一章 華仙女は花を詠み、花で祓う③

 ないていの中央には帝が住まうこうけん殿でんがあり、周囲には皇后が住んでいた宮や、貴妃、妃らの宮があった。現在内廷には皇子が二名いるが、どちらも光乾殿より少しはなれた位置に宮を構えている。紅姸が連れて行かれた審礼宮もその一つで北西の奥にあった。

 通されたのは最低限の調度品しか置かれていない質素な房間へやだった。ひとばらいを済ませると、秀礼はとうこしける。そばには清益がついた。

「さて。遠回しなのは苦手だからな、単刀直入に話すとしよう」

 秀礼が切り出すと、せまい房間の空気はぴんと張り詰めた。秀礼はもちろん、となりにいる清益も変わらず微笑ほほえんではいるがひとみが冷えている。

「華仙紅姸。お前に引き受けて欲しいことがある」

「わたしに、でしょうか」

「ああ。おおやけにしていないが、帝はせっておられる。何人もの宮医がたが、原因はわからない。集陽で流行はやっているえきびようとも違う──というのはだ」

 その口ぶりから、秀礼なりに見当をつけている。彼は紅姸をじっとえて続けた。

「おそらくのろいだ。帝は、何者かにじゆをかけられたのか、りようたたられたのだろう」

 秀礼の言葉がせいじやくしずんでいく。もしも秀礼の言葉通りならば、髙の帝を害する者がいることになる。おそろしいことだ。指先から冷えていくような心地ここちがする。知らずのうちに、紅姸の顔はこわばっていた。

「お前に見せた通り、私が持つほうけんは鬼霊をはらうことができる。だが呪詛であれば太刀たちちできぬ。そこで鬼霊や呪詛を祓うことのできる、本物の仙術師を探していたのだ」

 紅姸が使う華仙術は花詠みと花渡しの二つ。そのうち花渡しはじようすることであり、鬼霊や呪詛といったものを祓うことは可能だ。

(でも……華仙術を使っていいの?)

 髙は、仙術をうとんじている。過去に仙術師たちははくがいされていたのだ。それを宮城で使ってよいのだろうか。

 そんな紅姸の迷いをいたのだろう。秀礼は瞳をすっと細め、くようにするどく、紅姸をめつけた。

「ここまで来て、この話を聞いているのだ。きよは許さない」

 これはおどしだ。その、秀礼の態度に紅姸は疑問を抱いた。

(どうして脅してまで、されている仙術師にたよるのだろう。そこまでして帝を救いたい理由があるのか、それとも──)

 だが問うことはできなかった。秀礼の眼光はそういったすきを許していない。紅姸はゆかひざをつく。両手を胸の前で組んだ。

「里を出た時からかくしております。力の限りを尽くしましょう。もしも失敗などあればわたしを殺していただいて構いません」

 元より居場所のない身。里にいた時から死の覚悟はできている。白嬢の代わりになれと命じられているのだ、この場で何を告げられても従うつもりであった。

「…………」

 これに秀礼はだまりこんでいた。自ら脅したくせ、何かを気にしている。しかしすぐに清益が話を進めたため、その心のうちは紅姸にもわからなかった。

「覚悟のあるむすめで何よりですよ。さっそくこれからの話をしましょう」

「……そうだな」

のろいについて調べるには宮城にたいざいした方が良いでしょう。とはいえ内廷に立ち入るにはそれなりの立場を作らなければなりません。客人としてむかえ入れるのにも限度がありますからね」

「審礼宮に置くわけにもいかないからな……どうするか」

 秀礼が問うも、清益は策が浮かんでいるようだった。彼はにっこりと微笑む。

「帝の妃として後宮に迎え入れては。妃であれば後宮内を自由に調査することが可能です」

 表情変化にとぼしい紅姸も、帝の妃という単語には目をいた。悪いじようだんだと疑って清益の表情を確かめたが、秀礼や紅姸をからかう様子はない。

 内廷に立ち入れる娘は限られている。客人として迎え入れることはあるが、それは正式な手続きをまなければならない。客人の家格も重視され、公主や名家であれば問題ないが、山奥にひそんでいた華仙の名では難しい。そのため妃に仕立て上げようというのだ。

 秀礼と清益の話し合いは、紅姸をいて進む。

「妃か……うまく行くだろうか」

「遠方にある家の娘ということにして、秀礼様のほかけんにもくちえをいただきましょう。これならば異を唱える者はいないでしょう」

えいはどうする。あれはやつかいだぞ」

「帝には紅姸が仙術師だと明かしましょう。鬼霊祓いができると伝えれば、後宮に置く意味を理解してもらえるかと。永貴妃など他の者には帝を苦しめるさいを解くためだと伝えましょう。もしも帝をむしばむものが呪詛だった場合、だれけたものかわかりません。それに仙術師を呼んだことが大々的に知られてしまえば宮城の外にも届いてしまいます」

