を知れば、宮女の態度もてんがいく。

(皆にとって仙術は不気味なもの……これも仕方の無いこと)

 たんたんと受け入れる紅姸の様子に、藍玉は驚いたように目を丸くしていた。

「華妃様はお優しいのですね。宮女たちの心に寄りっていただきありがとうございます」

「藍玉も、わたしが怖かったら無理しないでください。支度は一人で出来ます」

「わたくしは華妃様のことを怖いなどと思っていません。ですからお手伝いをさせてくださいませ。ああ、それと振る舞いも。自信を持って、堂々となさってください」

「堂々と、ですか……がんります」

「華妃様。妃らしい言葉遣いを心がけましょうね。敬語は不要です」

「……わ、わかった」

 藍玉は再び髪を梳きはじめた。さらさらと、髪のれる音がする。

 紅姸はそっと目をせた。藍玉から敵意は感じられず、それどころかゆったりと流れていく時間が心地よい。もしも紅姸が花痣を持たずに生まれていたのなら、白嬢とこうして接していたのだろうか。華仙の里を思い出しそうになったが、すぐに頭の奥に押しこんだ。

(わたしは帝をお救いするためここにいるのだから、宮城を調べよう)

 そのためには後宮の妃や帝の容態など現在のじようきようあくしておきたい。紅姸はこれからのことを考えた。


    ● ● ●


 こうの後宮は一名の正妃を頂点とし、多くの側妃をかかえていたが、帝の顔から若さがけていくにつれ、静かな場所へとなっていった。

 正妃であるしん皇后はせいきよしたため、いまの後宮を取り仕切るは側妃で最も上位のしようごうを持つえいだ。他にはけんようがいる。新参のを加えて、現在の妃は四人である。

 紅姸は仙術師の身分を隠すためにも、妃として振る舞わなければならなかった。本来の妃としての習わしを行う。帝へのえつけんは病状を理由に先送りとなっていたが、ひんへのあいさつは行われた。古参の妃嬪は、新たな妃を歓迎するため、その者の宮に向かうのだ。

つかれた……人と話すのが、こんなにも体力を使うなんて)

 華妃に会うべく、妃やかんがんなど様々な者がえずやってくる。甄妃が去った後、紅姸は深く息をついた。きんちようの糸がぷつりと切れ、体が重たく感じる。ろうこんぱいだ。

 その様子を藍玉が見ていた。くすくすと笑いながら花茶を置く。

 藍玉特製の花茶は、紅姸のそうしんを案じてはちみつが混ぜてある。甘さがきわつよう花のかおりはひかえめだ。初めてこれを口にした時は感動したものだ。今までは残りものや冷えたものしかあたえられなかったため、湯気が立ち上る茶は初めてである。そしてこの甘さだ。舌に残るまろやかな甘さは、どうしたって口元がほころんでしまう。

「甄妃様にお会いして如何いかがでしたか」

 問われ、紅姸は先ほどまで来ていたのが甄妃だと思い出した。

「……とても良い方……だと思う」

 紅姸がつぶやくと、藍玉が「ええ。そうですよ」と強く頷いた。藍玉は冬花宮にばつてきされる前は夏泉宮付きだった。甄妃のこともよく知っている。

「甄妃様はお心優しく、あいあふれた方です。華妃様のことも気にかけていたでしょう」

「確かに、せすぎだと言われたけれど」

「それはわたくしも、甄妃様に同感です。華妃様の痩身は問題ですよ」

 甄妃は紅姸の入宮にくちえをした人物の一人である。そのため、秀礼から紅姸が住んでいたかんきようを聞いていたのだろう。しかし仙術師だからと怖がるりは見られなかった。

「甄妃様は秀礼様の後見人でございます」

「後見人? てっきり、秀礼様のお母様なのかと……」

「いえ。甄妃様は子をしませんでしたので。ですが、永貴妃様は異なりますよ」

 続いて藍玉が名をあげたのは永貴妃だ。こちらも今日挨拶に来ていた。

「永貴妃様は、現在の後宮を取り仕切っておられます。厳格な方でいらっしゃいますから、慣れぬうちは疲れると皆よく言っています。華妃様も気を張っていたのでは」

 少々迷ったが、紅姸はなおに頷いた。永貴妃は形通りの挨拶をして去っていったが、わずかな時間といえひどく疲れた。終始、あつかんを放ち、軽い言葉をわすすきもなかった。

「第二皇子のゆうろく様をお産みになったのは永貴妃様です」

 規定のねんれいを満たすと公主ひめや皇子は城を出て自らの殿舎を構えるが、数名は宮城に残る。これは帝によるこうけいしや指名がほうぎよ後に明かされるためだ。宮城に残った者から選ばれるので、宮城に住まう皇子は後継者候補とも言える。現在は二人。第二皇子のえい融勒と、第四皇子の英秀礼だ。

「残る妃は楊妃様ですが、こちらは明日以降ですね。しゆうほうきゆうからの申し入れもありません」

「では、今日はこれで終わり?」

 問うと、藍玉は「まさか!」と笑った。

「何をおつしやいます。まもなく秀礼様がいらっしゃいますよ。こうけん殿でんに向かうそうです」

 この身にのしかる疲労はまだまだ続くのだと、紅姸はかくを決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る