「そうだな。不必要にたみどうようさせるのはよくない……うむ」

 秀礼は再び考えこんだが、結論を出すのに時間はかからなかった。清益に向けていた視線が、今度は紅姸をとらえる。

「よし。お前を妃に仕立てる。よいな?」

 れんあいけつこんなど、想像したこともなかった。それよりも先に死ぬだろうと思っていたためだ。里を出てから今日までの間も死の覚悟をしていたというのに、思いもよらぬ提案に目眩めまいがする。悪い夢を見ているかのようだ。

 だが、しゆくしゆくと受け入れるしかない。常に強制される生き方をしてきたため、拒否は頭になかった。紅姸はしっかりとうなずき、これをじゆだくする。

「ではこれで決まりですね。あとはこちらで準備を進めましょう」

 紅姸が引き受けたところで清益がそう言った。これで話は終わるのかと思った矢先、秀礼が手をあげた。

「待て。華仙紅姸、お前に聞きたいことがある」

 秀礼は不満そうに顔をしかめていた。紅姸はその場に膝をついたまま、問いかけを待つ。

「先ほどの鬼霊祓いだ。鬼霊が現れても、お前は華仙術を使うことを躊躇ためらった。だが、結局お前は鬼霊を祓っている。なぜ華仙術を使う気になった?」

 紅姸はうつむいた。

(どう答えれば良いのだろう。この人たちが、華仙術をどのようにあつかうのかわからない)

 秀礼や清益も、いつ紅姸に危害を加えるかわからないのだ。体がふるえる。

「……鬼霊を……あわれに思いました」

 おびえながらも口に出したのは、鬼霊とたいするたびに紅姸の胸中を占める感情。華仙の里でのひどいかんきようから死した方が楽だと考えているからこそ、死してもなお解放されないことが憐れに思える。

 これを聞いて秀礼らがどのような反応をするのかわからない。しんちように言葉を選びながら、紅姸は続ける。

「際限なく現世を彷徨さまようのはつらいことです。だから……華仙術を使って祓いました」

「その理由はわからなくもない。お前は私相手に『むごいやり方』だと言ったのだからな。鬼霊をおもんぱかっていることは理解する」

 しかし秀礼の言葉はそこで止まらなかった。再びまゆをよせ、紅姸を見やる。

「ではなぜ、躊躇った? それほど鬼霊を憐れむのならば、かんがんの鬼霊が現れた時に華仙術を使えばよかっただろう」

「それは……」

 ついに紅姸の言葉がまった。人前で使うことに二の足を踏んだのは、里でしいたげられていたから。そして、仙術を求められているなど思ってもいなかったのだ。迫害されている仙術を使えば殺されると考え、躊躇ってしまった。

「…………」

 これを語ることはできなかった。仙術師という引け目と迫害へのきようけいかいしんとなり、紅姸の声をうばっている。

 一向にしやべらぬ紅姸の様子に、秀礼は不思議そうに首をかしげた。

「……華仙とはわからぬ一族だな」

 秀礼はあきれたようにつぶやいた。

「お前は華仙術を扱い、鬼霊を祓った。それほどの力がありながらも死の覚悟があると話し、いつわりのきさきになれといったじんな要求にも表情を変えず受け入れる。里にいた他の者はそれなりの身なりをしていたが、お前だけは襤褸ぼろきれを着て、えだのようなそうしんときた」

「…………」

「里の者たちも、お前に対しては強くあたる。家族だろうにあのような物言いと別れは理解できん。華仙一族とはみなああしてれいたんなのか。それとも……お前だけがひどい扱いを受けてきたのか?」

 秀礼は、一度華仙の里に来ただけで、紅姸を取り巻く環境を言い当てていた。鋭い観察力である。当たっていることもあり紅姸にはおそろしく思えてしまった。心の奥を見抜かれているようで、気分はよくない。

 紅姸は黙りこんだ。虐げられていたと自ら言うことはできず、場はちんもくに包まれる。

 せいじやくを破ったのは清益だった。

「秀礼様。もしもこの者のじようが気になるのであれば、華仙の里にもどって別の者を連れてくることもできますよ。今なら間に合います」

 黙りこんだ紅姸と、紅姸を疑う秀礼を見かねての提案だろう。しかし秀礼はすぐさま「いらん」とこれを断った。

「他の者が良いわけではない。少し気になったために聞いただけだ」

 紅姸としては華仙の里に戻されては困るところだった。次に白嬢が見つかれば、紅姸はおさばばからどのようなばつを受けたかわからない。白嬢の身代わりになれと命じられているため、秀礼が断ってくれたことにあんする。

 その秀礼はまだ紅姸を見つめていた。しんけんな顔つきはややゆるみ、どこか楽しんでいるようなところがある。そのくちびるえがき、くつくつと笑った。

「しかし不思議だな。華仙一族でゆいいつのような姿をしていると思えば、本物の仙術師ときた。華仙術をすぐに使わず躊躇うくせにりようを慮る。なかなか興味深いやつだ」

 揶揄からかうように秀礼が言ったので、紅姸は反応に困った。その間も秀礼の視線は紅姸に向けられたままで、身を縮めてだまりこむしかできなかった。


 連翹が散る前。華仙紅姸の姿は後宮にあった。華仙の名をせ、こうけんとしてとうきゆうの妃になったのである。

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